【ポイント】
実施可能要件(特許法36条4項1号)違反とされた審決が審決取消訴訟で取り消された事例。
【キーワード】
実施可能要件、未完成発明
 

【事案の概要】
・以下の特許請求の範囲の下線部につき、実施可能要件の充足性が問題となった。
【請求項1】蛍光体を含む蛍光体層と発光素子とを備え,前記発光素子は,360nm以上500nm未満の波長領域に発光ピークを有し,前記蛍光体は,前記発光素子が放つ光によって励起されて発光し,前記蛍光体が放つ発光成分を出力光として少なくとも含む発光装置であって,/前記蛍光体は,/Eu2+で付活され,かつ,600nm以上660nm未満の波長領域に発光ピークを有する窒化物蛍光体又は酸窒化物蛍光体と,/Eu2+で付活され,かつ,500nm以上600nm未満の波長領域に発光ピークを有するアルカリ土類金属オルト珪酸塩蛍光体とを含み,/前記発光素子が放つ光励起下において,前記蛍光体の内部量子効率が80%以上であることを特徴とする発光装置
 
・上記下線部に関する発明の詳細な説明は以下のとおりである。
(5) 発明を実施するための最良の形態
ア 赤色蛍光体及び緑色蛍光体,特に,緑色蛍光体は,波長360nm以上420nm未満の近紫外~紫色領域に発光ピークを有する紫色発光素子の励起下における内部量子効率だけでなく,波長420nm以上500nm未満の青色領域に発光ピークを有する青色発光素子の励起下における内部量子効率も高く良好なものは90ないし100%である(【0013】【図12】~【図18】)。
 
・審決
個々の蛍光体の内部量子効率がそれぞれ80%以上であることを要するとした上で,本件明細書の発明の詳細な説明には,内部量子効率が80%以上の赤色蛍光体が開示されていないから、本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,いわゆる実施可能要件(特許法36条4項1号)に違反すると認定した。
 
 
【争点】
内部量子効率80%以上の赤色蛍光体を実施不能とした判断の適否。
 
【判旨抜粋】
(1) 実施可能要件について
特許制度は,発明を公開する代償として,一定期間発明者に当該発明の実施につき独占的な権利を付与するものであるから,明細書には,当該発明の技術的内容について一般に開示する内容を記載しなければならない。特許法36条4項1号が実施可能要件を定める趣旨は,明細書の発明の詳細な説明に,当業者がその実施をすることができる程度に発明の構成等が記載されていない場合には,発明が公開されていないことに帰し,発明者に対して特許法の規定する独占的権利を付与する前提を欠くことになるからであると解される。
そして,物の発明における発明の実施とは,その物の生産,使用等をする行為をいうから(特許法2条3項1号),物の発明について上記の実施可能要件を充足するためには,明細書にその物を製造する方法についての具体的な記載が必要であるが,そのような記載がなくても明細書及び図面の記載並びに出願当時の技術常識に基づき当業者がその物を製造することができるのであれば,上記の実施可能要件を満たすということができる。
(2) 本件明細書の開示内容について
ア 本件審決は,本件構成3について,個々の蛍光体の内部量子効率がそれぞれ80%以上であることを要するとした上で,本件明細書の発明の詳細な説明には,内部量子効率が80%以上の赤色蛍光体が開示されていないとする。
確かに,前記2(2)アのとおり,本件明細書の発明の詳細な説明には,赤色蛍光体及び緑色蛍光体として使用できる具体的な物質が,内部量子効率を含む各特性を含めて記載されているところ,本件明細書に開示されている緑色蛍光体の内部量子効率は80%以上であるが,赤色蛍光体の内部量子効率は80%未満であり,したがって,本件明細書には,内部量子効率が80%以上の緑色蛍光体については記載されているが,内部量子効率が80%以上の赤色蛍光体については,直接記載されていないというほかない
しかしながら,前記1(8)のとおり,本件明細書には,赤色蛍光体及び緑色蛍光体の製造方法について,その原料,反応促進剤の有無,焼成条件(温度,時間)なども含めて具体的に記載されているのみならず,赤色蛍光体の製造方法については,本件出願時には製造条件が未だ最適化されていないため,内部量子効率が低いものしか得られていないが,製造条件の最適化により改善されることまで記載されているものである。そうすると,研究段階においても,赤色蛍光体について60ないし70%の内部量子効率が実現されているのであるから,今後,製造条件が十分最適化されることにより,内部量子効率が高いものを得ることができることが記載されている以上,当業者は,今後,製造条件が十分最適化されることにより,内部量子効率が80%以上の高い赤色蛍光体が得られると理解するものというべきである。
イ 証拠(甲5,12~17)によれば,蛍光体の製造方法において,製造条件の最適化として,結晶中の不純物を除去すること,結晶格子の欠陥を減らすこと,結晶粒径を制御すること,発光中心となる付活剤の濃度を最適化すること等により,蛍光体の効率を低下させる要因を除去することは,本件出願時において当業者に周知の事項であったと認められる。
したがって,本件明細書の発明の詳細な説明に内部量子効率が80%未満の赤色蛍光体が記載されているにすぎなかったとしても,当業者は,蛍光体の製造方法において,製造条件の最適化を行うことにより,赤色蛍光体についても,その内部量子効率が80%以上のものを容易に製造することができるものと解される。実際,証拠(甲18)によれば,本件出願後ではあるが,平成18年3月22日,内部量子効率が86ないし87%のCaAlSiN3:Euの赤色蛍光体が製造された旨が発表されたことが認められる。
ウ 以上によると,本件明細書の発明の詳細な説明には,当業者が内部量子効率80%以上の赤色蛍光体を製造することができる程度の開示が存在するものというべきである。
 
【解説】
本件特許出願時には技術的に可能でなかったといえるとしても、具体的製造方法の記載が一定程度あること、今後の製造条件最適化により実施可能であること、出願後1年4か月後には実施可能であったことを示す証拠等により、実施可能要件を充足するとした事例。製造条件最適化によって製造可能であることは記載されていることや、緑色蛍光体は製造可能に記載されていたことが、製造し得る程度の記載であるとの当該判断に影響したものと思われる。なお、出願後の証拠は、出願前も実施可能であった事実を間接的に立証する証拠と位置づけられ、それのみで製造可能だったことを示すものではないと思われる。
化学等の分野では、クレームに含まれるすべての物質につき各々実験結果を求めることなく特許されるものである。そうでなければ実施例そのものしか特許が付与されないこととなり、妥当でない結果をもたらす。したがって、内部量子効率が80%以上の赤色蛍光体につき直接記載がなかったとしても、一定程度の具体的製造方法の記載があること、製造可能とする筋道が示され、そのことは出願後の証拠からも裏付けられることから、実施可能要件を充足すると判断したことは妥当と考える。
なお、赤色蛍光体の部分については、発明未完成として特許法29条1項柱書違反に該当し得ないかも問題となり得るが、当業者が反復して目的達成不能であることが明らかであるとまではいえず、同号違反とはいえないと思われる。
2013.2.10 (文責)弁護士・弁理士 和田祐造