【知財高判平成30年7月18日(平成29年(行ケ)第10114号)】
【キーワード】
新規性、進歩性、用途発明
1 事案の概要
本件は,無効審判の請求不成立審決の取消が求められた審決取消訴訟である。本件は,既に鎮静剤としての用途が知られていたデクスメデトミジンという薬剤について,「集中治療を受けている重篤患者の鎮静」という用途を特定した発明の新規性・進歩性が認められた事例である。
2 特許請求の範囲の記載
【請求項1】
集中治療を受けている重篤患者の鎮静に使用する医薬品の製造における,デクスメデトミジンまたはその薬学的に許容し得る塩の使用であって,該患者が覚醒され,見当識が保たれる使用。
3 従来技術について
本件特許出願当時,デクスメデトミジンという薬剤は,鎮静剤として広く用いられていた。また,甲3(主引例)には,血管手術を受けた患者にデクスメデトミジンを投与したことが記載されている。
4 裁判所の判断
⑴ 本件特許発明の「集中治療を受けている重篤患者の鎮静」の意義について
「(2) 本件発明1の「集中治療を受けている重篤患者の鎮静」の意義について
ア まず,本件発明1の特許請求の範囲(請求項1)には,「集中治療を受けている重篤患者の鎮静」の用語の意義を規定した記載はない。
次に,本件明細書を参酌すると,「集中治療を受けている重篤患者の鎮静」の用語の意義を規定した記載はないが,①「ICU状況における鎮静」の用語は,ICU(集中治療室)における「患者の実際の鎮静」に加えて,「苦痛および不安などの患者の安心感に影響を及ぼす状態の治療も含む」こと(【0001】),②危機的な病状の段階から回復する患者(重篤患者)のICU滞在中における最も共通した不快な記憶は,「不安,苦痛,疲労,衰弱,乾き,様々なカテーテルの存在,および理学療法などの少数派の処置」であり,ICU鎮静のねらいは,「患者が,興奮することなく,快適であり,くつろいでいて,また静脈ライン(iv‐line)またはほかのカテーテルの設置といったような不快感を与える処置に耐えることを保証すること」であり(【0002】),集中治療を受けている重篤患者の鎮静は,「苦痛および不安などの患者の安心感に影響を及ぼす状態の処置」をも含んでいること(【0003】),③α2-アゴニストであるデクスメデトミジンまたはその薬学的に許容し得る塩が,「患者を安心させるためにICUにおいて患者に投与するのに理想的な鎮静剤」であること(【0024】),④ICUにおける鎮静の性質は,独特なものであり,デクスメデトミジンまたはその薬学的に許容し得る塩によって鎮静化された患者は,治療が容易にできるよう覚醒され,見当識が保たれており,患者は呼び覚まされ,質問に応答することができ,気づいているけれども,「不安そうではなく,気管チューブをよく許容している」こと(【0027】),⑤実施例はデクスメデトミジンが,「鎮静化と患者の快適化の独自の性質を提供するので,ICUにおいて患者を鎮静化するための理想的な薬剤であることを示す」こと(【0035】),⑥「集中治療室」の用語は,「集中治療を提供するようないかなる環境をも包含する」こと(【0026】)の記載がある。上記⑥に関連し,一般に,「ICU」とは,「内科系・外科系を問わず,呼吸・循環・代謝・その他の全身管理を集中的に行うことにより,治療効果を期待し得る急性重症患者を収容する部門」を意味する(甲48)。
そして,請求項1の文言及び本件明細書の上記記載事項等を総合すると,本件発明1の「集中治療を受けている重篤患者の鎮静」は,集中治療を受けている重篤患者の実際の鎮静に加えて,(呼吸,循環,代謝その他の全身管理が集中的に行われる)集中治療の状況下での様々なカテーテルの存在,理学療法などの処置によって生じる苦痛および不安などの「患者の安心感に影響を及ぼす状態の治療」としての鎮静を意味するものであり,この両方の鎮静が必要であるものと認められる。
本件発明1の「集中治療を受けている重篤患者の鎮静」の用語に関する本件審決の認定は,これと同旨をいうものと認められるから,誤りはない。」(下線は筆者)
⑵ 甲3に記載された事項について
