≪「特許を受ける権利の譲渡の対価を3500万円とする合意の成立は認められない」とする大阪地裁の裁判例です。≫
【判旨】
 本件においては,原告が主張するような,本件譲渡の対価に関する合意が成立したとは認められない。
【キーワード】
 特許権を受ける権利の譲渡契約の対価,職務発明,特許法35条,大阪地裁第21民事部判決

【事案の概要】
 本件は,原告が,原告方式を採用した発明に係る特許を受ける権利を被告に譲渡する際,原告方式によって得る利益に応じた相当の対価を被告が支払う旨の合意があり,当該対価は3500万円を下らない旨主張して,同合意に基づき,被告に対し,金3500万円及びこれに対する平成23年10月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

 争いがないか,各証拠及び弁論の全趣旨から認められる事実は以下のとおりである。

(1) 当事者
 被告は,産業機械やそのシステムの開発・製造等を行う株式会社である。
 原告は,被告の従業員として生産技術業務に従事していたが,平成12年6月,被告在籍のまま被告の子会社である栄運輸の社長に就任し,同年10月に被告を退職して,栄運輸の社長に専従した。
(2) 原告方式の発明
 平成14,15年頃,丸一鋼管株式会社(以下「丸一鋼管」という。)から被告に対し,パイプを加工してテーパーポールを製造する設備(以下「本件加工機」という。)の引合いがあり,その中で,パイプ素材を自動的に把持し,20トンの張力に対応できる本件加工機用の自動チャック装置を開発する必要が生じた(以下「本件チャック開発」という。)。
 被告は,上記のような自動チャック装置を開発したことがなかったため,被告の産機事業部長であったP2(以下「P2部長」という。)は,平成15年夏頃,当時栄運輸の社長であり,被告在籍中にパイプ加工機の製造に関与したことのある原告に,本件チャック開発を依頼した(その依頼の内容,趣旨については争いがある。)。
 原告は,その後,パイプに張力がかかるとより大きな把持力を生じさせる自動チャック装置の構造を発明し(これを「原告方式」といい,原告方式による自動チャック装置を「本件チャック装置」という。),平成15年9月20日付けでその基本となる構想を記載した図面を,定規等を用いて作成し,さらに,パイプサイズの変更に短時間で対応し得る装置の構想を手書きにより加筆し,同月26日,P2部長らに交付した(乙7。以下「乙7構想図」という。)。また,原告は,同年10月2日頃にも,原告方式に関する図面(乙8)を作成し,これを被告に交付した。
(3) 原告方式に係る特許出願及び本件譲渡
 被告は,原告方式を特許性のある発明と考え,平成15年12月3日,特許出願人を被告,発明者を原告として特許出願し(特願2003-404580。甲2),同月8日頃,原告に対し,原告方式に係る特許を受ける権利(以下「本件特許を受ける権利」という。)を被告に譲渡する旨の同月1日付け譲渡証書を作成させた(甲4。以下「本件譲渡証書」といい,本件譲渡証書に係る譲渡を「本件譲渡」という。本件譲渡の趣旨については争いがある。)。
(4) 第1号機の受注及び原告の詳細設計
 被告は,平成16年2月25日,丸一鋼管から本件加工機一式を2億8000万円で受注し,検討の結果,原告方式による本件チャック装置を採用することとし,同年7月頃,原告に対し,本件チャック装置の詳細設計を依頼した。
 原告は,同月初旬頃から,被告事務所内の設計スペースに赴き,同年8月頃までに本件チャック装置の詳細設計を行い,被告に図面を交付した。
 被告は,本件チャック装置を用いて本件加工機を製造し(以下「第1号機」という。),平成16年9月以降,順次,丸一鋼管に納品を開始し,検収を経て,平成17年4月,2億8000万円の支払を受けた。
(5) 特許登録及び原告への支払
 被告は,平成16年10月27日,発明の名称を「テーパー鋼管製造装置用のパイプ材把持装置」とする発明(以下「本件発明」という。)について,特許出願人を被告,発明者を原告とし,平成15年12月3日付け前記出願を優先権主張の基準日とする特許出願をしたところ(特願2004-311755),平成17年7月14日に出願公開され,平成19年4月27日に設定登録された(甲1,2)。
 原告は,平成16年10月末をもって栄運輸を退職し,同年11月1日付けで被告と技術顧問委嘱契約を締結し,平成21年3月まで月額の報酬を受け,平成17年12月から平成20年12月まで年2回の賞与を受けた。
 被告は,平成16年6月20日付けで,本件チャック装置の設計を代金130万円(税抜き),納期同年8月31日で原告に発注する旨の注文書を作成し(甲6),平成17年4月28日,原告に136万5000円(税込み)を支払った。
(6) 第2号機の発注
 被告は,第1号機を納品した後頃,丸一鋼管より,さらに本件チャック装置を用いた本件加工機の発注を受け,平成20年9月頃までにこれを納品し,3億7500万円の支払を受けた(以下「第2号機」という。)。

