【平成30年1月15日判決(知財高裁平成28年(行ケ)第10278号)】

【判旨】
 名称を「ピタバスタチンカルシウムの新規な結晶質形態」とする発明について、分割要件違反の有無が争われた事例。裁判所は,本件出願に係る発明は、もとの特許出願の当初明細書等に記載された事項の範囲内のものであるとはいえないから、本件出願は、もとの特許出願の時にしたものとはみなされないとして,現実の出願日前に頒布された刊行物に基づき,進歩性違反の取消事由があると判断した。

【キーワード】
特許法29条2項,特許法44条,進歩性,分割出願

1 事案の概要

 原告は,平成26年7月30日,発明の名称を「ピタバスタチンカルシウムの新規な結晶質形態」とする特許出願(特願2014-155001号。以下「本件出願」という。)をした。本件出願は,最初の親出願から数えて4代目の分割出願であり,各出願の出願番号等は下記のとおりである。

・第1出願:特願2006-501997号(出願日:平成16年2月2日,優先権主張:平成15年2月12日,欧州特許庁)
 →第2出願:特願2011-127696号(第1出願の分割出願)
  →第3出願:特願2013-264348号(第2出願の分割出願)
   →本件出願:特願2014-155001号(第3出願の分割出願)

 原告は,平成26年12月26日,本件出願の願書に添付した明細書及び特許請求の範囲について補正をし(以下「本件補正」という。),特許査定を受け,本件出願は平成27年2月27日に設定登録(特許第5702494号)がされた(以下,この特許を「本件特許」という。)。
 その後,本件特許について,平成27年10月15日,特許異議の申立てがされた。
 原告は,平成28年10月25日,本件特許の明細書及び特許請求の範囲について訂正を請求した(以下「本件訂正」という。)。
 特許庁は,平成28年11月18日,本件訂正を認めるとともに,請求項1ないし7,9ないし13に係る本件特許を取り消し,請求項8に係る本件特許を維持するとの決定(以下「本件決定」という。)をし,その謄本は,同月29日,原告に送達された。
 原告は,平成28年12月28日,本件決定のうち本件特許の請求項1ないし7,9ないし13に係る部分の取消しを求める本件訴訟を提起した。

2 本件の争点

(1)取消事由
 本件において,原告は,下記1~6の取消事由を主張した。

・取消事由1:本件補正が新規事項の追加に当たるとした判断の誤り
・取消事由2:サポート要件の判断の誤り
・取消事由3:実施可能要件の判断の誤り
・取消事由4:引用発明1又は1’に基づく新規性の判断の誤り
・取消事由5:引用発明2又は2’に基づく進歩性の判断の誤り
・取消事由6:引用発明3に基づく進歩性の判断の誤り

 このうち,裁判所は,取消事由1~3については理由があると認めたものの,取消事由5については理由がないとして,取消事由4,6については判断せずに原告の請求を棄却した。また,取消事由5の判断の中で,第3出願から本件出願への分割出願の適法性についても判断がされた。本稿では,主に取消事由5について解説する。

(2)問題となった記載
 本件特許の請求項1(本件発明1)には,6個のピークを有し,1個のピークを有しないという構成要件Aにより特定される結晶多形Aが記載されており,本件特許の明細書にもこれに対応する記載があった(下記参照)。
 一方,第3出願の明細書【0010】段落には,26個無偏差相対強度図形等を示すピタバスタチンカルシウムの結晶多形Aと共に,「実質的に図1に示したとおりのX線粉末回折図形を有する,ピタバスタチンカルシウムの結晶多形A」との記載があった。また,図1には,結晶多形Aの特徴的なX線粉末回折図形が記載されていたが,「6個のピークを有し,1個のピークを有しない」結晶については明示的な記載がなかった(下記参照)。

