平成25年10月30日判決(東京地裁 平成23年(ワ)第21757号)
【判旨】
 本件発明に係る相当対価の支払請求権は,支払の時点から10年が経過した平成10年8月頃に消滅時効が完成し,被告が平成24年4月20日の弁論準備手続期日において消滅時効を援用する旨の意思表示をしたことは当裁判所に顕著であるから,消滅時効の抗弁は理由がある。
【キーワード】
職務発明、特許法35条,東京地裁29部判決


【事案の概要】
 本件は,原告が,日本アイ・ビー・エム株式会社(以下「日本IBM」という。)に在職中に完成させたハードディスクに関する発明について,日本IBMの会社分割(以下「本件分割」という。)により日本IBMのハードディスク事業を承継した被告に対し,平成16年法律第79号による改正前の特許法(以下「改正前特許法」という。)35条3項に基づく職務発明の相当対価に係る支払請求として14億8500万円の一部である10億円(附帯請求として訴状送達の日の翌日である平成23年7月22日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金)の支払を求めた事案である。
 争点は、
(1) 職務発明の相当対価に係る支払債務の承継の有無(争点1)
(2) 消滅時効の成否(争点2)
(3) 相当対価の額(争点3)
の3つであったが、裁判所は争点2のみを判断し、原告の請求を棄却した。

【判旨抜粋(下線筆者)】
2 本件事案に鑑み,消滅時効の成否(争点2)について検討する。
(1) 民法166条1項は,「消滅時効は,権利を行使することができる時から進行する。」と規定し,消滅時効の起算点を定めるが,ここにいう「権利を行使することができる」とは,単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく,さらに権利の性質上,その権利行使が現実に期待のできるものであることをも必要と解するのが相当である(最高裁昭和40年(行ツ)第100号同45年7月15日大法廷判決・民集24巻7号771頁参照)。
 これを本件についてみるに,原告は,遅くとも昭和63年2月頃までに,日本IBMに対し,本件発明に係る特許を受ける権利を譲渡したが(前提事実(3)),その頃の日本IBMの発明報奨制度において,職務発明の相当対価につき具体的な支払時期を定めた規定は見当たらないから(前記1(1)の平成元年2月1日時点における発明報奨制度参照),本件発明に係る相当対価の支払債務は期限の定めのない債務であったと認めるのが相当である
 そうすると,原告は,本件発明に係る特許を受ける権利の譲渡時において,日本IBMに対し,本件発明に係る相当対価の支払を請求することにつき法律上の障害があったとは認められない。また,改正前特許法35条4項は,「前項の対価の額は,その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して定めなければならない。」と規定するが,ここにいう「受けるべき利益」とは,特許を受ける権利の譲渡時における客観的な利益であり,使用者等が後に受けた利益ではないと解されるから,職務発明の相当対価は,その譲渡時における客観的な価格である(外国の特許を受ける権利の譲渡に伴う対価請求についても同条3項及び4項が類推適用される。最高裁平成16年(受)第781号同18年10月17日第三小法廷判決・民集60巻8号2853頁参照)。同様に,本件発明に係る相当対価も,特許を受ける権利の譲渡時における客観的な価格であり,その算定は譲渡時に可能であったから,本件発明に係る相当対価の支払請求は,その権利の性質上,その権利行使が現実に期待のできたものである
 したがって,本件発明に係る相当対価の支払請求権は,その特許を受ける権利の譲渡時から消滅時効が進行すると解するのが相当である。
 もっとも,前記1(3)のとおり,①日本IBMは,昭和63年8月1日,原告に対し,本件発明について,ファースト・ファイル賞を授与し,その頃37万円を支払ったこと,②日本IBMは,平成2年3月1日,原告に対し,本件発明を含む発明について,発明業績賞を授与し,その頃85万円を支払ったことが認められ,このうち①については,被告においてこれが消滅時効の起算点となり得ることを主張するものであり,少なくとも上記①の支払の時点において,時効の中断があったと認めるのが相当である。
 以上に照らすと,本件発明に係る相当対価の支払請求権は,上記①の支払の時点から10年が経過した平成10年8月頃に消滅時効が完成し,被告が平成24年4月20日の弁論準備手続期日において消滅時効を援用する旨の意思表示をしたことは当裁判所に顕著であるから,消滅時効の抗弁は理由がある(なお,上記②の支払の時点における時効中断があるとしてみても,平成12年3月頃に消滅時効が完成したものと認められる。)。

