【令和4年12月26日判決(知財高裁 令和3年(ネ)第10099号)】
【事案の概要】
本件は、発明の名称を「生体用水素ガス供給装置」とする各特許(本件各特許)に係る特許権者である控訴人が、被控訴人の製造販売等に係る被告製品1は本件特許1に係る特許発明の技術的範囲に属する等主張して、特許法100条1項、2項に基づき、被告製品1の製造、使用、譲渡等の差止め及び被告各製品等の廃棄を求めるとともに、民法709条、特許法102条2項に基づき、損害賠償金等の支払を求める事案である。
原判決は、被告製品1は本件特許1に係る特許発明の技術的範囲に属さないし、本件各特許には無効理由(実施可能要件違反)があるとして、控訴人の請求をいずれも棄却したところ、控訴人が本件控訴を提起した。
控訴人は、原判決後に、本件特許1に関する訂正審判請求を行い、これを認める審決が確定したところ、控訴審においては、本件特許1については、訂正後の請求項6の発明(以下「本件訂正発明6」という。)に基づく請求原因のみを主張している。
【キーワード】
均等侵害、第3要件、置換容易性、当業者が容易に想到し得たか、設計変更、示唆、動機付け
【争点】
争点は複数あるが、本稿においては、均等侵害の第1要件から第3要件の成否についてのみ紹介する。
【本件訂正発明6】(下線は筆者が付した。以下同様)
本件訂正発明6は、以下のとおり分説される。
11A 被電解原水が導入される電解室と、前記電解室の内部と外部とを区画する一つ以上の隔膜と、前記電解室の内部及び外部のそれぞれに前記隔膜を挟んで設けられた少なくとも一対の電極板と、を有し、前記電解室の外部の電極板が前記隔膜に接触させて設けられている電解槽と、
11B 前記一対の電極板に直流電圧を印加する直流電源と、
11C 陰極となる電極板から発生する水素ガスを希釈するための希釈用ガス供給器と、を備え、
11D さらに前記電解室の内部の電極板が前記隔膜に接触させて設けられており、
11E 前記電解室の外部に、前記一対の電極板の一方の電極板を包含する側室が設けられており、
11F 前記電解室の内部および前記側室に被電解原水が導入されており、
11G 前記希釈用ガス供給器から供給される希釈用ガスを前記陰極又は陰極水面に送風することにより、
11H 電解時の前記陰極又は前記陰極水面から7cm離れた位置の水素ガス濃度を常に4vol%未満に維持し、水素ガス濃度が0.1~4vol%の、水素ガスと希釈用ガスを含む混合ガスを生体に供給する
11I 生体用水素ガス供給装置。
本件特許1の明細書の図1を参考として掲載する(赤枠等は筆者が付した)。
【裁判所の判断】
被告製品1は、構成要件11Aを充足しないが、その他の構成要件は充足するので、以下、これを前提にして均等侵害の成否について検討する。
被告製品1に係る均等侵害の成否について
(1) 被告製品1は第1要件を充足するか(争点1-2-1)
ア いわゆる均等論の第1要件で問題となる特許発明の本質的部分とは、当該特許発明の特許請求の範囲の記載のうち、従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分であると解される。
また、上記本質的部分は、特許請求の範囲及び明細書の記載に基づいて、特許発明の課題及び解決手段とその効果を把握した上で、特許発明の特許請求の範囲の記載のうち、従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分が何であるかを確定することによって認定される。ただし、明細書に従来技術が解決できなかった課題として記載されているところが、出願時の従来技術に照らして客観的に不十分な場合には、明細書に記載されていない従来技術も参酌して、当該特許発明の従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分が認定されるべきである。
