【令和5年8月29日判決(大阪地裁 令和2年(ワ)第12107号)】

【事案の概要】

 本件は、被告の従業員であった原告が、被告の在職中に職務上行った各発明(特許第4700480号の特許(以下「本件特許1」という。)に係る発明(以下「本件発明1」という。)及び特許第5919173号の特許(以下「本件特許2」といい、本件特許1と本件特許2を総称して「本件各特許」という。)に係る発明(以下「本件発明2」といい、本件発明1と本件発明2を総称して「本件各発明」という。)について、特許を受ける権利をいずれも被告に承継させたことにつき、被告に対し、次の各支払を求める事案である。
 (1) 本件発明1について、平成20年法律第16号による改正前の特許法(以下「平成16年特許法」という。)35条3項に基づき、未払の相当の対価等の支払
 (2) 本件発明2について、平成27年法律第55号による改正前の特許法(以下「平成20年特許法」という。)35条3項に基づき、相当の対価等の支払
 なお、本件各発明に係る特許出願までの間、被告において、職務発明に関する就業規則その他の定めは存在しなかった。また、本件発明1に係る発明者は、遅くとも本件特許1の出願日である平成17年11月22日までに、被告に対し、本件発明1に係る特許を受ける権利を承継した(前提事実として裁判所が認定した事実)。

【キーワード】

 職務発明相当対価請求権、時効完成後の債務の承認、信義則による時効援用権の喪失、給与収入、雑所得

【争点】

 本稿では、職務発明相当対価請求権に関する、時効完成後の債務の承認該当性のみについて紹介する。

【裁判所の判断】(下線は筆者が付した。)

(1) 争点1-2(職務発明相当対価請求権の時効中断の成否又は消滅時効援用の信義則違反の有無)について
ア 認定事実
 証拠(後掲のほか、甲91、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。
(中略)
(ウ)被告は、平成26年4月に「褒賞制度」運用規則を施行し、技術の革新や業務遂行上、極めて有益な発明・改良・工夫考案などにより会社に貢献した者に「技術賞」を与えているところ、同規則に基づき、褒賞制度審査会において、平成29年3月1日、平成28年度の入賞の賞金として、「アンブロキソール塩酸塩徐放OD錠の開発」について、本件特許2の特許公報に「発明者」として記載された者のうち原告を除く4名を含めた合計9名(ただし、原告は含まない。)に対し「技術賞特級」「50万円」を贈呈すると決定された。(乙69、107、108)
(エ)被告の当時の会長は、平成31年3月25日、原告に対し、本件100万円に関する目録を交付した。同目録には、「金壱佰萬円也。右の通り、贈呈いたします」との記載があり、金員の名目の記載はなかった。(甲33)
(オ)被告は、同年3月29日、原告に対し、本件100万円を支払った。本件100万円の支給は被告において「賞与」として処理された。(甲5、乙18)
 原告は、同日、被告担当者に対し、退職にあたって自らの心情等を記載した文書を添付し、「贈呈品、本日、確かに受け取りました。」との内容をメールで連絡したが、上記文書には、本件発明1に関する「贈呈品」であるとの内容の記載はなかった。(乙21、22)
(カ)被告の従業員であったP5は、令和2年2月17日、当時の被告会長に対し、本件100万円が支払われた理由の確認等を内容とするメールを送信したところ、同会長から、「長きに亘って固型剤の技術開発に多大な功績を残されました…特筆すべきことは、弊社にとって事業拡大の源である「ニフェジピンCR錠」の開発である…ここまで成長して来られたことに対する、会社としてのささやかな気持ちとして…特別贈呈」した旨の返信を受けた。(甲31)
(キ)原告は、令和2年2月20日、当時の被告社長に対し、本件製品1の被告に対する「貢献に対する褒賞金ということ」で本件100万円の支払を受けたことや、確定申告における本件100万円の取扱いを問う旨のメールを送信したところ、被告担当者から、「褒賞金は2019年3月29日の決算賞与にて支給、課税処理しております…給与収入としてご申告ください。雑所得としてのご申告は不要になる」旨の返信を受けた。(甲32)
イ 検討
(中略)
(イ)本件100万円の支払について
 原告は、本件100万円の支払が本件発明1の対価の支払であり、職務発明相当対価請求権の時効完成後の債務の承認にあたるから、被告による消滅時効の援用は信義則に反する旨主張する。
 しかし、上記アの認定事実のとおり、本件100万円の名目は目録に記載されておらず、被告は、一般的に職務発明対価は雑所得として扱われるところ、本件100万円を給与所得である「賞与」として扱っている上、一貫して長年の功労に対する贈呈金の趣旨であるとの認識を原告に伝えている。また、本件100万円は原告の退職の直前に支給されているところ、原告は在職中多数の製剤業務に携わっていたのであり(甲10)、本件発明1により製品化された本件製品1の売上げが被告の業績を拡大させたこと(争いなし)を踏まえたとしても、本件100万円を特に本件発明1の職務発明の対価として支払われた金員であると解釈すべき合理的な理由は見当たらない。加えて、被告においては、上記アの認定事実のとおり、原告の退職までの間に、褒賞制度に基づく賞金支払の運用もとられているが、当該制度の賞金が職務発明の対価に当たるかはともかく、本件100万円がその賞金に該当しないことは明らかである。
 これらの事情に照らせば、本件100万円を本件発明1の対価であると解することはできず、他に、これを認めるに足りる証拠はない。
 したがって、原告の上記主張を採用することはできない。

