【判旨】
 本件各発明は職務発明(特許法35条1項)に当たるから,本件各発明について特許を受ける権利は,本件発明考案規定に基づき,遅くとも本件各発明の特許出願がされた平成22年1月4日までに,原告からテクノリサーチ社に承継されたと認められる。
【キーワード】
 職務発明,自由発明,特許法35条1項,2項,東京地裁民事第46部判決

【事案の概要】
 本件は,被告(旧:新日本製鐵株式会社,現:新日鐵住金株式会社)の元従業員であった原告が,被告に対し,被告が特許出願をした本件各発明について,原告が特許を受ける権利を有することの確認を求めた訴訟である。

 争いのない事実(抜粋)は以下のとおりである。
(1) 原告は,昭和43年に被告(当時の商号は八幡製鐵株式会社)に入社し,平成9年に被告の子会社である株式会社日鐵テクノリサーチ(以下「テクノリサーチ社」という。)に出向した後,平成16年7月1日に被告からテクノリサーチ社へと転籍した。原告は,平成21年6月30日に同社を定年退職したが,同年7月1日に嘱託として再雇用され,平成22年6月30日に嘱託解職となった。
(2) 原告は,平成20年に,本件各発明を発明した(ただし,平成20年のいつ発明が完成したのかにつき争いあり(※1))。
(※1)・・・裁判所はこの点は判決の結論に影響しないと判断
(3) 本件各発明は,ドラフトサーベイ(喫水検査)に用いるもの(※2)である。ドラフトサーベイとは,船舶について空荷の状態と積荷の状態の喫水(船底から水面までの垂直距離)の差を調べることで,貨物の重さによって排除された海水の容積を割り出し,運賃算定や商取引の基準となる積荷の重量を計算することを意味する。ドラフトサーベイは,港湾運送事業法2条1項7号所定の「鑑定」に当たり,国土交通大臣の許可を受けた者しかその事業を行うことができない(同法4条,3条6号)。

(4) 平成19年4月1日に施行されたテクノリサーチ社の「特許等の発明考案規定」(以下「本件発明考案規定」という。)には,従業員がした会社の業務範囲に属する発明について,その特許を受ける権利がテクノリサーチ社に承継される旨の定めがある。(乙1)
(5) 被告は,テクノリサーチ社との間の覚書に基づき,本件各発明につき特許を受ける権利をテクノリサーチ社から承継したとして,平成22年1月4日,本件各発明についての特許出願をした(※2)。

(※2)・・・特願2010-17(出願日:平成22年1月4日,請求項は7つで,出願に係る発明は傾斜測定装置に関する。)として被告名義で出願された。

【争点】

 本件各発明が職務発明(特許法35条)に当たるとすれば,原告の特許を受ける権利は本件発明考案規定によりテクノリサーチ社に承継されたことになる。本件の争点は本件各発明が職務発明であるか,いわゆる自由発明であるかである。

【判旨抜粋】
(1) 後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア テクノリサーチ社は,平成16年ころ以降,被告から委託を受けて,被告の製鉄所に入港する原料船のドラフトサーベイに関する業務(喫水検査管理業務)を行っていた。被告との業務委託契約によりテクノリサーチ社が行うとされた業務は,① 原料の検量に関わるデータの収集,解析及び管理並びに課題抽出及び改善活動の実施,② 原料の検量に立会同席した上での課題抽出及び改善案の提案,③ 原料の検量等に関する船会社との打合せ及び検査会社の指導,④ 各製鉄所で喫水検定項目が適切に行われていることの確認及び指導業務等であり,ドラフトサーベイに関する業務の厳正化に向けた改善活動の推進を内容とするものであった。(甲2,3,17,乙3)

イ 原告は,平成16年ころから,テクノリサーチ社の従業員として,ドラフトサーベイの是正活動に従事しており,平成19年2月ころには,「豪州定期船における問題点と是正対策の概略(案)」と題する書面を作成し,ドラフトサーベイの現状に問題点があることを指摘した上で,抜取りでドラフトサーベイを実施すること,入港時及び出港時に簡易サーベイを実施することなどの各種活動案を提示していた。(甲3,12,13)
ウ 原告は,平成19年11月ころ,被告の鉄工所の停泊地で水チューブを利用した傾斜計を紹介され,この方法によれば正確な測定をすることができるのではないかと考え,平成20年2月ころ,本件各発明の試作品である水チューブ測定器を作成した。原告は,その材料となるホース,リール,スケール等の部材をホームセンター等で購入し,後日,テクノリサーチ社から立替費用の支払を受けた。(甲26,乙4の1~14)
  原告は,同月22日,船会社の協力を得て,被告の製鉄所に入港した船舶にテクノリサーチ社のドラフトサーベイ担当者及び被告の関係者と共に乗船し,本件各発明に係る傾斜測定器(水チューブによる測定器)の試作品を用いた測定精度の調査等のテストを行った。この段階では,ホース内部の水に泡が発生したため,測定は失敗に終わった。原告は,同年3月1日ころ,水道水の代わりに沸騰させた水を用いることにより,泡の発生を防止することに成功した。(甲4,26,乙17の1及び2)
  原告は,同年4月4日,被告の製鉄所に入港した船舶に乗船して傾斜測定器のテストを行い,新日本検定協会への説明会を実施した。翌5日からは大分に出張し,被告の製鉄所で原料船に乗船し,オーストラリアにおける水チューブの使用状況について聞き取り調査を行った。原告は,その後も,テクノリサーチ社における自らの職場及び日本各地の被告の製鉄所等において,傾斜測定器の精度調査,取扱説明書の作成,他の傾斜計の見聞等を行った。(甲8,9,26,乙18)
エ 原告は,平成20年8月ころ,テクノリサーチ社に対し,本件各発明の実施品である傾斜測定器30台を外注により製作することを依頼した。テクノリサーチ社は株式会社イハラ等にその製作を発注し,同年10月ころに納品を受けた。テクノリサーチ社は,その製作及び補修費用として159万6000円を負担した。(甲26,乙5~8の各1及び2)
オ 被告は,本件各発明について,テクノリサーチ社との間の覚書に基づき,テクノリサーチ社が原告から承継した特許を受ける権利をテクノリサーチ社から承継したとして,平成22年1月4日に特許出願をした。被告は,特許出願に係る特許庁の手続費用及び代理人弁理士の手数料等を負担した。
  原告は,上記弁理士が出願手続をすることをあらかじめ了解していた。(乙2,9~12,19の1及び2)
 
