【令和5年12月21日判決(知財高裁 令和4年(行ケ)第10123号 審決取消請求事件)】
【事案】
本件は、原告が、発明の名称を「レーザ加工方法及びレーザ加工装置」とする被告の特許の請求項13、15、16に係る発明についての特許につき、特許無効審判を請求したところ、特許庁が請求不成立の審決をしたことから、その審決の取消しを求めた事案である。
裁判所は、原告主張の取消事由はいずれも理由がないとして、原告の請求を棄却した。
【キーワード】
特許法第29条2項、進歩性、容易の容易
【事案の概要】
(特許庁における手続の経緯等(当事者間に争いがない。))
(1) 被告は、平成16年1月9日、発明の名称を「レーザ加工方法及びレーザ加工装置」とする発明について特許出願をし、平成22年10月8日、本件特許に係る特許権の設定登録を受けた(請求項の数20)。
(2) 原告は、令和3年6月25日、本件特許の請求項13、15、16に係る発明についての特許の本件無効審判を請求し、特許庁は、同請求を無効2021-800051号事件として審理を行った。
特許庁は、令和4年10月18日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との本件審決をし、その謄本は同年11月4日原告に送達された。
(3) 原告は、令和4年12月2日、本件審決の取消しを求める本件訴訟を提起した。
(特許請求の範囲の記載)
請求項13、15、16の記載を分説すると、以下のとおりである。
【請求項13】(本件発明1)
(I) 第一のレーザ光を加工対象物の内部に集光点を合わせて照射し、前記加工対象物の切断予定ラインに沿って前記加工対象物の内部に改質領域を形成するレーザ加工装置であって、
(J) 前記第1のレーザ光及び前記加工対象物の主面の変位を測定するための第二のレーザ光を前記加工対象物に向けて集光するレンズと、
(K) 前記第二のレーザ光の照射に応じて前記主面で反射される反射光を検出して前記主面の変位を取得する変位取得手段と、
(L) 前記加工対象物と前記レンズとを前記加工対象物の主面に沿って移動させる移動手段と、
(M) 前記レンズを前記主面に対して進退自在に保持する保持手段と、
(N) 前記移動手段及び前記保持手段それぞれの挙動を制御する制御手段と、を備え、
(O) 前記第二のレーザ光を照射しながら、前記制御手段は前記加工対象物と前記レンズとを前記主面に沿って相対的に移動させるように前記移動手段を制御し、前記変位取得手段は前記切断予定ラインに沿った前記主面の変位を取得し、
(P) 前記第一のレーザ光を照射し、前記制御手段は前記変位取得手段が取得した変位に基づいて前記レンズと前記主面との間隔を調整しながら保持するように前記保持手段を制御し、前記レンズと前記加工対象物とを前記主面に沿って相対的に移動させるように前記移動手段を制御して前記改質領域を形成し、
(Q) 前記制御手段は前記第二のレーザ光の集光点が前記加工対象物に対する所定の位置に合うように設定された測定初期位置に前記レンズを保持するように前記保持手段を制御し、
(R) 当該レンズを測定初期位置に保持した状態で前記第二のレーザ光の照射を開始し、前記制御手段は前記レンズと前記加工対象物とを前記主面に沿って相対的に移動させるように前記移動手段を制御し、前記主面で反射される前記第二のレーザ光の反射光に応じて、前記レンズを前記測定初期位置に保持した状態を解除するように前記保持手段を制御し、
(S) 当該解除後に、前記制御手段は前記主面で反射される前記第二のレーザ光の反射光を検出しながら前記レンズと前記主面との距離を調整するように前記保持手段を制御し、前記変位取得手段は前記切段予定ラインに沿った前記主面の変位を取得する、レーザ加工装置。
【請求項15】(本件発明2)
(2I) 第一のレーザ光を加工対象物の内部に集光点を合わせて照射し、前記加工対象物の切断予定ラインに沿って前記加工対象物の内部に改質領域を形成するレーザ加工装置であって、
(2J) 前記第1のレーザ光及び前記加工対象物の主面の変位を測定するための第二のレーザ光を前記加工対象物に向けて集光するレンズと、
(2K) 前記第二のレーザ光の照射に応じて前記主面で反射される反射光を検出して前記主面の変位を取得する変位取得手段と、
(2L) 前記加工対象物と前記レンズとを前記加工対象物の主面に沿って移動させる移動手段と、
(2M) 前記レンズを前記主面に対して進退自在に保持する保持手段と、
(2N) 前記移動手段及び前記保持手段それぞれの挙動を制御する制御手段と、を備え、
(2O) 前記第二のレーザ光を照射しながら、前記制御手段は前記加工対象物と前記レンズとを前記主面に沿って相対的に移動させるように前記移動手段を制御し、前記変位取得手段は前記切断予定ラインに沿った前記主面の変位を取得し、
(2P) 前記第一のレーザ光を照射し、前記制御手段は前記変位取得手段が取得した変位に基づいて前記レンズと前記主面との間隔を調整しながら保持するように前記保持手段を制御し、前記レンズと前記加工対象物とを前記主面に沿って相対的に移動させるように前記移動手段を制御して前記改質領域を形成し、
(2Q) 前記制御手段は前記変位取得手段が取得した前記切断予定ラインに沿った前記主面の変位に基づいて前記主面に対して前記レンズを保持する加工初期位置を設定し、当該設定した加工初期位置に前記レンズを保持するように前記保持手段を制御し、