項目

内容

本件発明1
構成要件A

2θで表して,5.0±0.2°,6.8±0.2°,9.1±0.2°,13.7±0.2°,20.8±0.2°,24.2±0.2°に特徴的なピークを有し,20.2±0.2°に特徴的なピークを有しない,特徴的なX線粉末回折図形を示し,・・・
第3出願
明細書
【0010】
段落
(1) 2θで表して,5.0(s),6.8(s),9.1(s),10.0(w),10.5(m),11.0(m),13.3(vw),13.7(s),14.0(w),14.7(w),15.9(vw),16.9(w),17.1(vw),18.4(m),19.1(w),20.8(vs),21.1(m),21.6(m),22.9(m),23.7(m),24.2(s),25.2(w),27.1(m),29.6(vw),30.2(w),34.0(w)[ここで,(vs)は,非常に強い強度を意味し,(s)は,強い強度を意味し,(m)は,中間の強度を意味し,(w)は,弱い強度を意味し,(vw)は,非常に弱い強度を意味する]に特徴的なピークを有する特徴的なX線粉末回折図形を示す,ピタバスタチンカルシウムの結晶多形A。
(2) 実質的に図1(判決注:別紙【図1】に同じ。)に示したとおりのX線粉末回折図形を有する,ピタバスタチンカルシウムの結晶多形A。・・・
第3出願
図1

 前審の異議申立ての決定(本件決定)では,第3出願当初明細書等には,X線粉末回析において26個偏差内相対強度図形を示す結晶多形Aしか記載されていなかったから,6個のピーク及び1個のピークの不存在で結晶多形Aを特定する本件発明1は,第3出願当初明細書等に記載された事項の範囲を拡大するものであるとして,出願日が遡及しないと判断した。
 これに対し,原告は,同じ結晶多形Aでも,①測定条件や結晶の状態によって,相対強度の弱いピークは測定できないこともあり,②相対強度は相当に変動するため,ピーク間の相対強度の順位が入れ替わることもあることなどから,【表1】の中で,比較的相対強度の強い,vs及びsの6個のピーク(構成要件Aの6個のピーク)が確認できれば,それは結晶多形Aであると確認できるのというのが,当業者の技術常識であったなどとして,当業者であれば,第3出願当初明細書等に,6個のピークを有し,1個のピークを有しないという構成要件Aにより特定される結晶多形Aが記載されていると理解できると主張した。

3 裁判所の判断

 最初に,裁判所は,第3出願当初明細書等の記載を引用しつつ,同明細書等には,結晶多形Aとして,26個無偏差相対強度図形,別紙【図1】又はそれに若干の偏差を有するX線粉末回析図形を示すピタバスタチンカルシウムの結晶多形しか記載されていないと判断した。

(判決文より抜粋(下線部は筆者が付与))

 (イ) 第3出願当初明細書等に記載された結晶多形Aに関する事項
  a 第3出願当初明細書等にいう結晶多形Aは,第3出願当初明細書等において名付けられたものである(【0009】【0014】)。
  b そして,第3出願当初明細書等【0010】は,結晶多形Aに該当する具体的な結晶多形として,【0010】(1)は,26個無偏差相対強度図形を示す,ピタバスタチンカルシウムの結晶多形を挙げ,また,【0010】(2)は,「実質的」に別紙【図1】に示したとおりのX線粉末回析図形を有する,ピタバスタチンカルシウムの結晶多形を挙げるにとどまる。
 ここで,【0010】(2)に挙げられた結晶多形は,「実質的」に別紙【図1】で示したとおりのX線粉末回析図形を示すピタバスタチンカルシウムの結晶多形であるところ,「実質的」とは,対象をより抽象化する場合に用いられる表現であること,第3出願当初明細書等【0013】【0025】には偏差に関する記載があることからすれば,【0010】(2)に挙げられた結晶多形は,別紙【図1】で示したとおりのX線粉末回析図形を示すピタバスタチンカルシウムの結晶多形及び別紙【図1】に若干の偏差を有するX線粉末回析図形を示すピタバスタチンカルシウムの結晶多形を意味するというべきである。
 そうすると,第3出願当初明細書等【0010】の記載は,結晶多形Aに該当する具体的な結晶多形として,26個無偏差相対強度図形,別紙【図1】で示したとおりのX線粉末回析図形又は別紙【図1】に若干の偏差を有するX線粉末回析図形を示すピタバスタチンカルシウムの結晶多形を説明するにとどまるということができる。
  c また,第3出願当初明細書等【0014】の記載は,結晶多形Aの具体的な形態として,26個無偏差相対強度図形を示すピタバスタチンカルシウムの結晶多形を特定して説明するものである。
  d さらに,第3出願当初明細書等には,本件出願当初明細書【0009】や本件明細書【0009】のように,26個無偏差相対強度図形等を示すピタバスタチンカルシウムの結晶多形が,第3出願当初明細書等において規定される結晶多形Aの具体的な態様の一つであることを窺わせる記載はない。
  e したがって,第3出願当初明細書等には,結晶多形Aとして,26個無偏差相対強度図形,別紙【図1】又はそれに若干の偏差を有するX線粉末回析図形を示すピタバスタチンカルシウムの結晶多形しか記載されていないというべきである。

