【知財高裁令和5年2月7日判決(令和4年(ネ)第10090号・令和4年(ネ)第10097号)】

【ポイント】

原著作物である脚本の二次的著作物である映画が、上映の方法で公衆に提示された場合に、当該脚本も公表されたことになると判示した事例

【キーワード】

著作権法2条7項、著作権法4条3項、著作権法18条、公表権、脚本、映画

【事案】

 原告X1は、ある映画(以下「本件映画」という。)の監督、脚本等を務め、原告X2は、本件映画の脚本を務めた。本件は、原告らが、本件映画に関する記事(以下「本件記事」という。)を週刊誌に掲載した被告新潮社に対して、同被告が本件記事に本件映画の脚本(以下「本件脚本」という。)を無断で引用し、原告らの著作者人格権(公表権)を侵害したことを理由とする不法行為に基づく損害賠償請求その他の請求をした事案である。
 公表権侵害の有無について、控訴審(知財高裁令和5年2月7日判決(令和4年(ネ)第10090号・令和4年(ネ)第10097号))は、原審(東京地裁令和4年7月29日判決(令和2年(ワ)第22324号))の判断を支持しており、原審判決に若干追記したものであるので、以下では、公表権侵害の有無に関する原審の判断について記載する。

【当該争点に関する判旨(裁判所の判断)(*下線は筆者)】

8 争点4(本件記事による本件脚本に係る原告らの公表権侵害の成否)
(1) 映画の公表と脚本の公表について
ア 被告新潮社は、原告らが本件脚本の著作権を有していたとしても、本件映画が試写会で公開された際に、本件脚本も同時に公衆に提供されていたのであるから、その後、本件脚本が本件週刊誌に掲載されたとしても、本件脚本の公表権を侵害するものとはいえない旨主張する。
イ 著作権法4条3項は、翻訳物の公衆への提示等を原著作物の公衆への提示等と同視して、翻訳物が公表された場合には、原著作物も公表されたものとみなす旨規定しているところ、翻案物は、翻訳物よりも、原著作物からの創作的表現の幅が広いといえるから、脚本の翻案物である映画が、当該脚本の著作者又はその許諾を得た者によって上映の方法で公衆に提示等された場合であっても、上記脚本が公表されたものとみなすのは相当ではない。
 他方、著作権法2条7項は、上演、演奏又は口述には、著作物の上演、演奏又は口述で録音され又は録画されたものを再生することなども含む旨規定しているところ、脚本の翻案物である映画が上映された場合には、当該脚本に係る実演が映写されるとともにその音が再生されるのであるから、著作物の公表という観点からすると、脚本の上演で録音され又は録画されたものを再生するものと実質的には異なるところはないといえる。
 上記各規定の趣旨及び目的並びに脚本及び映画の関係に鑑みると、脚本の翻案物である映画が、脚本の著作者又はその許諾を得た者によって上映の方法で公衆に提示された場合には、上記脚本は、公表されたものと解するのが相当である。
 これを本件についてみると、前記認定事実によれば、本件映画は、原告らの同意の下、本件試写会で上映されたところ、本件試写会は、映倫による審査に加え、公開前に被告大藏映画の内部で内容を確認することを目的として行われた社内試写にすぎず、その参加者も、映倫審査委員のほかには、被告大蔵映画の関係者が9名、外部の者は4名にとどまり、しかも、その外部の者も、原告X1の知り合い等であったことが認められる。そうすると、本件映画は、少数かつ特定の者に対し上映されたにとどまるものといえる。
 したがって、本件試写会で本件映画を上映する行為は、公衆に提示されたものとはいえない。
ウ 以上によれば、本件脚本は、本件試写会において公表されたものとはいえず、本件脚本を原告らに無断で本件週刊誌に掲載する行為は、原告らの本件脚本に係る公表権を侵害するものと認めるのが相当である。
(2) 被告新潮社の主張
ア 被告新潮社は、本件試写会には映画評論家等の関係者を含めた特定多数が参加しているため、制作陣以外の多数の者の要求を満たす程度にその内容が明らかとされた旨主張する。しかしながら、前記認定以上に、映画評論家等多数の関係者が本件試写会に参加していたことを認めるに足りる的確な証拠はなく、前記認定を前提とする限り、本件脚本は、公衆に提示されたものということはできない。
 したがって、被告新潮社の主張は、採用することができない。
イ 被告新潮社は、原告X1は本件試写会において本件脚本を一般公開する意図の下、本件試写会を実施したものである以上、本件脚本がその後公表されることに同意していた旨主張する。
 しかしながら、著作者は、その著作物でまだ公表されていないものを公表するか否かを決定する公表権(著作権法18条)を有するところ、その著作物には著作者の人格的価値を左右する側面があることに鑑みると、公表権には、公表の時期、方法及び態様を決定する権利も含まれると解するのが相当である。これを本件についてみると、原告X1が公表につき同意したのは、飽くまで、本件試写会におけるものにとどまると認めるのが相当であり、それを超えて、本件脚本がその後本件週刊誌に掲載されることにまで同意していたことを認めるに足りる客観的な証拠はない。
 したがって、被告新潮社の主張は、採用することができない。
ウ その他に、被告新潮社の主張及び提出証拠を改めて検討しても、被告新潮社の主張は、公表権の趣旨、目的を正解しないものに帰し、いずれも採用することができない。

