【平成30年8月8日(知財高裁 平成30年(ネ)第10019号)】

【事案】

 本件は、一審原告が、本訴として、一審被告が出願した発明の名称を「位相同期回路、RFフロントエンド回路、無線送受信回路、携帯型無線通信端末装置」とする特許出願(特願2015-227937号。以下「本件出願」という。)に係る本件発明の特許を受ける権利が、原告に帰属する旨主張して、その確認を求めるとともに、被告による本件出願がいわゆる冒認出願の不法行為に当たる旨主張して、一審被告に対し、不法行為に基づく損害賠償を求め、これに対して、一審被告が、反訴として、一審原告が、一審被告と一審原告間の本件発明に係る無線送受信回路の技術に関する研究開発契約に基づく業務を中止したことが債務不履行又は不法行為に当たる旨主張して、一審原告に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を求めた事案である。
 一審原告の請求及び一審被告の請求は、いずれも理由がないものとして棄却された。

【キーワード】

 特許を受ける権利

【争点】

 本件の争点は、以下のとおりである。
(1)一審原告から一審被告への本件発明についての特許を受ける権利の承継の有無(争点1)(本訴請求関係)
(2)一審原告による一審被告と一審原告間の研究開発契約の債務不履行又は不法行為の成否及び一審被告の損害額(争点2)(反訴請求関係)

 本稿では、「(1)一審原告から一審被告への本件発明についての特許を受ける権利の承継の有無(争点1)(本訴請求関係)」について取り上げる。

【判決一部抜粋】(下線は筆者による。)

第1 控訴の趣旨
・・(省略)・・
第2 事案の概要
・・(省略)・・
第3 当裁判所の判断
 当裁判所も、一審原告の特許を受ける権利の帰属確認請求及び一審被告の反訴請求は、いずれも理由がないものと判断する。その理由は、以下のとおりである。
1 争点1(一審原告から一審被告への本件発明についての特許を受ける権利の承継の有無)について
(1) 本件発明の概要
・・(省略)・・
(2) 本件の経過等
・・(省略)・・
(3) 本件発明についての特許を受ける権利の承継の有無
ア 前記(1)及び(2)の認定事実を総合すれば、①一審原告は、Aと知り合う前から本件技術の研究を行っていたが、一審原告自身にはその研究開発を進めていく資金がなかったため、Aと知り合って以降に、Aに上記事情を説明し、Aが代表社員を務める一審被告と協力して、携帯電話端末等の民生用の技術として本件技術の研究開発を進めていくこととし、その研究成果である本件発明について本件出願に至っていること、②本件出願に当たっては、一審被告が本件特許事務所に対して出願手続を委任し、本件出願に係る願書の「特許出願人」欄には一審被告の名称が記載されており、しかも、特許出願料、本件特許事務所に対する手数料等の本件出願に必要な費用は、一審被告が負担していること、③一審原告は、一審被告の担当者として、本件出願に係る願書の作成に関与し、複数回にわたって、本件特許事務所が作成した願書案の内容を確認してコメントを付したり、本件特許事務所からの質問に回答するなどし、最終の願書案についても、Aに代わって確認し、その願書案のとおりの内容で出願することを了承し、その願書案中の1枚目の願書(「特許願」と題する書面)の「特許出願人」欄には一審被告の名称が記載されていたことが認められる。
  上記認定事実によれば、一審原告は、本件出願に係る願書の「特許出願人」欄に一審被告の名称が記載されていること及び本件出願に必要な費用は全て一審被告が負担していることを十分に認識し、本件出願について特許査定がされた場合には、特許出願人である一審被告が特許権を取得することを理解していたものと認められる。
  加えて、一審原告と一審被告との間で本件発明についての特許を受ける権利の譲渡の対価額について具体的な交渉がされたことはうかがわれないものの、他方で、一審原告が一審被告に対して無償で上記特許を受ける権利を譲渡すべき事情も認められないこと、その他本件出願に至る経緯等(前記(2))に鑑みると、一審原告と一審被告との間では、遅くとも本件出願時までに、一審原告の有する本件発明についての特許を受ける権利を一審被告に相当な対価で譲渡する旨の黙示の合意が成立したものと認めるのが、当事者の合理的意思に合致するというべきである。
イ これに対し、一審原告は、①願書案についての一審原告の確認対象は、請求項の技術的な記載事項に限定されており、その他の記載は十分に確認していないし、また、一審原告においては、特許出願手続や願書案の記載方法について全く知識を有していなかったため、願書案の「特許出願人」欄に記載される者が本件出願に係る特許を受ける権利を有している者をも意味する記載であると認識することは、極めて困難であったこと、②一審原告は、本件発明についての特許を受ける権利の対価の支払を受けておらず、一審原告が無償で上記特許を受ける権利を一審被告に譲渡すべき理由もないことからすると、一審原告が一審被告に対して本件発明についての特許を受ける権利を黙示に譲渡した事実はない旨主張する。
  しかしながら、上記①の点については、前記ア認定のとおり、一審原告は、本件出願に係る願書の作成に関与し、複数回にわたり、願書案の内容を確認し、最終の願書案についても、Aに代わって確認し、その願書案のとおりの内容で出願することを了承しているところ、願書案中の1枚目の願書(「特許願」と題する書面)の「特許出願人」欄に一審被告の名称が記載されていたのであるから、一審原告が願書案の確認を行うに際し、その記載に気付かないはずはないし、また、特許出願について特許査定がされた場合には、願書に「特許出願人」と記載された者が特許権を取得することは、特許出願手続や願書の記載方法について知識がなくても当然に理解できる事柄である。
  また、上記②の点については、一審原告と一審被告間の本件発明についての特許を受ける権利の黙示の譲渡の合意は、無償ではなく、一審被告が相当な対価を支払うことを内容とするものであり、仮に一審原告が一審被告から上記譲渡の対価の支払を未だ受けていないとしても、そのことは上記合意の成立を妨げるべき事情となるものではない。
  したがって、一審原告の上記主張は、採用することができない。
(4) 小括
  以上のとおり、一審原告と一審被告との間では、遅くとも本件出願時までに、一審原告の有する本件発明についての特許を受ける権利を一審被告に相当な対価で譲渡する旨の黙示の合意が成立したものと認められるから、上記合意により、上記特許を受ける権利は一審被告に移転したものと認められる。
  したがって、一審原告の特許を受ける権利の帰属確認請求は、理由がない。
・・(以下、省略)・・

