平成25年11月27日判決(知財高裁平成25年(行ケ)10134号)経皮吸収製材事件 第1次審決取消判決
【キーワード】 発明の要旨認定、特許法70条、リパーゼ判決


第1 はじめに
 本件は、特許無効審判の請求不成立審決の審決取消訴訟であり、主な争点は、本件特許クレーム中の「保持」との用語の解釈であった。
審決は、本件特許(特許第4913030号)の請求項1にかかる発明の「基剤に保持された目的物質とを有し」との発明特定事項を解釈するにあたり、本件特許の明細書の発明の詳細な説明を前提とし、目的物質が基剤に混合されて基剤と共に存在していることを意味しているとして、引用発明との一致点・相違点を判断した。
 それに対して本件判決は、「保持」という用語の意味は、「たもちつづけること、手放さずに持っていること」(広辞苑)として一義的に明確であり、明細書の発明の詳細な説明を参酌する特段の事情はないから、審決の当該箇所の解釈及び一致点・相違点の認定は誤りであるとして、これを取り消した。
 このように、本件は、リパーゼ事件(最高裁平成3年3月8日民集45巻3号123頁)を踏襲して発明の要旨認定を行った裁判例である。
 本件とその後の第2次審決取消判決(下記)は、いずれも審決が取り消された事例であり、特許庁と裁判所の判断が相違した例として興味深い。

第2 事案
1 概要

 本件は、発明の名称を「経皮吸収製剤・・」とする特許第4913030号のうち、請求項1に対して無効審判が請求された。無効審判において、特許権者(本件被告)が訂正請求をし、当該訂正請求が認められた上で無効審判請求は成り立たないとの審決がなされた。これに対して、審判請求人(原告)が審決の取消しを求めて提訴したものである。
 なお、本件判決後、特許庁で無効審判が再開されたが、訂正請求を認めた上で再び請求不成立審決が出され、それに対する取消訴訟で再び審決が取り消された(平成27年3月11日・平成26年(行ケ)10204号、第2次取消判決)。

2 本件訂正後の特許請求の範囲の請求項1の記載

「【請求項1】
 水溶性かつ生体内溶解性の高分子物質からなる基剤と,該基剤に保持された目的物質とを有し,皮膚に挿入されることにより目的物質を皮膚から吸収させる経皮吸収製剤であって,前記高分子物質は,コンドロイチン硫酸ナトリウム,ヒアルロン酸,グリコーゲン,デキストラン,キトサン,プルラン,血清アルブミン,血清α酸性糖タンパク質,及びカルボキシビニルポリマーからなる群より選ばれた少なくとも1つの物質(但し,デキストランのみからなる物質は除く)であり,尖った先端部を備えた針状又は糸状の形状を有すると共に前記先端部が皮膚に接触した状態で押圧されることにより皮膚に挿入される,経皮吸収製剤。」

*本件特許の図1(本件特許発明の一実施態様)


3 審決が認容した引用発明(甲7発明)

 甲7発明の内容
 アルロン酸,キトサン,プルランなどの生分解性ポリマからなる所定方向に延びる皮膚に侵入する医療用針であって,所定方向に垂直な平面で切断されたとき,先端部からの距離に依存して変化する断面積を有する三角形形状の断面を有し,所定方向に沿って連続的に一体成形される,断面積が単調増加する第1拡大領域と,断面積が単調減少する縮小領域と,断面積が単調増加する第2拡大領域とを有し,第1および第2拡大領域において最大の断面積を与える最大断面が実質的に同じ形状および断面積を有することを特徴とし,医療用針は,内部において所定方向に延び,少なくとも1つの開口部を有する少なくとも1つの通路,及び,通路に連通し,薬剤を封止する少なくとも1つのチャンバを有する医療用針の後端部に連結された保持部を有し,開口部を介して薬剤を体内に徐放させることができるものであるか,あるいは,医療用針は,所定方向に垂直な方向に延び,薬剤を収容する複数の縦孔と,縦孔を封止する生分解性材料からなる封止部を有し,体内に穿刺して留置しておくと封止部を構成する生分解性材料が徐々に分解され,縦孔に収容された薬剤を含む微小粒体または粒体を徐放させることができる医療用針。」

*甲7の図11(点線四角がチャンバーに該当。チャンバー内に薬剤を封止する。)

2 主な争点
 本件特許の訂正後の特許請求の範囲の請求項1中の、「該基剤に保持された目的物質とを有し」との構成が、甲7発明のチャンバという空間内に薬剤を封止する態様を包含するか否か。