本件明細書1によれば、本件訂正発明6は、従来技術である生体用水素ガス供給装置(乙1発明)では、水素ガス発生装置から鼻腔カニューラへの導管の一部に空気混合器を取り付けることにより、供給する水素ガスの濃度を任意に設定することができるものであったところ、水素ガス発生装置から空気混合装置に至る導管において爆発限界を超える水素ガスを通過させているため、安全に使用することができなかったため(【0004】)、健康上有益な水素ガスを医療の現場や家庭で安全に使用することができる生体用水素ガス供給装置を提供するという課題(【0005】)を解決するため、希釈用ガスを陰極又は陰極水面に送風することにより、水素ガスを爆発限界外の一定の濃度(4vol%)未満に維持することにした(【0006】)というものである。そして、本件明細書1の【0007】には、本件訂正発明6の効果として、「本発明によれば、健康上有益な水素ガスを、医療の現場や家庭で安全に使用することができる。」と記載されている。
すなわち、本件訂正発明6は、発生した水素ガスに着目して、希釈用ガスを陰極又は陰極水面に送風することにより、水素ガスを爆発限界外の一定濃度未満に維持するものであり、これが本件訂正発明6の本質的部分というべきである。
したがって、本件訂正発明6の「前記電解室の内部と外部とを区画する一つ以上の隔膜」という構成を、被告製品1における「①内タンク6の側壁の一部、②流出孔3を有する内タンク6の底部、③4つの高分子膜10」との構成に置換することは、水素ガスの濃度に関わるものでないから、本質的部分を置換するものとはいえない。
よって、被告製品1は、均等の第1要件を充足する。
イ 被控訴人は、前記第2の3⑸イのとおり、本件明細書1の【0015】の「電極板14、15間に隔膜13を挟まない場合、陰極で発生した水素ガスに対して陽極で発生した酸素ガスや塩素ガスが混合してしまうことになるため、爆発の危険性や生体に対する有毒性の観点から好ましくない。」との記載から、水素ガスが発生する陰極又は陰極水面と酸素ガスが発生する陽極を「隔膜」により区画して両ガスが混合することを防止することも、本件訂正発明6の本質的部分に当たる旨主張する。
しかし、本件明細書1の【0015】の上記記載は、実施形態に関する記載にすぎないし、また、同記載は、電極板14、15の間に隔膜13を「挟む」ことの意義を説明するものであって、隔膜により、水素ガスと酸素ガスの発生場所を区画することの技術的意義を記載したものとは理解されるが、水素ガスの発生場所の空間と酸素ガスの発生場所の空間が互いに、水や発生ガスが連通することがないように独立した構造に区画され、かつ、その区画に用いられるものが隔膜のみであることの技術的意義を記載したものとまで理解することはできない。よって、被控訴人の上記主張は採用できない。
(2) 被告製品1は第2要件を充足するか(争点1-2-2)
ア 本件訂正発明6は、健康上有益な水素ガスを医療の現場や家庭で安全に使用することができる生体用水素ガス供給装置を提供することを課題とし、水素ガスが発生する陰極表面もしくは陰極水面に希釈用ガスを吹き付けることにより、水素ガス発生の時点から生体に送り届けられるまでのあらゆる時点において、水素ガスを爆発限界外の濃度である4vol%未満に維持することにより、健康上有益な水素ガスを、医療の現場や家庭で安全に使用することができるという作用効果を奏するものである(【0004】ないし【0007】)。
本件訂正発明6における「前記電解室の内部と外部とを区画する一つ以上の隔膜」という構成を、被告製品1における「①内タンク6の側壁の一部、②流出孔3を有する内タンク6の底部、③4つの高分子膜10」との構成に置換したとしても、水素ガスの濃度に影響するものではなく、実験成績証明書(甲7)によれば、被告製品1は、陰極から約6cm前後上にある陰極水面にも空気を送風しており、水素ガス濃度が2.6vol%の、水素ガスと空気を含む混合ガスを生体に供給するものであるから、本件訂正発明6と同様の効果が奏されるものといえる。よって、被告製品1は、第2要件を充足する。
イ 被控訴人は、前記第2の3⑹イのとおり、前記アのような置換をすると、陰極電極板11で発生した水素ガスと陽極電極板12で発生した酸素ガスが混合することになり、本件訂正発明と同一の作用効果を奏しない旨主張するが、同主張は、前記⑴において認定した本件訂正発明6の本質的部分に基づく作用効果(前記ア参照)に関わるものとはいえない。
