平成25年8月8日判決 (知財高裁 平成24年(行ケ)第10307号)
【ポイント】
当初明細書に明示的な記載がない事項であっても、発明の課題、特徴を参酌して、当該事項が行われていると理解するのが自然であり、明細書の他の記載とも整合するとして、特許法17条の2第3項の要件を満たさないとした審決の判断は誤りであるとした事例
【関連条文】
特許法17条の2第3項

【事案の概要】
 原告が特許出願段階においてした手続補正につき、拒絶査定不服審判において特許庁は、「出願当初の明細書又は図面の他のいずれの箇所を見ても,記載も示唆もされていない事項であり、新たな技術的事項を導入するものであると認められるから、本件補正は,願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてしたものであるとは認められず,特許法17条の2第3項の規定に違反する」と判断し、拒絶審決をした。本件は、原告が本件審決の取消しを求めた事案である。なお、進歩性違反による独立特許要件についても判断がなされているが、本件では、新規事項の追加に絞って見ることとする。

1 特許庁における手続の経緯
  原告は,1999年(平成11年)7月7日の優先権(米国)を主張して,2000年(平成12年)6月29日,発明の名称を「制御式アンテナダイバーシチ」とする発明につき,国際特許出願(PCT/EP00/06085。国際公開はWO01/05088。日本における出願番号は特願2001-510182号,国内公表公報は,特表2003-504957号)をし,平成21年12月24日付けで特許請求の範囲の変更を内容とする補正をしたが,平成22年2月5日付けで拒絶査定を受けた。
原告は,同年6月14日,これに対する不服の審判(不服2010-12921号)を請求するとともに,同日付けで特許請求の範囲の変更を内容とする補正をした(以下「本件補正」という。)。特許庁は,平成24年4月16日,本件補正を却下した上「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は同年5月7日,原告に送達された。

2 本件発明の要旨
  本件の争点となっている請求項1のみを示す。なお、下線部は、補正によって追加された箇所である。
 【請求項1】
第1のアンテナと,
前記第1のアンテナからの信号を復調する第1の無線周波数復調器と,
第2のアンテナと,
前記第2のアンテナからの信号を復調する第2の無線周波数復調器と,
ベースバンド処理回路とを有し,
前記ベースバンド処理回路は,当初前記第2の無線周波数復調器が無効化された状態で,ダイバーシチのために第1の復調無線周波数信号を前記第1の無線周波数復調器から受信し,ダイバーシチが適切か否かを判定して,ダイバーシチが適切と判定した場合には前記第2の無線周波数復調器を有効化して第2の復調無線周波数信号を受信し,前記第1及び第2の復調無線周波数信号を合成して合成信号をベースバンド処理し,ダイバーシチが適切でないと判定した場合には前記第2の無線周波数復調器を無効化したまま前記第1の復調無線周波数信号をベースバンド処理し,その後ダイバーシチが適切と判定した場合に前記第2の無線周波数復調器を有効化することを特徴とする移動局。

3 本件審決の理由の要旨
  進歩性違反も争われたが、本件においては、17条の2第3項についての要旨のみを示す。
出願当初の明細書又は図面の他のいずれの箇所を見ても,装置の動作を開始させた「当初」,すなわち,第1のアンテナからの無線信号を第1の無線周波数復調器で復調するステップが「最初に」実行される際に,必ず「ダイバーシチ」が「オフ」状態になっていて「第2のプロセッサ422」(第2の無線周波数復調器)が無効化された状態になっているということは,記載も示唆もされていない事項であり,このことは,出願当初の明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入するものであると認められる。したがって,本件補正は,願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてしたものであるとは認められず,特許法17条の2第3項の規定に違反し,本件補正を却下すべきである。

