【最高裁平成30年12月3日第二小法廷決定(平成30年(あ)第582号)】
【ポイント】
A社の元従業員がB社に転職するに際し営業秘密を持ち出した営業秘密侵害罪被告事件において、最高裁判所第二小法廷が、営業秘密の領得を認定した原判決を維持し、被告人の上告を決定で棄却した事案。
【キーワード】
不正競争防止法21条1項3号,不正の利益を得る目的,図利加害目的,営業秘密の持ち出し
事案の概要
被告人は、自動車の開発、製造、売買等を業とするA自動車株式会社(以下「A」という。)に勤務し、Aが秘密として管理しているAの自動車の商品企画に関する情報などであって公然と知られていないものを,Aのサーバーコンピュータに保存されたそれらの情報にアクセスするための識別符号であるID及びパスワードを付与されて,示されていた者である。事実関係は下記の通りである。
- (1) 被告人は,Aで主に商品企画業務に従事していたが,B自動車株式会社(以下「B」という。)への就職が決まり,平成25年7月31日付けでAを退職することとなった。被告人は,Bにおいて,海外で車両の開発及び企画等の業務を行うことが予定されていた。
- (2) 各データファイルは,いずれもアクセス制限のかけられたAのサーバーコンピュータに格納される等の方法により営業秘密として管理されていた。
- (3) 被告人は,Aから,パーソナルコンピュータ(ノート型。以下「会社パソコン」という。)を貸与され,会社パソコンを持ち出して社外から社内ネットワークに接続することの許可を受けていた。他方,Aにおいて,私物の外部記録媒体を業務で使用したり,社内ネットワークに接続したりすること,会社の情報を私物のパーソナルコンピュータや外部記録媒体に保存することは禁止されていた。
- (4) 被告人は,同月16日,自宅において,会社パソコンに保存していたデータファイル8件を含むフォルダを私物のハードディスクに複製し,さらに,同月18日,自宅において,私物のハードディスクから私物のパーソナルコンピュータ(以下「私物パソコン」という。)に同フォルダを複製した。その後,最終出社日とされていた同月26日までの間に,被告人が複製した上記データファイル8件を用いたAの通常業務,残務処理等を行ったことはなかった。
- (5) 被告人は,同日,Aテクニカルセンターにおいて,持ち込んだ私物のハードディスクを会社パソコンに接続し,Aのサーバーコンピュータから前記各データファイルを含む合計3253件のデータファイルを複製した。このうちの3フォルダには,それぞれ商品企画の初期段階の業務情報,各種調査資料,役員提案資料等が保存されており,Aの自動車開発に関わる企画業務の初期段階から販売直前までの全ての工程が網羅されていた。
被告人は、営業秘密該当性と不正の利益を得る目的を争ったものの、地裁判決(懲役1年執行猶予3年)が維持され、控訴・上告となった事案である。
判旨
最高裁は、「被告人は,勤務先を退職し同業他社へ転職する直前に,勤務先の営業秘密である…各データファイルを私物のハードディスクに複製しているところ,当該複製は勤務先の業務遂行の目的によるものではなく,その他の正当な目的の存在をうかがわせる事情もないなどの本件事実関係によれば,当該複製が被告人自身又は転職先その他の勤務先以外の第三者のために退職後に利用することを目的としたものであったことは合理的に推認できるから,被告人には法21条1項3号にいう『不正の利益を得る目的』があったといえる。以上と同旨の第1審判決を是認した原判断は正当である。」と判示した。
検討
不正競争防止法では、「『営業秘密』とは、秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないものをいう。(2条6項)」と、定義しており、①秘密として管理されていること(秘密管理性)、②事業活動に有用な技術上または営業上の情報であること(有用性)、③公然と知られていないこと(非公知性)が要件とされている。
そして、営業秘密侵害罪を定める不正競争防止法21条1項各号は、いずれも「不正の利益を得る目的」又は「営業秘密の保有者に損害を加える目的」を要件としており、このうち「不正の利益を得る目的」とは、公序良俗又は信義則に反する形で不当な利益を図る目的のことをいい、自ら不正の利益を得る目的(自己図利目的)のみならず、第三者に不正の利益を得させる目的(第三者図利目的)も含まれる。
本件では、被告は、上記(4)、(5)の行為について、①業務関係データの整理や、退職に際して記念写真を回収することを目的としたものであって、転職先で直接または間接に参考にする目的ではなかった、②不正競争防止法21条1項3号にいう「不正の利益を得る目的」があるというためには、正当な目的・事情がないことに加え,当罰性の高い目的が認定されなければならず、情報を転職先等で直接的又は間接的に参考にするなどという曖昧な目的はこれに当たらない、といった主張をした。
これに対し、本決定は、被告人による複製は勤務先の業務遂行の目的によるものではなく、かつ、その他の正当な目的の存在をうかがわせる事情もないといった事実関係から、複製が被告人自身または転職先その他の第三者のために退職後に利用することを目的としたものであったことが合理的に推認できるとし、結論において、「不正の利益を得る目的」を認定した。
本件では、同業他社への転職直前に重要な営業秘密を持ち出したケースでは、退職の記念や思い出のために持ち出したと弁解し、積極的に不正な目的を立証することができなくとも、具体的事実から「正当な目的が認められない」という消極的事実を認定して、自己は又は第三者のために利用する目的を推認することが許されることが示された。主観的事実の立証は容易ではないため、本決定と事実関係が類似する事案については、本決定が参考になるであろう。会社側としては、退職する役員や従業員のデータファイルへのアクセスにつき業務遂行目的等を否定することが可能なように、書面やメールなどで退職直前の業務内容を明確化することが重要となる。
以上
(文責)弁護士・弁理士 高橋正憲