平成25年9月10日(知財高裁 平成24年(行ケ)第10425号)
【ポイント】
 当初明細書の趣旨が全体として舵取機室に主眼を置かれているとしても、バラスト水処理装置を「非防爆エリア」に配設する構成によって「各種制御機器や電気機器類の制約が少なくてすむ」という効果を奏する、ひとまとまりの技術的思想が実質的に記載されている以上、特許法17条の2第3項の要件を満たさないとした審決の判断は誤りであるとして、審決を取り消した事例
【関連条文】
特許法17条の2第3項


【事案の概要】
 原告らが特許出願段階においてした手続補正につき、無効審判において特許庁は、「『バラスト水処理装置を舵取機室に配設』するという本件出願当初の発明の要旨を逸脱し、新たな技術事項を導入したものと認められることになり、願書に最初に添付した明細書に記載された技術範囲を逸脱するものとなり、新規な事項に該当し特許法17条の2第3項の規定により特許を受けることができない」と判断し、無効審決をした。本件は、原告らが本件審決の取消しを求めた事案である。

1 特許庁における手続の経緯
 原告は、平成19年9月13日、発明の名称を「船舶」とする発明につき特許出願を行い、平成22年5月14日に特許権の設定登録がなされた(特許第4509156号、以下「本件特許」という。)。
 本件特許の出願過程においては、平成22年3月24日付けでの手続補正(以下「本件補正」という。)がされていた。
 被告らは、平成23年12月22日、本件特許の請求項1、2、4~7について無効審判を請求した(無効2011-800262号)。
 本件特許について、平成24年4月10日付けで、特許請求の範囲の訂正請求(甲225)があった。この訂正の内容は、請求項6を削除し、請求項7を6に繰り上げる訂正を含んでいる。
 特許庁は、平成24年11月5日、上記訂正を認めた上で、「特許第4509156号の請求項6に係る発明についての特許を無効とする。特許第4509156号の請求項1、2、4、5に係る発明についての審判請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同月15日、特許権者に送達された。

2 本件発明の要旨
  本件の争点となっている請求項6のみを示す。なお、請求項6は、本件補正において新たに追加された請求項である。
【請求項6】(訂正前請求項7を繰上げ)
 バラスト水の取水時または排水時にバラスト水中の微生物類を処理して除去または死滅させるとともにバラスト水が供給されるバラスト水処理装置を備えている船舶であって、
 バラスト水が供給される前記バラスト水処理装置が船舶後方の非防爆エリアで、船舶の吃水線より上方かつバラストタンクの頂部よりも下方に配設されていることを特徴とする船舶。

「非防爆エリア」については、【0030】が唯一の記載である。
【0030】
 舵取機室9は非防爆エリアであるから,各種制御機器や電気機器類の制約が少なくてすむという利点もある。

3 本件審決の理由の要旨
 29条の2、29条2項については理由なしとされたため、17条の2第3項についての要旨のみを示す。
 請求項6に係る発明は、願書に最初に添付した明細書、特許請求の範囲および図面に記載した事項の範囲外の発明であるから、特許法17条の2第3項の規定により特許を受けることができない。
 「『非防爆エリア』という語は、当業者において『非危険区域』や『非危険区画』と解釈できたとしても、『バラスト水処理装置』は舵取機室9以外に具体的にどの場所に配設すると特定しているものではないから、船舶後方の舵取機室9以外の『非危険区域(非危険区画)』ならどの場所(機関室も含む)でもよいことになる。このことは、『バラスト水処理装置を舵取機室9に配設』するという本件出願当初の発明の要旨を逸脱し、新たな技術事項を導入したものと認められることになり、願書に最初に添付した明細書に記載された技術範囲を逸脱するものとなり、新規な事項に該当し特許法17条の2第3項の規定により特許を受けることができないものである。したがって、本件発明6は特許法123条1項1号の規定により無効とすべきである。」

【争点】
 明細書に例示されている事項以外の補正が新規事項の追加にあたるか否か

【判旨抜粋】
1 当初明細書の記載事項
 当初明細書の全体的な要旨としては、バラスト水処理装置の配設場所について、舵取機室に主眼が置かれたものであり、「非防爆エリア」に関しては、【0030】に唯一記載があるものの、その意味を含む具体的な内容については、舵取機室以外の例示はないことをまず指摘することができる。しかし、「非防爆エリア」に関する記載がこのように当初明細書にあるので、その意味するところを以下に検討する。

2 出願時の技術常識の参酌
 甲101~103、甲208~211によれば、本件出願時点において、「非防爆エリア」という用語は、船舶の分野で一般的に用いられている用語であると認められ、危険場所(危険区画又は区域)の反対語である非危険場所と同義であり、防爆構造が要求されない領域、すなわち、電気機器の構造、設置及び使用について特に考慮しなければならないほどの爆発性混合気が存在しない区画又は区域を意味するものと認められる。
 本件出願時点において、当業者にとって、船舶のどの場所が「非防爆エリア」であるかについても、以下の理由により明確であると認められる。
 すなわち、甲101(財団法人日本海事協会「2007 鋼船規則 鋼船規則検査要領 H編 電気設備」)には、タンカー、液化ガスばら積船及び危険化学品ばら積船のそれぞれについて、0種、1種及び2種の三段階で危険場所を分類しなければならないことが記載されており、どこを危険場所とすべきについても、危険場所の段階毎に具体的に例示されている。
 また、甲215(日本規格協会「JIS 船用電気設備-第502部:タンカー-個別規定」)には、危険区域の分類について詳細な規定が定められており、危険区域の分類の例についても具体的に図示されている。
 さらに、危険区域の分類については、甲216(日本規格協会「爆発性雰囲気で使用する電気機械器具-第10部:危険区域の分類」)においても詳細に定められている。
 これらの甲101、215、216に照らせば、本件出願時点において、当業者にとって、船舶のどの場所が危険場所又は区域になるのかは明確であり、そうである以上、危険場所又は区域ではない「非防爆エリア」がどこかも明確であるというべきである。
 また、甲101、215、216は、船舶を設計するにあたって遵守すべき基本指針に関するものであるから、本件出願時点において、「非防爆エリア」の意味はもとより、その具体的な場所についても、当業者の技術常識で
あったものと認めて差し支えない。

