【知財高判令和5年6月22日(令和5年(ネ)第10030号)】

  1. 事案の概要(説明のため事案を簡略化している)
     本件は、X社(一審原告、控訴人)の就業規則に、職務発明に係る特許を受ける権利に関し、会社が要求することを条件に承継取得の規定が設けられていたところ、X社が、従業員との間で、職務発明に係る特許を受ける権利を会社が原始取得することの黙示の合意があるとして、X社の元従業員A(発明者)が代表をつとめるY社に対して、Y社が保有する特許について特許法74条1に基づき移転登録を求める事案の控訴審である。第一審は、AからX社への職務発明に係る特許を受ける権利の承継がなかったとして、X社の請求を棄却した。
     なお、上記就業規則には、以下が定められていた。
    「(特許、発明、考案等の取扱い)
     第84条 社員が自己の現在又は過去における職務に関連して発明、考案をした場合、会社の要求があれば、特許法、実用新案法、意匠法等により特許、登録を受ける権利又はその他の権利は、発明者及び会社が協議のうえ定めた額を会社が発明者である社員に支払うことにより、会社に譲渡又は継承されるものとする。」

  2. 本稿で紹介する内容
     本件は、退職した従業員が現在在籍している会社に対して、特許権移転登録手続請求をするという、しばしば生じる事案であるが、本稿では、知財高裁が、使用者等における職務発明に係る特許を受ける権利の取扱いの変更に関して、就業規則の不利益変更(労働契約法10条)に言及したので、その点について簡単に紹介したい。

  3. 判示内容(判決文中、下線部や(※)部は本記事執筆者が挿入)
     控訴人(会社)は、以下のとおり、従業員との間では、職務発明に係る特許を受ける権利に関し、会社に原始帰属することの黙示の合意があった旨主張したが、裁判所は、承継取得から原始取得に変更するための就業規則上定められた手続がとられていないことから、黙示の合意が成立していたことは認められないとした。また、承継取得を原始取得に変更することは、承継取得を定める就業規則の規定を不利益に変更するものであるから、何らの協議なしに就業規則が変更されたということはできないとした。
    (3) 控訴人は、前記…の就業規則の規定は空文化されており、控訴人と従業員との間で、職務発明について控訴人に原始取得する旨の黙示の合意があり、そのことは、①控訴人において、就業規則の規定にのっとった手続が行われたことがなかったこと、②被控訴人代表者が、平成29年7~8月に控訴人を出願人として職務発明について特許出願をしたが、控訴人は特許を受ける権利の移転を要求しておらず、また、承継対価の額についての協議や対価の支払を行わなかったこと、③従前からの取扱いを確認する形で平成30年9月3日に甲12規程(※執筆者注:特許を受ける権利が会社に原始帰属する旨定める職務発明規程)が制定されたこと、④本件各発明の共同発明者が、本件各発明についての特許を受ける権利が控訴人に原始的に帰属する旨認めていること、⑤被控訴人代表者が大王製紙と控訴人との間の取引を奪うことを目的として、控訴人において本件各発明についての特許出願をしたことから、明らかであると主張する。
     ア しかしながら、控訴人の就業規則の附則…により、同就業規則の改廃は社員(従業員)の代表者の意見を聴いて行うものとされているところ…、控訴人において、就業規則の規定を変更するための手続が執られたことはなく、控訴人とその従業員との間で、職務発明について就業規則の規定にかかわらず、特許を受ける権利を控訴人に原始取得させることについての協議がされた等の事情もうかがえないのであるから、控訴人と従業員との間で上記黙示の合意が成立していたものと認めることはできず、控訴人と被控訴人代表者との間でも、控訴人の主張する黙示の合意がされたことを認めるに足りる証拠はないというほかない。職務発明に係る特許を受ける権利を使用者である控訴人に原始取得させることは、従業員にとって、就業規則を不利益に変更するものであるところ、控訴人において、職務発明の出願に関して、就業規則の規定にのっとった手続が行われたことがなかったことをもって、何らの協議を経ることもなく、直ちに、就業規則が変更されたとか、控訴人と従業員らとの間で、就業規則とは異なる内容の合意が成立したなどと認めることはできない…。

  4. 若干のコメント
     就業規則を不利益に変更する場合、労働契約法10条の規律に服する。
    第10条 使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の変更によっては変更されない労働条件として合意していた部分については、第十二条に該当する場合を除き、この限りでない。

     知財高裁の判決文では、就業規則の不利益変更に関する労働契約法10条を直接言及はしていないものの、判示内容からすれば、同条を当然に意識しているものと思われる。
     企業によっては、法35条3項の「契約、勤務規則その他の定め」に相当するルールを就業規則(労働基準法89条、労働契約法7条等)で定めている会社も存在する。職務発明に関するルールを就業規則で策定するということは、当該ルールが、特許法35条で規律されるほか、労働基準法や労働契約法の規律に服する可能性があることを意味する。特に、上記ルールの全部又は一部の内容が労働契約法7条の「労働条件」といえる場合、職務発明規程の取扱いについては、労働契約法7条以下の規定を遵守する必要がある。この判示は、職務発明に係る特許を受ける権利の帰属に関する事項が「労働条件」に該当することを前提にしている。職務発明に関する規律のうちどの範囲が「労働条件」に該当するかは一義的に定まるものではないが、労働法の分野では、一般に、相当の利益が労働条件に該当すると解されている。そうだとすると、相当の利益を付与するに当たって従業者等に保障された意見聴取や異議申立て等の手続規定も、就業規則で定めていれば、労働契約法7条の「労働条件」に該当すると判断される可能性が相当程度あることを前提に、当該手続規定を不利益に変更する場合には、特許法35条5項のほか、労働契約法10条の規律に服することを前提に対処することが望ましいように思われる。

                                            以上

                                  弁護士 藤田 達郎