【争点】
明細書に明示的な記載のない事項の補正が新規事項の追加にあたるか否か

【判旨抜粋】
  補正発明は,ダイバーシチ処理がなくても十分な性能が与えられるような場合においても常にダイバーシチ処理を行うことは,電力消費の観点から移動局の動作時間が短縮するという課題があったので,必要な場合にのみダイバーシチ処理を行うようにしたものである。そうすると,移動局の動作を開始させた当初,ダイバーシチ処理の必要性が不明な状態において,ダイバーシチ処理を行わせるように,第2の無線周波数復調器を有効化するとは考え難い。
また,段落【0032】には,「最初のステップ510において,無線周波数信号が第1のアンテナ410で受信される。2番目のステップ512において,この無線周波数信号は処理のため第1のRFプロセッサ420へ入力される。…ステップ520でベースバンドプロセッサ430がダイバーシチをオンすべきか否かを判定する。」との記載があり,また,【図5】のフローチャートにおいても,動作開始当初の地点を示す上方の矢印の始点が,ステップ510の「第1のアンテナでRF信号を受信」するところから始まっているところ,これらのことに,段落【0040】において「ダイバーシチが不要な場合,第2のRFプロセッサ422は使用されない。」,段落【0019】に「ダイバーシチを用いることによる性能向上がダイバーシチを用いることによる電力消費を上回る場合を判断でき,後者の状況においてのみダイバーシチ処理へ切り替える」と明記されていることを考慮すると,動作開始時において,ダイバーシチがオンであることを前提として第1のアンテナでの受信及び第1のRFプロセッサへの入力と第2のアンテナでの受信及び第2のRFプロセッサへの入力とが,同時並行的あるいは順次行われるとは解しがたく,動作開始当初はダイバーシチがオフ(第2の無線周波数復調器が無効)とされていると理解するのが自然である。このように考えた場合,【図5】のフローチャートは,動作開始当初,ステップ512で受信したRF信号を第1のRFプロセッサ(第1の無線周波数復調器)で処理し,ステップ514においてダイバーシチはオンではないこととなるから,そのままステップ517に進んで,第1のRFプロセッサ(第1の無線周波数復調器)からの処理信号を復調することとなり,ステップ520において初めて,ダイバーシチが必要か否かを判定し,必要でなければ,当初の流れを継続(すなわち,【図5】の左側欄のサイクル〈ステップ510,512,514,517,520,521〉を継続)し,ステップ520においてダイバーシチが必要であると判定された場合にのみ,第2のアンテナにおけるRF信号受信から復調・合成処理に至るステップ515,516,518に進むものと理解でき,上記に示した明細書の他の記載とも整合的である。
  そうすると,本件補正は,願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてしたものであり,新規事項が追加されたものとはいえない。本件補正を新規事項の追加に当たるとした審決の判断は誤りである。

  知財高裁は、上記のように、本件補正は新規事項の追加にあたらないとしたが、独立特許要件を満たさないとして、審決を維持し、原告の請求を棄却した。

【解説】
1 本件判決における新規事項追加の判断手法
  第1のアンテナからの無線信号を第1の無線周波数復調器で復調するステップが最初に実行される際に,必ず「ダイバーシチ」が「オフ」状態になっていて「第2のプロセッサ422」(第2の無線周波数復調器)が無効化された状態になっているという点は当初明細書に明示的な記載がなかった。これに対し知財高裁はまず、セルラ無線通信システムに発生する共通した課題を明細書の記載から認定し、その課題を解決するための本件発明の技術的特徴を認定した。
  そのうえで、そういった課題解決のために、必要な場合にのみダイバーシチ処理を行うようにしたのが本件発明なのであるから、本件補正によって追加された事項が行われていないとすることは考え難いとした。さらに、明細書の記載から技術的な意義を参酌し、本件補正の事項が行われていると考えるのが自然であると認定した。また、明細書の他の記載とも整合的であるとした。

2 考察
  明細書に明示的な記載がない場合、記載がない事項を補正によって追加することは、実務においてはためらわれることであろう。明細書中にある文言と全く同一の文言を補正により追加することで特許を取得することができればそれがベストだが、実務ではそのような簡単な案件ばかりではなく、例えば他社の製品をカバーする必要から、明細書に明示的な記載のない事項を追加補正することはしばしばある。
本件において、知財高裁は、明細書に明示的に記載がない事項であっても新規事項の追加にあたらないと判断しており、実務担当者にとっては、補正をする際に非常に参考となる裁判例である。
  新規事項の追加にあたるか否かについては、知財高裁は、明細書の表面上の記載のみから即断するのではなく、一貫して、出願当時の技術常識や、発明の課題、本質、特徴などを総合考慮して判断している。技術の本質を深く理解したうえでの知財高裁の判断は非常に納得できるものであり、技術者の考えとも整合する。
  出願段階において知財実務担当者は、知財高裁の判断手法を見習い、技術の本質を深く理解し、発明の課題や本質をとらえて明細書を作成するようこころがけるべきだが、実際はそううまくいかない場合も多い。裁判では、明細書の形式的な記載を重視する代理人も散見されるが、裁判段階で新規事項の追加が問題となった場合であっても、出願段階で考えるべきことと同様、技術の本質を深く理解することが重要であることを意識すべきである。

2013.11.5 弁護士 幸谷泰造