(2) これに対し,原告は,特許貢献賞の規定によれば,特許貢献賞は年間のライセンス収入の実績をみた上で授与されるものであるから,その性質上,特許貢献賞に関する消滅時効の起算点は,特許貢献賞の対象となる年間の高額のライセンス収入が得られたことが判定できるような一定期間を経過したときに,支払時期が到来し,その時点を起算点と解するのが相当であるなどと主張する。しかしながら,原告の主張する特許貢献賞は,本件発明に係る特許を受ける権利が譲渡され,米国において登録された後の平成8年に制定されたものであり,改訂後の規定や移行措置をみても(甲6の3,7),それが本件発明についてまで適用されるのか否か明らかではない。仮に,これが本件発明についても適用されるものとしても,平成8年改訂のIBMの発明報奨制度をみると,特許貢献賞を含めて具体的な支払時期は定められていない(前記1(2))のであって,本件発明に係る相当対価の支払債務は期限の定めがない債務であることに変わりはない。
   原告の主張は,日本IBMにおける発明報奨制度における特許貢献賞についての算定方法から,改正前特許法35条3項に定める相当対価請求権の支払時期を導き,これを消滅時効の起算点とするものであると解される。しかし,発明報奨制度において支払時期についての明確な定めがないにもかかわらず,同制度における特定の報奨額の算定方法から相当対価の支払時期を導くことは,相当対価の支払を受けられる時期が制限されることにもつながるものであって,そのような解釈を認めるだけの合理的理由がない限り許されないというべきであり,本件においては,そのような合理的理由は認められない。
   上記(1)の相当対価請求権の法的性質に照らせば,原告の主張するような事情を法律上の障害とも,権利の性質上その権利行使が現実に期待できない事情ともみることはできない。
 よって,原告の主張は採用できない。
 また,原告は,特許貢献賞の規定の創設は,消滅時効の時効中断事由である債務
の「承認」に該当する旨主張する。しかしながら,民法147条3号にいう「承認」は,時効によって利益を受けるべき者が権利者に対して権利の存在を認識している旨を表示することをいうのであって,IBMが従業員一般について適用される特許貢献賞を設けたことが,原告に対する債務の「承認」に当たるとはいい難いから,原告の主張は採用できない。
 さらに,原告は,特許貢献賞の規定を創設した後については,原告と日本IBMとの間では,相当対価の支払債務(実績報奨部分)については高額のライセンス収入が得られた段階で支払う旨の合意がされていた旨主張する。
 しかしながら,このような原告と日本IBMとの個別の合意を認めるに足りる証拠はないから,原告の主張は採用できない。
(3) 以上のとおり,被告の消滅時効の抗弁は理由がある。

【解説】
 本件では、職務発明の対価請求権の消滅時効の起算点につき判示されている。
 消滅時効は、「権利行使をすることができる時」から進行するとされている(民法166条1項)。したがって、原則としては、職務発明の対価請求権は、従業員が使用者に特許を受ける権利を承継させたときに譲渡の対価請求権として発生し、譲渡時から消滅時効が進行すると考えるべきである(東海林 保 “対価請求権の消滅時効” 髙部眞規子編「特許訴訟の実務」 商事法務 p.453参照)。
 もっとも、職務発明規程等で対価の支払時期が規定されているような場合には、支払時期が到来するまでの間は、相当の対価の支払いを受ける権利の行使につき法律上の障害があるものとしてその支払いを求めることができないために、消滅時効の起算点は上記規定された支払時期となる(オリンパス事件 最高裁平成15年4月22日第三小法廷判決)。

