平成25年10月16日判決(最高裁 平成25年(行ケ)第10064号)
【判旨】
施策情報の上記の記載が,審尋に対する回答書に記載された補正案が「一見して特許可能であることが明白である場合」に,当該補正案を当然に審理の対象とすることを意味するものと解することはできないと判断した事例。
【キーワード】
前置報告(書)、特許庁の施策、前置報告を利用した審尋


【事案の概要】
 原告は,・・・発明につき,平成18年9月19日を出願日とする特許出願(特願2006-252174号。パリ条約に基づく優先権主張・平成17年9月16日,フランス国。以下「本願」という。)をした。原告は,平成21年3月25日付けで拒絶理由の通知を受けたので,同年9月30日付けの手続補正書により,特許請求の範囲の補正をした。原告は,同年12月9日付けで拒絶の査定を受け,平成22年4月14日,拒絶査定に対する不服の審判(不服2010-7919号)を請求するとともに,同日付けの手続補正書により,特許請求の範囲の補正をするとともに(以下「本件補正」という。また,本件補正前の明細書を「補正前明細書」と,本件補正後の明細書を「補正後明細書」という。),同月19日付けの手続補正書により審判請求書の請求の理由を補正した。その後,同年8月9日付けで前置報告書が作成された。原告は,審判長に宛てて,平成23年1月11日付けで補正案(以下「本件補正案」という。)を記載した上申書(甲19。以下「本件上申書」という。)を提出した。原告は,平成24年1月11日付けの審尋の送付を受け,同年7月17日付け回答書(甲21。本件上申書に記載されたものと同内容の補正案(本件補正案)の記載がある。以下「本件回答書」という。)を提出した。
 特許庁は,平成24年10月22日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本を,同年11月6日,原告に送達した。
(下線等の修飾は筆者による。以下同様。)

【審決の理由】
 審決の理由は,別紙審決書写しのとおりである。審決は,要旨,本件補正は,平成18年改正前特許法17条の2第5項において準用する同法126条5項の規定に違反してなされたものであるから,同法159条1項において読み替えて準用する同法53条1項の規定により却下すべきものであるとした(以下略)。

【争点】
 補正案発明が施策情報にいう「補正案が一見して特許可能であることが明白である場合」に該当した場合には、審決が、補正案発明について審理しなければならないか。また、本件において当該場合に該当するか否か。

【判旨抜粋】   
 原告は,施策情報には,「補正案が一見して特許可能であることが明白である場合には,審判合議体の裁量により,補正案を考慮した審理を進めること」があり得る旨の記載があり,審判請求人は施策情報に記載されている内容が実行されることを期待して回答書を提出しているので,この施策情報に記載されている内容が実行されない場合,又は,実行された結果の記載がない場合は,行政庁が国民に対する義務を怠ったことになるといわざるを得ない,補正案発明は,一見して特許可能であることが明白である場合に該当するので,補正案発明に対する判断を示さないことは判断の遺漏であり,その結果,審決は,本願に係る発明の進歩性を誤って否定したものであるので,違法である旨主張する。
 そして,施策情報の「(注3)補正案について」には次の記載があることが認められる(甲22)。
 「前置審尋は拒絶理由通知ではないので,審判請求人は,審尋に対する意見を回答書により述べることはできますが,補正の機会が与えられるものではありません。前置審査での審査官の見解に対して,これを回避する補正案が回答書により提出されたとしても,補正ができるのは原査定が維持できず,新たに拒絶理由が通知された場合に限られるので,審判合議体が補正案を考慮して審理を進めることは原則ありません。ただし,補正案が一見して特許可能であることが明白である場合には,迅速な審理に資するので,審判合議体の裁量により,補正案を考慮した審理を進めることもあります。」
 しかし,・・・請求人が補正をすることができるのは,審判請求の日から所定の期間内の補正をする場合を除いては,審判合議体において,拒絶査定と異なる理由で拒絶すべき旨の審決をしようとする場合に限られるので,施策情報に記載された「補正案が一見して特許可能であることが明白である場合」が,上記の補正のできる場合に該当するものとはいえない。施策情報についても,その記載内容に照らすと,特許庁における運用を記載したにすぎないものと解され,・・・特許法の規定に優先するものではない上に,施策情報の上記の記載上も,審尋に対する回答書に補正案が記載されたとしても,原則としてこれを考慮することはないとされた上で,「補正案が一見して特許可能であることが明白である場合には,迅速な審理に資するので,審判合議体の裁量により,補正案を考慮した審理を進めることもあります。」とされているにとどまることに照らすと,施策情報の上記の記載が,審尋に対する回答書に記載された補正案が「一見して特許可能であることが明白である場合」に,当該補正案を当然に審理の対象とすることを意味するものと解することはできない。
 よって,原告の上記主張は,補正案発明に関し一見して特許可能であることが明白であるかどうかについて判断するまでもなく,採用することはできない。

【解説】
 本件は、特許庁が平成20年10月以降、前置報告書が作成され、審査着手時期に至る事件については、原則全件に対して「前置報告書を利用した審尋」(以下「前置審尋」という。)を行うものとした運用下において、当該運用に関して特許庁が公表している施策情報 について、当該施策情報の記載に従う義務が存在するか、そして本件が具体的に当該義務の存在する場合に当たるかが問題となった事案である。
 前置審尋とは、拒絶査定が下され、審判請求を行った場合で補正がされた場合に、審査官による再審査(前置審査)が行われ、この際、補正を経ても特許査定されない場合は、前置報告が作成され、当該前置報告を利用した審尋(前置審尋)がなされる。当該制度の趣旨は、前置審査及び前置審尋を行うことによって、拒絶査定不服審判の負担を減らすことにある。
 
   (パテント2008 Vol.61 No11 3頁 小林俊久「前置報告を利用した審尋について」)
 本件では、前置審尋において本件補正案を上申書として提出、審尋(図1における審判官合議体による審理)においても同様の回答を行った。これらの補正案は、特許法が認めた補正の機会になされたものではない。補正の機会が与えられるのは、合議体の裁量事項となっている(上記「前置報告を
利用した審尋について」)。本件では、これらを前提として、原告は「補正案が一見して特許可能であることが明白である場合には,迅速な審理に資するので,審判合議体の裁量により,補正案を考慮した審理を進めることもあります。」との特許庁の施策情報に基づき、本件補正案を考慮しなかったことが違法である旨を主張した。
 裁判所はこれに対して、「審尋に対する回答書に記載された補正案が『一見して特許可能であることが明白である場合』に,当該補正案を当然に審理の対象とすることを意味するものと解することはできない」と述べ、特許庁の裁量を広く認め、「一見して特許可能であることが明白である場合」であってもこれを審理の対象としなくてもよいと判断した。
 以上のように、補正を行う場合には、特許法上認められた補正の機会に適正に補正を行うべきであり、事後的な救済を期待することは困難である。補正の機会の重要性を再認識する、実務上意味のある判決であると考えここに紹介するものである。
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(文責)弁護士 宅間仁志