(2) 上記事実関係によれば,本件各発明は,ドラフトサーベイをより正確かつ簡便に行うことのできる傾斜測定装置の発明であり,テクノリサーチ社が被告の委託を受けて行っていたドラフトサーベイの改善業務と直接関連するものであるから,その性質上,テクノリサーチ社の業務範囲に属すると認められる。
 また,原告は,テクノリサーチ社の従業員としてドラフトサーベイの改善業務に従事しており,その問題点を指摘して改善案を提示することが期待されていたのであるから,ドラフトサーベイを正確かつ簡便に行えるようにするための装置を発明することは,その職務に含まれると評価することができる。そして,原告が,テクノリサーチ社の費用負担の下,同社及びその親会社である被告の施設等において水チューブを用いた傾斜測定器の調査を行うことなどを通じて本件各発明を完成させたことに照らしても,これを発明するに至った行為は原告の職務に属すると判断することが相当である。
 そうすると,本件各発明は職務発明(特許法35条1項)に当たるから,本件各発明について特許を受ける権利は,本件発明考案規定に基づき,遅くとも本件各発明の特許出願がされた平成22年1月4日までに,原告からテクノリサーチ社に承継されたと認められる。
 
(3) これに対し,原告は,本件各発明はドラフトサーベイに用いるものであるところ,ドラフトサーベイは港湾運送事業法所定の許可を受けた者しか行うことができないから,その許可を受けておらず,将来的にも許可を受ける予定のないテクノリサーチ社の業務範囲に属することはなく,その従業員である原告の職務に属することもない旨主張する。
 そこで判断するに,ドラフトサーベイを行えるのが上記許可を受けた者に限られることと,ドラフトサーベイに関する業務の改善を図り,これに用いる装置の発明を行うことは別問題であって,許可を受けていない者が,ドラフトサーベイそれ自体を行うのではなく,その改善活動に携わり,装置の発明をすることが妨げられることはないと解される。
 したがって,原告の上記主張を採用することはできない。
 
【解説】
 退職した従業員が会社を相手取って職務発明の対価請求を求める訴訟は数多いが,本件は,特許を受ける権利の確認請求,より具体的には,元従業員が,会社の従業員時代に完成させた発明が自由発明であると主張して特許を受ける権利が自己に帰属すると争った事案であって,比較的珍しい類型の裁判である。
 職務発明に該当するためには,
  ①従業者の発明であること,
  ②使用者の業務範囲に属する発明であること,
  ③従業者の現在又は過去の職務に属する発明であること,
の各要件が満たされる必要がある(特許法35条1項)。
 本判決では,原告が本件各発明の発明者であることは争いがないとされた(上記①の要件)。また,上記判旨抜粋の(1)アにおいて,本件各発明の完成当時,原告が雇用されていたテクノリサーチ社が本件各発明に係るドラフトサーベイに関する業務を行っていたという事実が認定され(上記②の要件:原告提出の証拠を数多く採用されている。),上記判旨抜粋の(1)イ,ウ,エにおいて,平成16年ころから本件各発明の完成当時まで,原告はテクノリサーチ社においてドラフトサーベイに関する職務に従事しており,その職務遂行に基づき本件各発明が完成された事実が認定されている(上記③の要件:ここでも原告提出の証拠が数多く採用されている。)。
 こうした状況に鑑みると,本件事案においては職務発明性を争うことは難しかったように考える。上述のとおり,本件は比較的珍しい類型の裁判ゆえ紹介する次第であるが,原告としてこの訴訟を提起する目的(ゴール)として何を想定したのか(例えば,自由発明ゆえ特許を受ける権利は自己に帰属するとの判決を得た後で,当該権利を会社に売却しようと考えていたのであろうか)今ひとつはっきりしない。例えば,特許権が成立し,傾斜測定装置に関する事業が成功するのを待ってから,職務発明の対価請求を行うという手もあったかもしれない。

2013.6.20  (文責)弁護士 柳下彰彦