第3 判旨
「(3) 本件訂正発明と甲7発明との同一性判断の誤りについて
・・・
イ 上記ア(略)によると,本件訂正発明と甲7発明との一応の相違点は,審決が認定するとおり,本件訂正発明では,目的物質が「基剤に保持され」ているのに対して,甲7発明では,目的物質が基剤からなる医療用針内に設けられたチャンバに封止されているか,縦孔に収容されることにより保持されている点となる。
審決は,この一応の相違点について,「目的物質が,基剤にではなく, 基剤に設けられた空間に保持されている点で,両者は,相違する。したがって,本件訂正発明は,甲第7号証に記載された発明であるとはいえない。」と判断した。
 この審決の判断は,請求項1の記載を当業者が読めば,「基剤に保持された目的物質とを有し」とは,目的物質が基剤に混合されて基剤とともに存在していると理解されること,及び,特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確ではないとして,本件訂正明細書の記載(【0005】 【0006】【0008】~【0010】【0070】等)をみても,同様に解されることを前提とするものである。
 しかし,請求項1の「基剤に保持された目的物質」との記載は,目的物質が基剤に保持されていることを規定しているのであり,その保持の態様について何らこれを限定するものでないことは,その記載自体から明らかである。そして,「保持」とは,広辞苑(甲12)にあるとおり,たもちつづけること,手放さずに持っていることを意味する用語であり,その意味は明確である。したがって,請求項1の「保持」の技術的意義は,目的物質を基剤で保持する(たもちつづける)という意味のものとして一義的に明確に
理解することができるのであるから,
審決が,請求項1の「基剤 に保持された目的物質」との記載について,目的物質が基剤に混合されて基剤とともに存在していると理解されることと解したのは,請求項1を「基剤に混合されて保持された目的物質」と解したのと同義であって,誤りであるといわざるを得ない。また,本件訂正発明の請求項1の記載は,上記のとおり,請求項の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないなど,発明の詳細な説明を参酌することができる特段の事情がある場合にも当たらないから,少なくとも請求項1の要旨認定については, 発明の詳細な説明を参酌する必要はないところである(最高裁判所平成3 年3月8日第二小法廷判決民集45巻3号123頁参照)。そうすると, 甲7発明の,目的物質が基剤からなる医療用針内に設けられたチャンバに封止されていることや縦孔に収容されていることは,本件訂正発明の目的 物質が「基剤に保持された」構成に含まれているといえる。
そうすると,本件訂正発明は,甲7公報に記載された発明といえるから, 特許法29条 1 項3号の規定により特許を受けることができないものであり,この点に関する審決の判断は誤りである。
・・・
エ 以上のとおり,審決の本件訂正発明と甲7発明との同一性判断には誤りがある。したがって,取消事由1(新規性の判断の誤り)は理由がある。
2 結論
 以上によれば,その余の取消事由について判断するまでもなく,審決は違法であり取消しを免れない。 よって,原告の請求は理由があるからこれを認容することとし,主文のとおり判決する。」

第4 検討
 本件特許に係る発明は、水溶性かつ生体内溶解性の高分子物質からなる基剤と,該基剤に保持された目的物質とを有し,皮膚に挿入されることにより目的物質を皮膚から吸収させる経皮吸収製剤に関する。つまり、目的物質(薬剤)を含む小さな針を皮膚に刺したままにすることによって、薬剤を徐々に体内に放出するというものである。
 本件特許の明細書を参酌すると、薬剤を含む小さな針は、基剤と薬剤とを混合した後に、基剤を針状に成形することで作製されるものであって、「基剤に保持された目的物質」とは、目的物質が基材に混合されて基剤とともに存在している状態を指していることが分かる。
 一方、甲7発明は、上記のように、チャンバという空間内に薬剤を封止した態様である。
審決は、本件特許の請求項1の「基剤に保持された目的物質」と、甲7発明のチャンバという空間内に薬剤を封止した態様は、相違点であるとして、無効審判請求不成立との審決を下した。これは、上記のように、本件特許の明細書の発明の詳細な説明を参酌して、「基剤に保持された目的物質」が、目的物質が基材に混合されて基剤とともに存在している状態を指していることを解釈したものである。
 これに対して、本件判決は、リパーゼ事件最判を引用し、本件特許の請求項1における「保持」はその意味が一義的に明らかであって、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌する特段の事情がないから、請求項1の要旨認定については、発明の詳細な説明を参酌する必要はないとしている。そして、「保持」を字義どおり「たもちつづける」と解釈して、「保持」には、チャンバという空間内に薬剤が収容されている態様も含むと判断している。
 「保持する」という用語は、日常的にも用いられる用語であり、確かに広辞苑等で調べればその意味が明らかであるが、どのようにして保持するかまでは明らかではない。このような用語を特許請求の範囲で用いた場合、発明の要旨認定の場面では、最も広い意味で用語が解釈され、本来発明者が想定していなかった態様まで含むものとして意図せぬ引用文献により新規性が否定されるおそれがある。そこで、下位クレームや別出願(分割出願)で、安全策として、“具体的な構成”を規定することになる。
 本件特許においても、(無効審判が請求されていない)請求項4は「前記基剤は多孔性物質を含有し,前記目的物質は前記多孔性物質に保持され」と規定され、これは,多孔性物質を介して目的物質が基剤に保持されている状態を意味しており,このような請求項の記載であれば,「基剤に混合されて保持された目的物質」と解することができる、と裁判所でも判断されている。

以上
(文責)弁護士 篠田淳郎