【判旨】
本願発明に係る特許請求の範囲に記載された「cは0を含まない0~0.8である」との文言について,その技術的意義が一義的に明確に理解することができないものということはできないし,原告が挙げる本願明細書の記載(【0012】)に照らしても,一見して特許請求の範囲の上記文言が誤記であるということもできないから,本願発明の認定は,特許請求の範囲の記載に基づいてなされるべきである。
そうすると,本願発明に係る特許請求の範囲の上記文言は,cが0に限りなく近い小さな値から0.8の範囲であることを意味するものというべきであって,原告の主張は,採用することができない。
【キーワード】
発明の要旨認定,リパーゼ判決,進歩性,特許法29条2項,4部判決
本件は,拒絶審決の審決取消請求事件である。
特許出願人(原告ら)は,発明の名称を「配線構造の形成方法,配線構造およびデュアルダマシン構造」とする発明について特許出願をしたものの拒絶査定を受け,拒絶査定不服審判を請求した。しかし,特許庁は,本願発明(後記の請求項6に係る発明)は,引用発明及び周知技術に基づき当業者が容易に想到できるとして,「本件審判の請求は,成り立たない」との審決をしたため,原告らは当該審決の取消を求めた。
以下が本願発明(請求項6に係る発明)である。
【請求項6】
導電部材を有する基板と,
前記基板上に存在し,少なくとも1つの応力調整層が内部に介在される複合低k誘電体層と,
前記複合低k誘電体層に形成され,前記少なくとも1つの応力調整層を貫通して,前記導電部材を電気的に接続する導電機構と,
から構成され,前記複合低k誘電体層内の応力を調整する前記応力調整層は,酸素を含有する炭化シリコン(SiaCbOc)で構成され,
前記aは0.8~1.2であり,前記bは0.8~1.2であり,前記cは0を含まない0~0.8であることを特徴とする配線構造。
また,特許庁が認定した引用発明との一致点,相違点は以下のとおりである。
[一致点]
導電部材を有する基板と,
前記基板上に存在し,少なくとも1つの応力調整層が内部に介在される複合低k誘電体層と,
前記複合低k誘電体層に形成され,前記少なくとも1つの応力調整層を貫通して,前記導電部材を電気的に接続する導電機構と,
から構成され,前記複合低k誘電体層内の応力を調整する前記応力調整層は,ケイ素と炭素を含む組成物であることを特徴とする配線構造
[相違点]
本願発明は,応力調整層の材料は,「酸素を含有する炭化シリコン(SiaCbOc)で構成され,
前記aは0.8~1.2であり,前記bは0.8~1.2であり,前記cは0を含まない0~0.8」であるのに対して,
引用発明では,「主成分が炭化ケイ素(SiC)のBlok」である点
(下線は筆者が付した。)
【争点】
【判旨抜粋】
4 本願発明の容易想到性について
(1) 本願発明の認定について
ア 本願発明に係る特許請求の範囲には,「複合低k誘電体層内の応力を調整する前記応力調整層は,酸素を含有する炭化シリコン(SiaCbOc)で構成され,前記aは0.8~1.2であり,前記bは0.8~1.2であり,前記cは0を含まない0~0.8である」との記載がある。このうち,「前記cは0を含まない0~0.8である」との記載は,その文言に照らして,cが0に限りなく近い小さな値から0.8の範囲であることを意味するものと認めるのが相当である。
イ 原告の主張について
(ア) 原告は,本願明細書(【0012】)には「応力調整層は,酸素を含有する炭化シリコン(SiaCbOc)…で構成される。」との記載があるから,当業者であれば,特許請求の範囲に記載された「cは0を含まない0~0.8である」との文言についても,酸素をその効果が発揮できる程度に意図的に含有させたものを示すものと容易に想像することができる旨主張する。
しかしながら,本願発明に係る特許請求の範囲に記載された「cは0を含まない0~0.8である」との文言について,その技術的意義が一義的に明確に理解することができないものということはできないし,原告が挙げる本願明細書の記載(【0012】)に照らしても,一見して特許請求の範囲の上記文言が誤記であるということもできないから,本願発明の認定は,特許請求の範囲の記載に基づいてなされるべきである。
そうすると,本願発明に係る特許請求の範囲の上記文言は,cが0に限りなく近い小さな値から0.8の範囲であることを意味するものというべきであって,原告の主張は,採用することができない。
(イ) 原告は,本願発明に係る特許請求の範囲に記載された「酸素を含有する炭化シリコン」とは,意図的に酸素を含有させることを意味し,不可避的に微量の酸素が含まれるような場合を想定しておらず,本願発明の効果は,不可避的に含まれる微量の酸素に加えて酸素を含有させることで得られるものであるから,仮に,Blokが不可避的に微量の酸素を含むものであるとしても,本願発明の「酸素を含有する炭化シリコン」とは異なるものであるなどと主張する。
しかしながら,本願発明の特許請求の範囲には,「酸素を含有する炭化シリコン」が意図的に酸素を含有させたものであるとは記載されていないし,本願明細書にも,「酸素を含有する炭化シリコン」が意図的に酸素を含有させるものであることの記載や示唆はない。