 本件においては、原告が本件発明に係る特許を受ける権利を譲渡した時点において、原告が当時在籍していた日本IBMの発明奨励制度には相当対価につき具体的な支払時期を定めた規定はなかった。このため、裁判所は、上記原則的な考えに基づき、原告の対価請求権は期限の定めのない債務であって、譲渡時点から消滅時効が進行するとした。
 また、裁判所は、上記消滅時効の進行の開始時点に関する判断に関連して、

「改正前特許法35条4項は,『前項の対価の額は,その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して定めなければならない。』と規定するが,ここにいう『受けるべき利益』とは,特許を受ける権利の譲渡時における客観的な利益であり,使用者等が後に受けた利益ではないと解されるから,職務発明の相当対価は,その譲渡時における客観的な価格である」

とも判示している。すなわち、改正前特許法35条4項の「受けるべき利益」は、譲渡時における客観的な価値であって譲渡時で金額が確定するものであるから、このことも消滅時効が譲渡時から進行するとの裁判所の考えを支えるものとなっていると考える。

 この点に関し、原告は、発明貢献賞(年間のライセンス収入に応ずる実績補償のことをいうようである。)については、当該発明貢献賞が現実化した時(特許貢献賞の対象となる年間の高額のライセンス収入が得られたことが判定できるような一定期間を経過した時)に「権利行使をすることができる」ようになるから、その時を起算点とすべきと主張した。しかしながら、裁判所は、原告が日本IBMに本件特許に係る特許を受ける権利を譲渡した時点(遅くとも昭和63年2月頃まで)は、日本IBMの発明報奨制度には発明貢献賞を支払う旨の規定がなかったところ、平成8年の発明報奨制度の改定で導入された発明貢献賞の規定が当該改訂前の発明にまで遡及適用されるかは明らかではないとして、原告の主張を退けた。
 裁判所が上記原告の主張を退けた背景には、改正前特許法35条4項の「受けるべき利益」を、上述のとおり“特許を受ける権利の譲渡時における客観的な利益”と判断したことがあると考える。そして、上記裁判所の判示は、改正前特許法35条4項の「受けるべき利益」についての本来的な考え方とされている(東海林 保 “対価の算定” 髙部眞規子編「特許訴訟の実務」 商事法務 p.420参照、中山信弘 特許法(第一版) 弘文堂 p.78~79)。

 私も、本判決の裁判所の考え方を支持したいが、職務発明の対価請求の消滅時効の起算点を一律に譲渡時としてよいかについては他の考え方もあろう。
 例えば、平成16年改正前の特許法第35条の3、4項については、東京地裁平成23年4月21日判決 平成21年(ワ)第26849号では、

「・・・従業者等は,勤務規則等により,職務発明についての特許を受ける権利を使用者等に承継させたときは,相当の対価の支払を受ける権利を取得し(特許法旧35条3項),その対価の額については,特許法旧35条4項により勤務規則等による額が同項により算定される額に満たないときは算定される額に修正される・・・」

とも判示されており、上記で紹介した東海林裁判官の論文(東海林 保 “対価請求権の消滅時効” 髙部眞規子編「特許訴訟の実務」 商事法務 p.455)でも、

「そもそも職務発明規程がない場合あるいは職務発明規程はあるが実施した場合の対価支払の定めがない場合はどうか。
 この場合でも、実施により使用者等に受けるべき利益があれば対価請求権が発生するから、消滅時効の起算日が問題となる。」

と述べられており、実績補償に関する勤務規則がない場合でも、改正前特許法35条4項に基づき対価の額は“後になって”調整され得るという考え方も成り立ち得るからである。

 いずれにしても、本判決の今後の状況(控訴審の判断)には着目していきたい。
 本判決は、職務発明の対価請求権の消滅時効の起算点につき、基本的な見地に立ち返って判示しているものと考えられ、実務上参考になると考え紹介する次第である。

(文責)弁護士 柳下彰彦