「α2-アドレナリン受容体作動薬は周術期ストレス反応を減弱させるのに有効であること,および,クロニジンは周術期抗虚血作用を有することを複数の臨床研究が示唆している。デクスメデトミジンはα2-アドレナリン受容体作動薬であり,クロニジンよりもα2/α1受容体選択性が10倍高い。健常ボランティアにおいて,デクスメデトミジンは循環血中のカテコラミンを最大90%減少させ,クロニジンと同様に,鎮痛作用と鎮静作用を有する。健康な外科患者において,デクスメデトミジンは,血行動態安定性を高め,麻酔薬の必要量を減じ,挿管に対する高心拍出量性反応を減弱させる。しかし,交感神経遮断は,血圧低下や徐脈など,潜在的に有害な臨床作用も来す。このような血行動態的変化に,血管疾患患者や重症心筋疾患患者には耐えられない可能性がある。
これまで,デクスメデトミジンは健常ボランティアと健康な外科患者に対してのみ投与されてきた。そのため,ハイリスク外科患者へのデクスメデトミジンの周術期投与の実施可能性と影響の予備的評価を行うため,血管外科患者を対象として,連続的に増加する用量のデクスメデトミジンの持続注入について検討した。血管外科患者は,冠動脈疾患(CAD)の罹患率が高く,周術期の血行動態安定性が高まることにより大きな恩恵が得られると思われる患者集団である。
前記アの記載事項によれば,甲3には,①心筋虚血のリスクが高い患者において,周術期のストレス反応を軽減するなら,心筋虚血の発生を減じ,周術期の合併症発生率や死亡率を低下させることができる可能性があり,一方,α2-アドレナリン受容体作動薬は,周術期のストレス反応を減弱させるのに有効であるが,交感神経遮断作用が,血圧低下や徐脈など潜在的に有害な臨床作用も来し,このような血行動態的変化に血管疾患患者や重症心筋疾患患者には耐えられない可能性があるため,従来,α2-アドレナリン受容体作動薬であるデクスメデトミジンは,健常ボランティアと健康な外科患者に対してのみ投与されてきたこと,②甲3の臨床研究は,高い冠動脈疾患リスクを有する外科患者へのデクスメデトミジンの周術期投与の実施可能性と影響の予備的評価を行うため,24人の血管外科患者を対象として,麻酔開始の1時間前から手術後48時間まで,プラセボ群と3つの異なる注入用量のデクスメデトミジン群(低用量群(血漿濃度目標0.15ng/ml),中用量群(同0.30ng/ml)及び高用量群(同0.45ng/ml)に分けて,デクスメデトミジンの持続注入を行い,血圧,心拍数,心筋の酵素等を測定し,その臨床データを解析した研究であること,③研究の結論として,血漿濃度目標0.45ng/mlまでのデクスメデトミジン投与は,血管手術を受ける外科患者の周術期の血行動態管理に有益なようであるが,血圧と心拍数をサポートするためより多くの手術中の薬理学的介入を必要としたことの開示があることが認められる。)」
⑶ 本件特許発明と甲3に記載された発明との同一性について(新規性)
「4) 本件発明1と甲3に記載された発明との同一性について
・・・
a そこで検討するに,甲3には,研究の対象とされた24人の血管外科患者が,その外科手術後に,集中治療室(ICU)に収容されたことや,集中治療を受けたことを明示した記載はない。
次に,甲3の表1・・・(略)・・・ 表1の外科手術の区分をみると,プラセボ群では,「大動脈手術3,頚動脈手術1,末梢血管手術2」,低用量群では,「大動脈手術3,頚動脈手術0,末梢血管手術3」,中用量群では,「大動脈手術1,頚動脈手術2,末梢血管手術3」,高用量群では,「大動脈手術2,頚動脈手術3,末梢血管手術1」との記載がある。このうち,「大動脈手術」を受けた患者については,一般に,「大動脈手術」には,開胸手術や開腹手術といった侵襲性の高い手術が含まれることに照らすと,術後の集中治療を要する患者であった可能性が高く,「集中治療を受けている重篤患者」に該当するものと認められる。
・・・(略)・・・
以上によれば,甲3記載の血管外科患者が「集中治療を受けている重篤患者」に該当するとの原告らの主張は,「大動脈手術」を受けた患者については理由があるが,その余の手術を受けた患者については理由がない。
・・・
そこで検討するに,甲3には,甲3記載の血管外科患者について,その手術後に,実際の鎮静と(略)集中治療の状況下での様々なカテーテルの存在,理学療法などの処置によって生じる苦痛および不安などの「患者の安心感に影響を及ぼす状態の治療」としての鎮静のいずれもが確認されたことについての記載はない。また,甲3には,甲3記載の血管外科患者に対するデクスメデトミジンの投与が上記両方の鎮静の用途に使用するものであったことについての記載もない。
