【平成30年7月5日(知財高裁 平成29年(行ケ)第10143号)】◆新規性に関する裁判例
【キーワード】
実施可能要件、サポート要件違反
1 事案の概要
本件は、原告の特許(特許第5456973号、発明の名称:ウェーハレベルパッケージングにおけるフォトレジストストリッピングと残渣除去のための組成物及び方法)について無効審判が請求され認容審決(無効審決)がされたところ、原告が、審決取消訴訟を提起し、その取消しを求めた事案である。
◆争点:訂正後発明(原告がした訂正請求により訂正された発明)について実施可能要件及びサポート要件に適合するか。
※:原告は、審決における容易想到性に係る判断の誤りについても主張したが、この点については判断されなかった(この点について判断するまでもないものとして棄却された。)。
2 裁判所の判断
第5 当裁判所の判断
……
2 取消事由3(実施可能要件適合性の判断の誤り)について
(2) 明細書の発明の詳細な説明の記載が実施可能要件に適合するというためには,物の発明にあっては,当業者が明細書及び図面の記載並びに出願当時の技術常識に基づいて,その物を生産でき,かつ,使用できるように,方法の発明にあっては,その方法を使用できるように,それぞれ具体的に記載されていることが必要である。
本件についてみると,訂正後発明1~7は組成物の発明,訂正後発明8及び9は訂正後発明1~7のいずれかの組成物を用いた方法の発明であるから,本件訂正発明について,本件明細書の発明の詳細な説明の記載が実施可能要件に適合しているというためには,少なくとも,訂正後発明1~7の組成物を生産でき,かつ,使用することができるように具体的に記載されていなければならない。
そして,本件訂正発明に係る組成物は,上記1において説示したとおり,集積回路基板等からポリマーやエッチング・アッシング残渣を除去することが可能であることと,同時に,金属で形成された回路の損傷量を許容し得る範囲に抑えることが求められるものであるから,本件訂正発明に係る組成物を生産し,使用することができるというためには,当該組成物がこの2つの性質を兼ね備えていることが必要である。したがって,本件訂正発明における実施可能要件適合性の判断に当たっては,基板からポリマーやエッチング・アッシング残渣を除去することができることと,金属で形成された回路の損傷量を許容し得る範囲に抑えること,の2つの性質を両立している組成物を生産することができるといえるかどうかを検討することとなる。
(3) ……以上によれば,本件明細書の発明の詳細な説明において,訂正後発明1に係る成分を含有し,実際にポリマー,エッチング・アッシング残渣の除去と金属で形成された回路の損傷量を許容し得る範囲に抑えることとが両立している組成物についての具体的な実施例が記載されていると認めることはできない。
(4) ……上記(3)において説示したとおり,訂正後発明1に係る成分を含有し,基板からのポリマー,エッチング・アッシング残渣除去と金属で形成された回路の損傷量を許容し得る範囲に抑えることが両立している具体的な組成物の例も記載されていない。
また,本件明細書に記載されているその余の組成物についても,基板からのポリマー,エッチング・アッシング残渣の除去作用と回路材料である金属の腐食作用の各程度を,同一の組成物について具体的に評価した例は発明の詳細な説明に記載されておらず,実際のpHの値が具体的に明らかにされた組成物すら記載されていない。
(5) 以上検討したところによれば,……基板からのポリマー,エッチング・アッシング残渣の除去作用と回路材料である金属の腐食作用との関係において,どの程度のpHの調整が必要であるのかについての具体的な情報が余りにも不足しているといわざるを得ない。そのため,当業者が,本件明細書の発明の詳細な説明の記載に基づいて,本件訂正発明に係る組成物を生産しようとする場合,具体的に使用するレジストや回路材料等を念頭に置いて,基板からのポリマー,エッチング・アッシング残渣の除去と回路の損傷量を許容し得る範囲に抑えることとが両立した適切な組成物を得るためには,的確な手掛かりもないまま,試行錯誤によって各成分の配合量を探索せざるを得ないところ,このような試行錯誤は過度の負担を強いるものというべきである。
したがって,本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,訂正後発明1~7の組成物を生産でき,かつ,使用することができるように具体的に記載されているものとはいえない。
……
(7) したがって,本件特許が実施可能要件に適合するものとはいえないとの審決の判断に誤りがあるとはいえない。
3 取消事由4(サポート要件適合性の判断の誤り)について
(1) 特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かについては,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解される。
(2) 上記1のとおり,本件訂正発明の課題は,集積回路基板,ウェーハレベルパッケージング基板又はプリント基板から,ポリマー,エッチング残渣,アッシング残渣,又はそれらの組合せを除去することができると同時に,回路を構成する銅などの材料は腐食されないとの2つの性質を両立させることのできる組成物を提供することと認められる。
しかし,上記2において説示したとおり,本件明細書の発明の詳細な説明には,上記2つの性質が両立していると具体的に評価された実施例に関する記載はなく,技術常識を併せ考慮したとしても,当業者が本件訂正発明に係る組成物を生産しようとする場合,過度の試行錯誤によって各成分の配合量を探索せざるを得ない。
したがって,本件訂正発明1~7に係る特許請求の範囲の記載は,技術常識を考慮しても,当業者が,本件明細書の発明の詳細な説明の記載から,集積回路基板等から,ポリマー,エッチング残渣,アッシング残渣,又はそれらの組合せの除去と回路の損傷量を許容し得る範囲に抑えることとを両立させることのできる組成物と認識できる範囲内のものであるとはいえない。
……
(4) したがって,本件特許がサポート要件に適合するものとはいえないとの審決の判断に誤りがあるとはいえない。
3 コメント
(1) 本件では物の発明と、当該物を用いた方法の発明の実施可能要件について、「……を生産でき,かつ,使用することができるように具体的に記載されていなければならない。」と述べたうえで、その「使用することができる」ことについて、「集積回路基板等からポリマーやエッチング・アッシング残渣を除去することが可能であることと,同時に,金属で形成された回路の損傷量を許容し得る範囲に抑えること」、すなわち、本件特許の課題を解決できることを求めている(本件に先立つ無効審判の審決によれば、特許権者(原告)が、本件特許の課題が、フォトレジスト残留物の除去だけでなく,回路を損傷しないことにもある旨を述べたようである。)。
実施可能要件を充足するための要件として、その「物」を生産できることが挙げられるが、本件のように、その「物」を「使用」できるか否かにまで踏み込んだ裁判例も存在する(本件の他には、知財高裁平成27年8月5日判決(平成26年(行ケ)第10238号・活性発泡体事件)など)。
他方で、東京地裁令和2年3月26日判決(平成29年(ワ)第24598号)のように、実施可能要件の適合性に関しては「使用」に関してまでは判断しない例もみられる。
この点、裁判体が実施可能要件との関係で物の発明の「使用」の可否・難易について言及するかは、その特許に関する実施可能要件違反を主張するものの具体的な主張の内容によるかもしれない。また、上記東京地裁令和2年3月26日判決でもそうであるが、「使用」に過度の試行錯誤を要する物の発明について、実施可能要件違反の認定を受けなかった場合でも、サポート要件違反は免れない場合が多いであろうから、結局、無効の結論については変わらない場合がほとんどであると思われる。
(2) サポート要件違反については、知財高裁平成17年11月11日判決(平成17年(行ケ)第10042号・偏光フィルム事件大合議判決)と同様の規範を挙げたうえで、あっさりと適合性を否定している。
以上
弁護士・弁理士 高玉峻介