 そして,6個のピーク及び1個のピークの不存在で結晶多形Aを特定する本件発明1について,そのような結晶多形が第3出願当初明細書等に記載されているということはできないとして,本件出願は分割要件を満たさないと判断した。

   エ 前記分割の要件③の充足の有無
 本件発明1は,2θで表して,5.0±0.2°,6.8±0.2°,9.1±0.2°,13.7±0.2°,20.8±0.2°,24.2±0.2°に特徴的なピークを有し,20.2±0.2°に特徴的なピークを有しない,特徴的なX線粉末回折図形を示すこと等により特定されるピタバスタチンカルシウムの結晶多形であるところ,第3出願当初明細書等には,結晶多形Aとして,このような結晶多形は記載されておらず,結晶多形Aと名付けられた結晶多形以外の結晶多形としても,このような結晶多形が記載されているということはできない。
 したがって,本件発明1は,第3出願当初明細書等に記載された事項の範囲内にあるということはできず,前記分割の要件③は満たさない。

 また,当業者であれば,第3出願当初明細書等に,6個のピークを有し,1個のピークを有しないという構成要件Aにより特定される結晶多形Aが記載されていると理解できるとの原告主張に対しては,そのようなピークを有する結晶多形が第3出願当初明細書等に開示された結晶多形Aであると同定できたとしても,第3出願当初明細書等がそのような結晶多形を開示している訳ではないとして,当該主張を退けた。

   オ 原告の主張について
 原告は,当業者であれば,第3出願当初明細書等に,6個のピークを有し,1個のピークを有しないという構成要件Aにより特定される結晶多形Aが記載されていると理解できる旨主張する。
 しかし,第3出願当初明細書等にいう結晶多形Aは,第3出願当初明細書等において名付けられたものであって,第3出願当初明細書等に結晶多形Aとして説明される結晶多形は,26個無偏差相対強度図形等を示すピタバスタチンカルシウムの結晶多形である。26個無偏差相対強度図形のうち,比較的相対強度の強い6個においてピークを確認できる結晶多形が,第3出願当初明細書等に開示された結晶多形Aであると同定できたとしても,第3出願当初明細書等において開示された結晶多形Aは,26個無偏差相対強度図形のうち,比較的相対強度の強い6個においてピークを確認できる結晶多形ではない。原告の主張は,第3出願当初明細書等の記載に基づくものではなく,採用できない。

 そして,分割要件が満たされない結果,本件出願の出願日は現実の出願日である平成26年7月30日とされ,それ以前に公知となった刊行物及び技術常識により,本件発明1は進歩性を有しないと判断された。

4 検討

 原告としては,【図1】のグラフに比較的強度の強い6つのピークが観測できることや,【0010】段落における「実質的」の文言,当業者の技術常識等を手がかりに,第3出願に記載された26個偏差内相対強度図形を示す結晶多形Aについて権利範囲の拡張を試みたが,裁判所は【0010】の開示内容はあくまで【図1】で示したとおりのX線粉末回析図形を示すピタバスタチンカルシウムの結晶多形及び別紙【図1】に若干の偏差を有するX線粉末回析図形を示すピタバスタチンカルシウムの結晶多形を意味するにとどまると限定的に解釈した。
 確かに,【図1】のグラフを見ただけでは,「6個のピーク及び1個のピークの不存在」はただちに読み取れないことや(例えば,強度500付近のピークを含めると計8個のピークが観測できる。),当該ピークの組み合わせについて明細書に何ら示唆的な記載がないことに鑑みれば,裁判所の判断は妥当と考えられる。
 実務上の指針としては,分割要件の判断における境界事例として参考になると思われる。

以上
(文責)弁護士・弁理士 丸山真幸