したがって,甲3には,本件発明1の「集中治療を受けている重篤患者の鎮静」についての開示がない。
b 前記1(2)イ記載の「鎮痛」に関する認定事実及び甲3記載の「デクスメデトミジンの交感神経遮断作用」は,手術のストレスにより交感神経系が刺激され,内分泌反応を引き起こして血圧や心拍数を増加させることを抑制するために,交感神経を遮断する作用であること(略)に照らすと,原告らのいう甲3記載の「手術後の該患者」(血管外科患者)の「鎮痛」や「デクスメデトミジンの交感神経遮断作用」は,いずれも集中治療の状況下での様々なカテーテルの存在,理学療法などの処置によって生じる苦痛および不安などの「患者の安心感に影響を及ぼす状態の治療」としての鎮静に該当しない。
c 以上によれば,甲3記載の血管外科患者に対するデクスメデトミジンの投与が,本件発明1の「集中治療を受けている重篤患者の鎮静」の用途の使用に当たるとの原告らの主張は,採用することができない。」
⑷ 甲3に記載された発明からの進歩性について
「2 取消事由2(甲3及び周知技術に基づく進歩性判断の誤り)について
原告らは,本件発明1と甲3に記載された発明(原告甲3発明)は,本件発明1には,「集中治療を受けている重篤患者」との原告甲3発明では,重篤患者が「集中治療を受けている」ことが明示されていない点(本件相違点)でのみ相違し,その余の構成は一致する特定があるのに対し,ところ,本件発明1は,甲3に記載された発明(原告甲3発明)及び周知技術に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるから,これと異なる本件審決の判断は誤りであり,同様に,本件発明2ないし12は,当業者が容易に発明をすることができたものとはいえないとした本件審決の判断も誤りである旨主張する。
しかしながら,前記1で説示したとおり,甲3には,本件発明1の「集中治療を受けている重篤患者の鎮静」についての開示がなく,甲3記載の血管外科患者に対するデクスメデトミジンの投与は,本件発明1の「集中治療を受けている重篤患者の鎮静」に使用する医薬品の製造における,デクスメデトミジンまたはその薬学的に許容し得る塩の使用ではない点で,本件発明1と相違するから,本件発明1と甲3に記載された発明が本件相違点においてのみ相違し,その余の構成は一致するということはできない。
したがって,原告らの上記主張(取消事由2)は,その前提を欠くものであるから,その余の点について判断するまでもなく,理由がない。」
5 考察
上記のように、デクスメデトミジンは、鎮静剤として広く用いられていた。
一方、本件特許発明は、集中治療を受けている重篤患者の鎮静という用途を規定している。
判決では、本件特許明細書の記載を参酌して、本件特許発明にいう「集中治療を受けている重篤患者の鎮静」というのは、(1)集中治療を受けている重篤患者の実際の鎮静と、(2)集中治療の状況下での様々なカテーテルの存在,理学療法などの処置によって生じる苦痛および不安などの「患者の安心感に影響を及ぼす状態の治療」としての鎮静、の両方を含むものであると認定した。
そして、甲3には、患者が集中治療を受けていることが明記されていないものの、判決は、甲3に記載されている大動脈手術を受けた患者については「集中治療を受けている重篤患者」に該当すると認定した。
しかしながら、判決は、甲3には、上記(1)及び(2)のうち、(2)が記載されていない点を指摘して、本件特許発明の新規性を認めた。
また、進歩性については、原告(無効審判の請求人)が主張する本件特許発明と甲3記載の発明との一致点、相違点が誤っており、原告主張は前提を欠いているとして、進歩性については特段深く検討することなく、原告主張を排斥した。
本件特許明細書の記載を参酌して、「集中治療を受けている重篤患者の鎮静」という用語には、上記(1)と(2)の双方の鎮静が含まれるという判断手法に特段異論はない。
ただ、鎮静剤としてデクスメデトミジンを投与することが知られていた中で、本件特許発明が成立している点について、既存の用途と本件特許発明の用途が区別できず、混乱が生じるおそれがあるのではないかと考えられる。
以上
(文責)弁護士 篠田淳郎