また、被告製品1においては、水素ガスが高分子膜10の上側の陰極電極板11で発生し、直接内タンク6内に流入するのに対し、酸素ガスは、高分子膜10の下側の陽極電極板12において発生するものであり、水素ガスと酸素ガスの発生場所は高分子膜10によって区画されるものであって、酸素ガスの内タンク内への流入は抑制されているのであるから、本件訂正発明6の効果を妨げるような構造であるとまではいえない。
よって、被控訴人の上記主張は採用できない。
(3) 被告製品1は第3要件を充足するか(争点1-2-3)
ア 被告製品1の製造開始時において、本件訂正発明6における「前記電解室の内部と外部とを区画する一つ以上の隔膜」という構成を、被告製品1における「①内タンク6の側壁の一部、②流出孔3を有する内タンク6の底部、③4つの高分子膜10」との構成に置換することは、当業者が容易に想到し得たかについて検討する。
イ 前記2のとおり、本件訂正発明6においては、構成要件11Aの隔膜による区画は、隔膜によって電解室の内部と外部とが完全に区画されるものであり、電解室の内部と外部とは、水が連通することがない独立した構造となっている。また、本件明細書1においては、電解室の内部と外部を分ける隔膜は、縦に設置されたもののみが開示され、陽極で発生する水素と陰極で発生する水素は、別空間に排出されると理解される。
これに対し、被告製品1は、内タンク空間と外タンク空間の間を水が連通する構成の下で高分子膜10を水平に配置し、高分子膜10の上側に保持された陰極電極板11で発生する水素ガスと、高分子膜10の下側に保持された陽極電極板12で発生する酸素ガスの混合が起こり得る状態を許容した上で、陽極電極板12で発生した酸素ガスは、枠体5内に集めて大きな気泡を形成し、流出孔3から内タンク6内に進入するのを防止した上、内タンク6と外タンク2の隙間内の水内を通って外部に排出するというものである(乙29の1・2)。そうすると、本件訂正発明6と被告製品1は、その基本的発想を異にするものというべきであって、被告製品1における「①内タンク6の側壁の一部、②流出孔3を有する内タンク6の底部、③4つの高分子膜10」との構成への置換が本件訂正発明6の単なる設計変更とはいえない。
また、本件明細書1においては、「前記電解室の内部と外部とを区画する一つ以上の隔膜」との構成を、被告製品1のような「①内タンク6の側壁の一部、②流出孔3を有する内タンク6の底部、③4つの高分子膜10」との構成に置換した場合に生じ得る事項についての示唆もないから、本件明細書1において、上記のような置換をする動機付けとなるものも認められない。
ウ 控訴人は、前記第2の3⑺アのとおり、陽イオン交換膜を用いた固体高分子水電解において、陰極室と陽極室を貫通孔により水を連通する構成は、被控訴人が製造販売を開始した平成29年11月以前から周知の技術であるとして、甲36文献、甲37文献、甲40文献を提示するので、以下、検討する。
(ア)甲37文献は、オゾン水製造装置、オゾン水製造方法、殺菌方法及び廃水・廃液処理方法に関するものであり(【0001】)、電解反応を利用した化学物質の製造において、多くの電解セルでは、陽極側と陰極側に存在する溶液あるいはガスが物理的に互いに分離された構造を採るが、一部の電解プロセスにおいては、陽極液と陰極液が互いに混じり合うことを必要とするか、あるいは、混じり合うことが許容されることを前提として(【0002】)、陽極側と陰極側が固体高分子電解質隔膜により物理的に隔離され、陽極液と陰極液は互いに隔てられ、混合することなく電解が行われる従来のオゾン水電解(【0005】)では、電解反応の進行に伴い液組成が変化し、入側と出側で反応条件が異なるなどの問題点があったことを踏まえ(【0006】)、電解セルの流入口より流入した原料水がその流れの方向を変えることなく、直ちに電解反応サイトである両電極面に到達し、オゾン水を高効率で製造できる等の作用を有するオゾン水製造装置等を提供することを目的としたものである(【0016】)。
その技術分野(オゾン水製造装置)及び目的(オゾン水を高効率で製造すること等)のいずれも本件訂正発明6と異なるし、その具体的構成も、貫通孔11が設けられた電解セル8(陽極1、陰極2及び固体高分子電解質隔膜3)に直交して原料水(オゾン水)の流路が設けられるというものであって(【0034】及び【0035】)、電極室の内部に被電解原水が貯留され、電気分解が行われる本件訂正発明6とは異なる。したがって、甲37文献に開示された事項を本件訂正発明6に適用する動機付けは見い出せない。
