【東京地判平成30年6月8日(平成26年(ワ)第27733号)】
1 はじめに
種苗法は、特許法と同様、育成者権を侵害した者には過失があったことが推定される(法35条)。これはあくまでも推定であって、育成者権侵害に問われている被告が、育成者権を侵害したことにつき過失がなかったことを示せば、この推定は覆滅され、損害賠償の支払いを免れる。このことにつき判示したのが、本件判決である。
2 事案の概要
本件判決では、しいたけの育成者権侵害が争われ、育成者権侵害があったことが認定されている。しいたけの栽培方法には、菌床栽培と原木栽培という2つの手法があるが、それぞれの栽培方法の間で得られるしいたけの特性が異なる。そして、種苗法に基づく品種登録の運用上、しいたけについては原木栽培によって栽培した際の特性のみが登録されて公示され、菌床栽培によって栽培された際の特性は公示されないという事情があった。このような事情のもとで、育成者権侵害者の過失の推定が認められるか、過失の推定が覆されるのか、について争われた。
3 判示内容過失の推定に関して裁判所は以下のように判示した。
「5 争点(5)(過失の有無)について
(1) 法35条(過失の推定)の適用の有無
本件における被告河鶴の行為に対する法35条(過失の推定)の適用の有無に関し,被告河鶴は,①現在の品種登録の取扱い上,菌床栽培のしいたけの特性が公示されていないこと,②しいたけの品種の異同について調査・確認を行うのは著しく困難であることなどを理由として,同条は適用の前提を欠くので,過失は推定されないと主張する。
しかし,法35条は,「他人の育成者権又は専用利用権を侵害した者は,その侵害の行為について過失があったものと推定する。」と規定するのみであって,公示の範囲や侵害の調査・確認の難易度によりその適用範囲を制限又は限定する旨の例外規定は,特段設けられていない。
また,被告河鶴は,仮にカスケイド原則の例外を認めて,収穫物の販売を行っていた被告河鶴に対する損害賠償を認めるのであれば,過失の推定規定は不適用又は抑制的に適用すべきであると主張するが,同主張も条文上の根拠を欠くものであって採用し得ない。
したがって,本件において法35条自体が適用されないとする上記主張は,採用することができず,被告河鶴の主張する事情は,過失の覆滅事情として考慮すべきである。
(2) 過失の推定覆滅事由の有無
被告河鶴は,①本件品種の品種登録簿には菌床栽培の特性表が添付されておらず,しいたけは菌床栽培と原木栽培でその特性が大きく異なることから,公示された原木栽培の特性から本件品種との同一性を確認することができないこと,②しいたけの菌床栽培による比較栽培試験を実施できる機関は極めて限られており,品種の異同の調査・確認を行うのは非常に困難であったこと,③河鶴農研は,S.S.ITから当該菌床は「L-808」等であるとの説明を受けており,請求書等の表示からも品種名は知り得なかったこと,④本件通知後にDNA分析を行うなどして可能な調査・確認は尽くしたことなどを理由に,本件では過失の推定を覆滅すべき事情が存在すると主張する。
そこで,以下,本件通知の前後に分けて,過失の覆滅事由の有無について検討する。
ア 本件通知より前の段階について
(ア) 原告は,本件通知より前の段階においても,被告河鶴又は河鶴農研が本件品種と被告各しいたけとの異同を調査・確認することは十分可能であり,そのような調査・確認をすべきであったと主張する。
この点,確かに,河鶴農研は業としてしいたけを生産,販売していたものであり,被告河鶴も業としてこれを販売していたのであるから,購入したしいたけの種菌等が品種登録を受けている品種と特性により明確に区別されない品種であるか否かを慎重に調査・確認すべき注意義務を負うというべきである。
他方,被告らも指摘するとおり,種苗法に基づく品種登録の運用上,しいたけについては,出願品種の用途に菌床栽培が含まれる場合であっても,原木栽培に係る品種の特性のみを品種登録原簿に掲載するとの取扱いがされていること(前記第2,2(3)ウ),原木栽培と菌床栽培とでは発生するしいたけの特性が大きく異なることの各事実が認められる。
そうすると,本件において被告河鶴らが育成者権の侵害の有無を調査・確認するには,被告河鶴及び河鶴農研が取引先からの説明及び請求書の表示等から本件品種に係る菌床であると認識することができず,かつ,しいたけの品種登録制度に関する現在の取扱いの下では本件品種に関して公示されている特性表(原木栽培のみ)との対比によっても被告各しいたけ(菌床栽培)と本件品種の異同を判別することができない以上,まず,その取り扱うしいたけについて原木栽培を行った上で,登録されている全ての品種の特性表との対比を行い,その上で,育成者権を侵害するおそれがある品種については必要に応じてDNA解析等による調査・確認を行うことが必要となるが,被告河鶴らのような通常の取引業者にそこまでの注意義務を課すことは相当ではないというべきである。
(イ) これに対し,原告は,被告各しいたけの外見から本件品種との類似性を判断することは可能であり,現に原告は店頭に並ぶ被告各しいたけから本件品種に係る育成者権の侵害の可能性を認識し得たと主張する。
しかし,菌床栽培に係るしいたけの特性は公示されていない以上,育成者権者として菌床栽培した場合の本件品種の特性を把握している原告と異なり,通常の取引業者は,自らの取り扱う菌床栽培に係るしいたけと本件品種との異同を外見から判別することは困難であったというべきである。
また,原告は,被告らの主張によればしいたけの菌床栽培により他人の育成者権を侵害した者は常に過失が推定されないこととなるが,そのような解釈は採り得ないと主張する。
しかし,過失推定の覆滅事由の有無は,菌床の販売業者からの説明内容及びその合理性,請求書等の表示,育成権者からの指摘の有無なども含め,各事案における事実関係を踏まえて総合的に判断されるものであり,しいたけに係る品種の公示の在り方から常に過失がないと判断されるものではない。
したがって,原告の上記各主張はいずれも理由がない。
(ウ) 以上のとおり,本件通知前の段階においては,①河鶴農研はS.S.ITから購入する菌床が「L-808」との説明を受け,その説明に疑念を差し挟むべき事情はうかがわれないこと,②S.S.IT等からの請求書にも品種の表示はなかったこと,③品種登録制度の運用上,被告河鶴及び河鶴農研は品種登録簿に添付された特性表から品種の異同を判断することはできなかったことなどの事情が認められ,これらは過失の覆滅事由に当たるというべきである。」
4 検討
本件判決は、種苗法に基づく品種登録の運用上、しいたけについては原木栽培によって栽培した際の特性のみが登録されて公示され、菌床栽培によって栽培された際の特性は公示されないという事情のもとでも、種苗法35条の育成者権侵害者の過失の推定が認められるとした。その理由として、法35条が,「他人の育成者権又は専用利用権を侵害した者は,その侵害の行為について過失があったものと推定する。」と規定するのみであって,公示の範囲や侵害の調査・確認の難易度によりその適用範囲を制限又は限定する旨の例外規定は,特段設けられていない、ことを挙げている。その上で裁判所は、過失の推定が覆滅されるか(過失があるとの推定が覆るか)を検討し、少なくとも育成者権者からの警告状受領前の行為については、過失の推定が覆ると認定した。
以上
(文責)弁護士 篠田 淳郎