【争点】
 本件譲渡の際,原告方式によって得る利益に応じた相当の対価を支払う合意が成立したか。またその対価の額。

【判旨抜粋】
3 争点についての判断
(1) 前記・・・の認定及び判断を前提に,本件譲渡に関し,平成15年10月頃,原告方式が実用化・製品化された場合には,被告の職務発明規定が利益変動型であることから,被告従業員ではない原告に対し,被告が得る売上げ又は利益の10%を対価として支払う旨の合意があったとの原告の主張が認められるかにつき検討する。(2)ア 前記1(2)で認定したところによれば,原告による本件チャック開発は,原告に対し具体的な契約条件(報酬,納期等)を明示して開始されたものではなく,原告と被告の担当者(P2部長)との人的な関係を背景にして,P2部長が原告に依頼し,原告がこれに応じる形でされたものといえる。原告は,被告において,利益変動型(上限額なし。)の実績報奨金が支給される旨の職務発明規定が創設されたことを知り,そのことが,本件チャック開発に携わる動機の一つであったと述べていることなどに照らせば(甲45・2頁),遅くとも本件譲渡の時点で,原告は,原告方式が採用された場合には,職務発明規定を参考にしつつ,原告が従業員ではないことを考慮して,被告から利益変動型の高額の報酬が支払われる可能性がある旨の期待を有していたということは認められる。