【検討】

 本件は、原告が、被告に対して、本件発明についての特許を受ける権利を黙示に譲渡した事実はないと主張したのに対し、裁判所は、本件発明が出願に至るまでの経緯によれば、原告と被告との間では、遅くとも本件出願時までに、原告の有する本件発明についての特許を受ける権利を被告に相当な対価で譲渡する旨の黙示の合意が成立したものと認められる、と判断した点に特徴がある。
 通常、会社の従業員が業務上行った発明については、会社の就業規則や職務発明規程において、発明の特許を受ける権利が会社に帰属するように規定されているのが一般的である。もっとも、特に中小企業やベンチャー・スタートアップの中には、そのような規定がない会社も多く存在すると思われる。また、今はそのような規定を定めていたとしても、過去にそのような規定が定められていない中で特許出願を行ったことのある会社も多く存在するのではないかと想像される。このような規定がなければ、特許を受ける権利は、原則、発明を行った従業員に帰属し、会社には帰属しないこととなるため、後々、特許を受ける権利の帰属について、会社と従業員との間でトラブルになることも考えられる。そのような場合、会社と従業員との間に、特許を受ける権利の帰属に関しての明示又は黙示の合意があったといえるかが問題となる。
 本件では、裁判所は、原告が被告に対して特許を受ける権利を譲渡する旨の黙示の合意があったと認定するための事実として、以下のようなものを挙げている。
・被告が本件特許事務所に対して出願手続を委任し、本件出願に係る願書の「特許出願人」欄には被告の名称が記載されていたこと
・本件出願に必要な費用は、被告が負担したこと、
・原告は、被告の担当者として、本件出願に係る願書の作成に関与し、複数回にわたって、本件特許事務所が作成した願書案の内容を確認してコメントを付したり、本件特許事務所からの質問に回答するなどしたこと
・原告は、最終の願書案についても、その願書案のとおりの内容で出願することを了承し、その願書案中の1枚目の願書(「特許願」と題する書面)の「特許出願人」欄には被告の名称が記載されていたこと、等
このように、出願に至るまでの関係者の行動、願書の「特許出願人」の記載などが挙げられている。会社としては、このような事実を主張・立証する上で、会社・従業員の当時の電子メールが重要な証拠になると考えられる。
 本件は、従業員が業務上行った発明について、その特許を受ける権利の帰属を定めた規定がない会社の立場から、参考になる判決である。

以上
弁護士・弁理士 溝田尚