したがって,原告の主張は,採用することができない。
(2) 容易想到性について
ア 前記3(1)及び(2)のとおり,Blokが有機ケイ素ガスを用いたPECVD法により形成されたSiC膜であること及びPECVD法によって形成されたSiC膜中に,不可避的に酸素が含まれることは,本件出願に係る優先権主張日当時,集積回路用の配線構造の技術分野において周知の事項ないし技術常識であったものである。
そして,引用発明において応力再分配層の材料となるSiC膜について,これに不可避的に混在する酸素を考慮して,本願発明と同様の組成式で表すと,SiaCbOc(a≒1,b≒1,c:不可避に混在する程度の微量)となることは当業者にとって自明であるところ,酸素の組成比は,引用発明では不可避的に混在する程度の微量であるが,本願発明においても,前記のとおり,0に限りなく近いもの,すなわち不可避的に含まれるような微量の場合を含むものであるから,本願発明と引用発明との間に,酸素の構成比において実質的な相違はない。
また,本願明細書には,実施例において,圧縮応力を有する少なくとも1つの応力調整層を形成することにより,配線構造を構成する低k誘電層により生じる引張り応力は調整され,低k誘電体を利用する場合,配線構造の信頼性を向上しつつ,ダマシン構造に発生するような問題を防止することができるとの作用効果は記載されているものの,応力調整層の組成比について,「a=0.8~1.2,b=0.8~1.2」との数値限定を設定することの根拠については何ら記載されておらず,その臨界的意義を認めることはできない。
したがって,相違点に係る本願発明の構成は,当業者であれば,引用発明及び本件出願に係る優先権主張日当時の技術常識に基づき,容易に想到することができたものである。
【解説】
本判決の特徴は,本願発明(本願発明の要旨)の認定に際し,「本願発明の認定は,特許請求の範囲の記載に基づいてなされるべきである」と明示的に判示し,発明の詳細な説明中の【0012】の記載を参酌して発明の要旨を認定すべきとする原告の主張を排斥した点にある。
リパーゼ判決(最高裁平成3年3月8日第二小法廷判決)で,
「特許法29条1項及び2項所定の特許要件,すなわち,特許出願に係る発明の新規性及び進歩性について審理するに当っては,この発明を同条1項各号所定の発明と対比する前提として,特許出願に係る発明の要旨が認定されなければならないところ,この要旨認定は,特段の事情のない限り,願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか,あるいは,一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って,明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。」
と判示されたとおり,発明の要旨の認定は,特許請求の範囲の記載に基づいてなされ,発明の詳細な説明の記載は原則として参酌してはならないというのが確立した判例理論である。
こうした観点に立てば,本判決はリパーゼ判決の考え方を踏襲したに過ぎないということになる。しかし,裁判官,学者,及び実務家の中には,特許発明の技術的範囲が,明細書・図面の記載を参酌してなされる(特許法70条2項)ことを考慮し,発明の要旨認定においても明細書・図面の記載の参酌がより柔軟に許容されるべき(発明の要旨認定の認定と,特許発明の技術的範囲の認定との間の平仄をとるべき)として,リパーゼ判決の射程を限定する,リパーゼ判決の「特段の事情」の適用可能性を検討してズレをなくすべき等の考え方が示されている(例えば“発明の要旨の認定と技術的範囲の解釈,さらに均等論の活用” 飯村敏明判事 パテント2011 Vol.64 No.14 p.57-70)。また,昨年なされたプロダクトバイプロセスクレームに関する大合議判決(知財高裁H24年1月27日判決)においても,確認的に,プロダクトバイプロセスクレームの発明の要旨認定と技術的範囲の解釈との間に齟齬はないという判示がなされている。
つまり,近時の知財高裁には,発明の要旨認定につき,リパーゼ判決の考え方に拘泥することなく,明細書・図面の記載も参酌して行うべきという問題意識があると推測されるが,こうした中で本判決はリパーゼ判決の考え方に立つことを明示的に示したおり,非常に興味深い。
もっとも,本判決においても,審決取消訴訟の判決のスタイルに則り,明細書の記載を詳細に検討した上で本願発明の意義を解釈し(上記判決の紹介ではこの点は割愛した。),原告の主張に対して「本願明細書にも,『酸素を含有する炭化シリコン』が意図的に酸素を含有させるものであることの記載や示唆はない。」と判示しており,明細書の記載を参酌しても原告の主張は認められないとはしている。この判示は,上記の知財高裁の問題意識に基づくものかもしれないが,むしろ,明細書の記載を一切参酌しないことを,審理不尽等の上告受理申立理由とされてしまうことを避けるためではないかとも考えられる。