(イ)甲40文献は、電源のない場所に持ち運び、水素の吸入や水素水の飲用に使用することのできるポータブル型電解装置に係る技術分野に属するものであり(【0001】)、電解ユニット3は、ケーシング31、高分子膜32、電極板33、34、スプリング35からなること(【0028】)、ケーシング31は、内部に反応室311となる容積が確保されており、側部に外部と反応室311とを連通するように穿孔された連通孔314が設けられていること(【0029】)、電解ユニット3の高分子膜32は、イオンの通過を規制するイオン交換機能を有する薄膜からなるもの(例えば、ナフィオン)で、ケーシング31の窓孔311を閉塞する大きさの方形に形成されていること(【0030】)が記載され、使用形態として、内部に原水Wが収容されたタンク1にキャップ2、ガイド筒4、水素吐出管5を一体的に取付けられること(【0034】)、スイッチ9が入れられると、原水Wが電気分解され、ケーシング31の反応室311の内部にあるプラス極の電極板34で水素イオンと電子とが生成されて高分子膜32を通過し、ケーシング31の窓孔312に露出しているマイナス極の電極板33で水素(ガス)が生成され、水素は、微細な気泡Hを形成してタンク1の内部で水素水からなる電解水を生成すること、プラス極の電極板34で生成されたオゾン(ガス)は、高分子膜32を通過することなくケーシング31の反応室311の内部に滞留され、ケーシング31の反応室311の内部の滞留圧力が大きくなると連通孔314から吐出されること(【0041】)が記載されている。
しかし、甲40文献には、陰極室及び陽極室についての記載はないから、これを見ても、陰極室と陽極室とを貫通孔により水を連通する構成が記載されているとはいえない。別紙2の図2において、マイナス極の電極板33より上側部分を陰極室と、プラス極の電極板34より下側の反応室を陽極室であると解釈すると、連通孔314は、陽極室とその外部を貫通するものであって、陽極室と陰極室を貫通するものではない。マイナス極の電極板33より上側部分と、ケーシング31側面の外側部分はつながった空間であることから、ケーシング31側面の外側部分も陰極室であるとみた場合には、連通孔314は、陽極室(反応室)と陰極室(ケーシング31側面の外側部分)を貫通するものであるといえるが、酸素と水素が同じ陰極室内に排出されることになり、被告製品1の構成に至らない。
(ウ)甲36文献に係る発明の公開日は平成30年11月22日であり、甲36文献自体の発行日は令和2年3月11日であるから、その内容や位置付けについて検討するまでもなく、甲36文献は、被控訴人が被告製品1の製造販売を開始した平成29年11月時点における周知文献とはいえない。
エ 以上によれば、控訴人主張の周知技術は、いずれも、本件訂正発明6における「前記電解室の内部と外部とを区画する一つ以上の隔膜」という構成を、被告製品1における「①内タンク6の側壁の一部、②流出孔3を有する内タンク6の底部、③4つの高分子膜10」との構成に置換する動機付けになるものとはいえない。
これらの事実関係によれば、このような置換が容易であったとはいえないから、被告製品1は、均等の第3要件を充足しない。
【検討】
本判決は、被告製品1が構成要件11Aを充足しないが、その他の構成要件を充足すると判断し、その上で、均等侵害の成否について、第1要件及び第2要件は充足すると判断し、第3要件は充足しないと判断した。
本判決が第3要件の成否を判断するにあたり、「…置換することは、当業者が容易に想到し得たか」、具体的には、置換することが「設計変更」といえるか、置換した場合に生じ得る事項の示唆が明細書にあるか、置換することの「動機付け」の有無等を検討していることから、進歩性の判断と同様の検討をしているものと思われる。
均等侵害の第1要件及び第2要件の充足性を肯定し、第3要件の充足性を否定する事案は、多くはなく、本件は貴重であると考えられることから、紹介した。
以上
文責 弁護士・弁理士 梶井 啓順