(2) 小括
 以上によれば、本件発明2に係る職務発明相当対価請求権は、本件特許1の出願日(平成17年11月22日)から10年の経過をもって時効消滅したと認められる(なお、後記2(4)と同様の理由から、平成16年特許法35条に基づく職務発明相当対価請求権の消滅時効期間を10年と解すべきである。)。
 よって、その余の争点について検討するまでもなく、原告の本件発明1に係る職務発明相当対価請求は理由がない。

【検討】

 本件では、被告が、平成31年3月29日に、原告に対して本件100万円を支払っており、本件100万円の支払いが、時効完成後の債務の承認行為にあたり、被告による消滅時効の援用が信義則に反するかどうかが問題となった。
 支払われた金銭等が発明等の取得等を理由としないものである場合には、いかなる意味でも債務の承認とは認められないが、支払われた金銭等が発明等の取得等を理由としないものであるかどうかは、支払われた金銭等の名目ではなく実態を考慮した評価を行う必要がある(飯塚卓也・田中浩之「第35条(職務発明)」、中山信弘・小泉直樹 編、新・注解 特許法〔第2版〕上巻、2017年9月、665頁参照)。
 本件では、①本件100万円の名目は目録に記載されておらず、被告は、一般的に職務発明対価は雑所得として扱われるところ、本件100万円を給与所得である「賞与」として扱っていること、②被告は、一貫して長年の功労に対する贈呈金の趣旨であるとの認識を原告に伝えていること、③本件100万円は原告の退職の直前に支給されており、本件100万円を特に本件発明1の職務発明の対価として支払われた金員であると解釈すべき合理的な理由は見当たらないこと、④原告の退職までの間に、褒賞制度に基づく賞金支払の運用もとられているが、本件100万円がその賞金に該当しないことを理由として、本件100万円を本件発明1の対価であると解することはできないと判断した。
 本件は、平成16年特許法及び平成20年特許法における職務発明の相当の対価が問題となった事案であるが、国税庁のホームページ(https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/gensen/2592.htm)の以下に抜粋する記載によれば、職務発明制度についての見直しを含む「特許法等の一部を改正する法律」(平成27年法律第55号)(以下「平成27年改正特許法」という。)以降の相当の利益を受ける権利に基づいて支給されるものも、雑所得となるため、本判決の上記①の理由は、平成27年改正特許法でも妥当すると考えられる。
 本判決が複数の事情を考慮して、「相当の対価」に該当するかどうかを判断したことからすれば、「相当の対価」や「相当の利益」に該当するかどうかは、当該事案における諸般の事情を考慮して判断されるものと考えるが、使用者からの支払いが時効完成後の債務の承認行為にあたり、使用者による消滅時効の援用が信義則に反する旨の主張をするにあたっては、対価の性質(雑所得かそれ以外か)を考慮する必要があると考える。

業務上有益な発明、考案または創作をした人に対して、その発明、考案または創作に係る特許、実用新案登録、意匠登録を受ける権利または特許権、実用新案権、意匠権を使用者が承継することにより支給するものについては、次のように取り扱われます。
(1) 権利の承継に際し一時に支給されるものは譲渡所得
(2) 権利を承継した後において支給されるものは雑所得
使用者原始帰属制度(契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者に職務発明に係る特許を受ける権利を取得させる制度をいいます。)に基づき、使用者が特許を受ける権利を取得したときは、発明者は使用者から相当の利益を受ける権利を有することとされていますが、この相当の利益を受ける権利に基づいて支給されるものは、雑所得となり、源泉徴収の必要はありません。

以上

文責 弁護士・弁理士 梶井 啓順