 しかしながら,原告は,平成15年9月に乙7構想図を提出しているが,この時点では,丸一鋼管からの正式な発注はなく,原告方式を丸一鋼管の製品に採用するか否か,原告方式について特許出願をするか否か,被告がどの程度利益を得られるかについては確定しておらず,本件譲渡の対価に関する何らかのやり取りがされた形跡も認められない(なお,原告は,P3課長から,原告方式について職務発明規定が適用できる旨の話を聞いた旨供述するが,仮にそのような事実があったとしても,原被告間で具体的な合意があったとまでは認められない上,当該事実は,原告の主張する合意内容とも異なるものである。)。その後,被告は,平成15年12月に,原告方式について特許出願をしているが,この時点でも,原告方式を丸一鋼管の製品に採用するか否かも確定していない等の前記状況に変化はなく,譲渡対価に関するやり取りがされた形跡も認められない。原被告間で,本件チャック開発に関し,初めて具体的に報酬に関するやり取りがあったと認められるのは,平成17年4月頃に136万5000円が支払われたときであるが,前述のとおり,当該金額は,詳細設計に対応するものであり,本件譲渡の対価が含まれないことは前述のとおりである。
 そもそも,原被告間では,本件譲渡に関しては本件譲渡証書が作成され,本件チャック装置の詳細設計に対する対価や技術顧問としての報酬の支払に関しても,いずれも書面が作成されており,仮に本件合意が成立したとすれば,乙7構想図を被告に交付した時点,原告方式について特許出願し,本件譲渡証書を作成した時点,詳細設計の図面を被告に交付した時点,本件発明について特許出願した時点,被告と技術顧問契約を締結した時点,あるいは,詳細設計の対価の支払を受けた時点で,本件譲渡に対する対価が未清算であり,その点を明確にする必要があるとして,被告に合意書,契約書の作成を求めることは可能であり,本件合意が実際に成立していたとすれば,被告においてもこれを拒むことはできなかったはずであるが,本件合意を内容とする書面が作成された事実は認められず,原被告間に上述のようなやり取りがあったとも認められない。
 また,本件合意は,上記のとおり,本件加工機がどのようになるかが未確定な時点で,被告が将来的に,原告に対し多額の変動する債務を負担することを内容とするものであるが,このような合意の成立に関し,原告は,被告の代表権を有する者,あるいは少なくとも,契約締結について決裁権限を有する者との間で明示的に交渉した旨を述べておらず,原告がそう認識していた旨を述べ,被告の担当者であるP2部長やP3課長も同様の認識であったと主張するにすぎない。
 さらに,仮に本件合意が成立しているとすれば,第1号機の検収が終了した平成17年4月の時点,あるいは遅くとも第2号機が納品された平成20年頃の時点で,被告に対し,本件合意に基づく対価を要求し得るところ,原告がこれを要求したのは,技術顧問としての報酬が支給されないこととなった平成21年3月以降のことであるし,前記認定のとおり,その交渉の過程で,原告は自身の貢献を考慮すべきことは主張したものの,平成15年10月頃に本件合意が成立した旨の主張はしていない。
 以上を踏まえると,平成15年10月頃,原被告間で,本件譲渡の対価を,被告の利益に応じて支払う旨の明示的な合意が成立したと認めることはできない。
イ また,被告の職務発明規定について,原告は,従業員ではないことを考慮して,利益変動型の高額の報酬が支払われる可能性がある旨期待していたとするが,当該職務発明規定は,当該発明に関して利益があった場合であっても,権利に係る部分の製品全体中の原価割合,営業価値(客先へのアピール度),技術価値(技術の独占的優位性),コストダウン効果等の諸事情を踏まえて,報奨金額を算定するものとされており(甲5,乙15),当該発明が製品化されて利益が出た場合であっても,直ちに高額の報奨金が認められるようなものでもないことから,原告が抱いていた上記期待は,被告において理解されていたとまでは認められない。
 本件では,原告と被告との従前の関係,原告が本件チャック開発を依頼された経緯,本件譲渡当時,職務発明規定が創設されていたこと,平成21年以降,被告から原告に対し,本件発明に関し,職務発明の実績報奨金を支払う旨の連絡がされていること等を踏まえると,平成15年12月当時,本件譲渡の対価について,原被告では,将来的に,被告の職務発明規定に従って譲渡対価を計算することがあるという程度の共通認識があった可能性はあるが(なお,本件訴訟で,原告は,被告の職務発明規定に従って算出した対価を請求するものではなく,むしろ,従業員ではない原告について,被告の職務発明規定に従った算定をすることを否定する主張をしている。),これを超えて,原被告間で,本件譲渡の対価を丸一鋼管への売上げ又は販売利益の10%とする旨の黙示の合意が成立していたと評価すべき事情はないといわざるを得ない。
【解説】
 本件事案では,原告は,被告を退職した後に原告方式に係る発明を完成させているので,同発明は「その使用者等における従業者等の現在又は過去の職務に属する発明」とはならず,職務発明(平成16年改正前の特許法35条1項)には該当しない。
 こうした事情があったためか,原告は,平成15年10月頃(国内優先権の基礎となる出願がされる同年12月3日の2ヶ月前頃)に,自己が保有する特許を受ける権利を,被告が将来得る売上げ又は利益の10%を対価とすることを条件として被告に譲渡したと主張した。
 しかし,発明に基づく事業(装置の受注)の見通しが具体的に立っておらず,当該事業に基づく利益も全く発生していない時点で,口頭にて,売り上げ又は利益の10%を対価とする合意(譲渡契約)が成立したとの主張は,経験則に鑑みても認められにくいと考える。
 むしろ,本判決では「原告が本件チャック開発を依頼された経緯,本件譲渡当時,職務発明規定が創設されていたこと,平成21年以降,被告から原告に対し,本件発明に関し,職務発明の実績報奨金を支払う旨の連絡がされていること」の各事実が認められ,上記判旨抜粋の欄では紹介しなかったが,「被告は,平成21年8月19日頃,原告に対し『実績報奨金額の妥当性について』と題する書面を送付し,その中で報奨金額は5万円(4級)と決定する旨述べた(甲5)。」との事実も認定されている。
 こうした状況に鑑みれば,原告としては,本件事案においては,原告・被告間で原告方式に係る発明を「職務発明」として扱うことの合意(平成16年改正前の特許法35条を適用するとの合意)があったと主張し,オリンパス事件(最判平成15年4月22日)の判示(※)を参酌し,5万円とされた実績報奨金額の妥当性(平成16年改正前の特許法35条3,4項の「相当の対価」の相当性)を争うという法律構成もあり得た。そして,第1号機及び第2号機の合計売り上げが6億5500万円(=2億8000万円+3億7500万円)であることを考えると,例えば,この合計売り上げの5%(=3275万円)が「相当の対価」であると主張することもあり得たと考える。裁判所にこうした主張を認めてもらうためには,未だいくつかのハードルを越える必要はあると考えるが,本件事案の事実からすれば上記法律構成を予備的に主張するという訴訟追行もあり得たと考える(もっとも,本件ではこうした点も検討した上で上記の原告主張となったのかもしれない。)。

※・・・オリンパス事件の判示(要旨)
勤務規則等に定められた対価は,これが(平成16年改正前の)特許法35条3項,4項所定の相当の対価の一部に当たると解し得ることは格別,それが直ちに相当の対価の全部に当たるとみることはできないのであり,その対価の額が同条4項の趣旨・内容に合致して初めて同条3項,4項所定の相当の対価に当たると解することができるのである。したがって,勤務規則等により職務発明について特許を受ける権利等を使用者等に承継させた従業者等は,当該勤務規則等に,使用者等が従業者等に対して支払うべき対価に関する条項がある場合においても,これによる対価の額が同条4項の規定に従って定められる対価の額に満たないときは,同条3項の規定に基づき,その不足する額に相当する対価の支払を求めることができると解するのが相当である。

 
 (文責)弁護士 柳下彰彦