【検討】

 本件は、原著作物である脚本の二次的著作物である映画が、上映の方法で公衆に提示された場合に、当該脚本も公表されたことになるか否かについて判断を下した事案である。結論としては、その場合には当該脚本も公表されたものとなるという法的解釈をし、本件においては、映画が公衆に提示されていなかったとして、当該脚本は公表されておらず、原告らの公表権が侵害されたと判断した。
 まず、本判決は、著作権法4条3項の適用の可否を検討する。つまり、同項は「翻訳物」が公表された場合、原著作物も公表されたものとみなすという規定であるところ、「翻訳物」と「翻案物」は原著作物からの創作的表現の幅が異なることを理由に、同項は適用できないと判断した。
 次に、本判決は、著作権法2条7項を挙げ、脚本の翻案物である映画が上映された場合には、「著作物の公表という観点」から、脚本の上演で録音され又は録画されたものを再生するものと同視できる旨を述べる。つまり、脚本の翻案物である映画が上映された場合は、著作権法2条7項を介して、脚本は上演されたということである。そして、本判決は、「上記各規定の趣旨及び目的並びに脚本及び映画の関係に鑑みると、」脚本の翻案物である映画が、脚本の著作者から許諾を得た者等によって上映の方法で公衆に提示された場合には、脚本は公表されたものとすると判示した。この判断過程は一応筋が通っているとも考えられるが、「著作物の公表という観点」、「上記各規定の趣旨及び目的並びに脚本及び映画の関係に鑑みると」というマジックワードが使われており、十分に理解が追い付かない面もある。この点について、公表権における判例は少なく、学説の議論の蓄積も少ないことから、今後の判例や学説の議論が待たせるところではある。
 本判決の結論として、映画(本件試写会)の上映に参加した人の人数や特性から、公衆に提示されたものではないので、本件脚本は本件試写会で公表されたものとはいえず、本件脚本を原告らに無断で本件週刊誌に掲載する行為は原告らの公表権を侵害するとした。しかし、上記のように、脚本の翻案物である映画が、脚本の著作者から許諾を得た者等によって上映の方法で公衆に提示された場合には、脚本は公表されたものとするとしており、著作者の人格権を著作権の利用の便宜より劣後されたといえ、著作者にとっては酷な判決となった。
 以上のように、本判決は、判断過程にやや疑問が残るものではあるが、公表権に関して法的解釈を提示した事案であり、実務上参考になる事案である。

以上

弁護士 山崎 臨在