 上述したように、当初明細書において、「非防爆エリア」という用語の意味が記載されておらず、操舵機室以外に「非防爆エリア」の例示は存在しない。しかし、上記技術常識に照らせば、当初明細書に接した当業者は、「非防爆エリア」の意味や場所を明確に理解できるというべきである。また、当初明細書において、「非防爆エリア」という用語が一般的な意味、すなわち、「電気機器の構造、設置及び使用について特に考慮しなければならないほどの爆発性混合気が存在しない区画又は区域」という意味で用いられていることは、【0030】の「舵取機室9は非防爆エリアであるから、各種制御機器や電気機器類の制約が少なくてすむという利点もある。」という記載と整合することからも明らかである。

3 【0030】の記載事項
 本件発明6の構成である「非防爆エリア」について、前記のとおり、当初明細書の【0030】に、「また、舵取機室9は非防爆エリアであるから、各種制御機器や電気機器類の制約が少なくてすむという利点もある。」と記載されている。
 ここに記載された利点は、文理上、舵取機室の副次的な効果として述べられている。しかし、当該記載に接した当業者は、この効果は舵取機室に限定されるものではなく、舵取機室とは別次元の「非防爆エリア」の一般的な効果として理解するというべきである。その理由は、以下のとおりである。
 まず、「非防爆エリア」の意味およびその具体的な場所が当業者の技術常識であることは、上述したとおりである。「非防爆エリア」は、「電気機器の構造、設置及び使用について特に考慮しなければならないほどの爆発性混合気が存在しない区画又は区域」を意味するから、「非防爆エリア」であれば、そこに配置される電気機器の構造、設置及び使用について特に考慮する必要がないことは当然で、その結果として、「各種制御機器や電気機器類の制約が少なくてすむという利点」があることも明白である。すなわち、「各種制御機器や電気機器類の制約が少なくてすむという利点」は、「非防爆エリア」の裏返しであって、「非防爆エリア」が備える当然の効果を述べているものである。
 そうすると、当初明細書の趣旨が全体として舵取機室に主眼を置かれており、【0030】の記載が操舵機室の効果を文理上述べているとしても、【0030】の記載に接した当業者は、「各種制御機器や電気機器類の制約が少なくてすむという利点」が舵取機室特有の効果であると理解することはなく、舵取機室には限定されない、より広義の「非防爆エリア」に着目した効果であると即座に理解するものと認めることができる。そして、かかる理解の下、「非防爆エリア」についても、舵取機室とはほとんど無関係な単独の構成として理解するというというべきである。
 よって、【0030】の記載から、バラスト水処理装置を「非防爆エリア」に配設する構成によって、「各種制御機器や電気機器類の制約が少なくてすむ」という効果を奏する、ひとまとまりの技術的思想を読み取ることができ、本件発明6の「非防爆エリア」は、【0030】において実質的に記載されているというべきである。「非防爆エリア」の構成について特許法17条の2第3項の要件を満たさないとすることはできない。

【解説】
1 本件判決における新規事項追加の判断手法
 本件補正によって請求項に追加補正された「非防爆エリア」が新規事項の追加にあたるか否かにおいて、知財高裁はまず、明細書の全体的な要旨を認定し、舵取機室に主眼が置かれたものであるとした。そのうえで、「非防爆エリア」という言葉自体は【0030】に記載があるものの、その具体的な内容については、舵取機室以外に例示がないことを認定した。すなわち、判断手法においては、まず、明細書の記載そのものから「非防爆エリア」の内容を確定できるか否かを判断したのである。
 次に、知財高裁は、出願時の技術常識を参酌したうえで、「非防爆エリア」という用語の意義を確定し、「非防爆エリア」の具体的な場所について、当業者の技術常識であったと認めた。すなわち、「非防爆エリア」は、例示のある舵取機室に限定されないとの解釈を示した。
 そして最後に、改めて唯一の記載である【0030】に触れ、やはり「非防爆エリア」は、例示のある舵取機室に限定されないと認定した。

2 考察
 ある文言の内容が、明細書中において例示として一つしか挙げられていない場合であっても、出願時の技術常識や、明細書の要旨、発明の効果などを総合考慮して、文言の内容は例示に限定されないとした判断であり、実務上非常に参考になる。出願段階において、知財実務担当者としては、考えうるあらゆる実施例を考慮して発明をとらえるべきだが、出願段階では通常、製品化されていないため、あらゆる実施例を想定することは難しい場合も多い。
 実務では、ある文言aの代わりに、その上位概念である文言Aを請求項で用いて、広い権利を取得したいが、実施例では文言aでの説明しか記載がないという場合がある。かかる場合に、文言Aを追加補正することが、新規事項の追加にあたるか否かがしばしば問題となる。そのような場合において、出願時の技術常識や発明の効果を詳細に検討し、発明の本質は何なのかを見極めて判断した知財高裁の認定は至極妥当である。
 特許に関わる者としては、明細書の記載から即断するのではなく、その記載から読み取ることができる発明の本質や技術的思想を常に考慮すべきであり、裁判所の考え方もそうであることを念頭に置いておくべきだろう。

(文責)弁護士 幸谷泰造