(2R) 当該レンズを加工初期位置に保持した状態で前記第一のレーザ光の照射を開始し、前記制御手段は前記レンズと前記加工対象物とを相対的に移動させるように前記移動手段を制御して前記切断予定ラインの一端部において前記改質領域を形成し、
(2S) 当該一端部における改質領域の形成後に、前記制御手段は、前記レンズを前記加工初期位置に保持した状態を解除し、前記変位取得手段が取得した前記主面の変位に基づいて前記レンズと前記加工対象物との間隔を調整するように前記保持手段を制御し、前記レンズと前記加工対象物とを相対的に移動させるように前記移動手段を制御して前記改質領域を形成する、レーザ加工装置。
【請求項16】(本件発明3)
(3I) 前記変位取得手段が前記切断予定ラインに沿った前記主面の変位を取得する際に併せて前記第一のレーザ光を照射し、前記切断予定ラインに沿って前記改質領域を形成する、
(3J) 請求項10~15のいずれか1項に記載のレーザ加工装置。
(本件審決の理由の要旨)
本件審決は、本件発明は甲1発明(国際公開第02/22301号)及び周知の技術的事項1、2に基づいて当業者が容易に発明することができたものとはいえないと判断した。
【争点】
本件の争点の概要は、以下のとおりである。
(1) 甲1発明に基づく本件発明1の進歩性の判断の誤り(取消事由1)
(2) 取消事由1を前提とした甲1発明に基づく本件発明2及び本件発明3の進歩性の判断の誤り(取消事由2、3)
本稿では、取消事由1について、「容易の容易」の主張に関係する部分について取り上げる。
【本判決の一部抜粋】(下線は筆者による。)
第1~第2 ・・(省略)・・
第3 当事者の主張
1 取消事由1(甲1発明に基づく本件発明1の進歩性の判断の誤り)
(1) 原告の主張
・・(省略)・・
(イ) 本件審決は、甲1発明に周知の技術的事項1を適用し、さらに周知の技術的事項2を適用することは、多段階の改変に相当するから、容易になし得たとはいえない旨判断するが、前記ア(ア)のとおり、甲1発明において、周知の技術的事項1(AF制御)が明示的に記載されていないとしても、当業者であれば記載されているに等しいと考えるものであるから、本件における相違点は、実質的に、端部に対して集光点のAF制御をしないという点に尽きる。甲1に明示的な記載がないことに基づき認定された、集光点のAF制御に係る相違点を、周知技術により容易想到としたとしても、当該部分は、いわば「当たり前」とも評価しうるものであるから、さらに端部に対して集光点のAF制御をしない点について、別途の周知技術に基づいて容易想到としたとしても、多段階の改変(いわゆる容易の容易)には該当しない。
(2) 被告の主張
・・(省略)・・
イ 甲1発明の周知の技術的事項1及び周知の技術的事項2の適用について
原告は、前記(1)イ(イ)のとおり、集光点のAF制御に係る相違点を、周知技術により容易想到としたとしても、当該部分は、いわば「当たり前」とも評価しうるものであるから、さらに端部に対して集光点のAF制御をしない点について、別途の周知技術に基づいて容易想到としたとしても、多段階の改変には該当しない旨主張する。
しかし、たとえ甲1発明が「反り」のあるウェハをも加工対象とするものであるとしても、周知の技術的事項1(加工中のAF制御)を採用しない甲1発明においては、「シリコンウェハの一端部に存在する平坦ではない部分(段差部や研磨ダレ部分等)に起因して光の合焦動作が困難になる」との課題は問題になり得ないから、周知の技術事項2に係る解決手段を採用することは、当業者が容易になし得るものではない。
・・(省略)・・
第4 当裁判所の判断
1 取消事由1(甲1発明に基づく本件発明1の進歩性の判断の誤り)について
(1) 別紙3「甲1の記載事項(抜粋)」によれば、甲1には以下の開示があり、本件審決が認定するとおりの甲1発明を認めることができ、また、本件発明1と甲1発明の一致点、相違点も本件審決が認定するとおりであると認める。
ア 甲1発明は、半導体材料基板、圧電材料基板やガラス基板等の加工対象物の切断に使用されるレーザ加工方法及びレーザ加工装置に関する(1頁5~6行)。
イ レーザーにより、加工対象物の表面から裏面に向けて加熱溶融を進行させて加工対象物を切断する従来の方法では、加工対象物の表面のうち切断する箇所となる領域周辺も溶融され、加工対象物が半導体ウェハの場合、半導体ウェハの表面に形成された半導体素子のうち、上記領域付近に位置するものが溶融する恐れがある。加工対象物の表面の溶融を防止する方法として、加工対象物の切断する箇所をレーザ光により加熱し、加工対象物を冷却することにより、加工対象物の切断する箇所に熱衝撃を生じさせて加工対象物を切断する方法もあったが、加工対象物に生じる熱衝撃が大きいと、加工対象物の表面に、不必要な割れが発生するという問題があった(1頁8行~2頁5行)。
ウ 甲1発明の目的は、加工対象物の表面に不必要な割れを発生させることなくかつその表面が溶融しないレーザ加工装置を提供することである(2頁6~7行)。
エ 甲1発明は、加工対象物の内部に集光点を合わせてレーザ光を照射し、加工対象物の切断予定ラインに沿って加工対象物の内部に多光子吸収による改質領域を形成する工程を備えることを特徴とする。加工対象物の内部に集光点を合わせてレーザ光を照射し、改質領域を形成し、これを起点として切断予定ラインに沿って加工対象物が割れることにより、比較的小さな力で加工対象物を切断することができるので、加工対象物の表面に切断予定ラインから外れた不必要な割れを発生させることがない。また、加工対象物の表面ではレーザ光がほとんど吸収されないので、加工対象物の表面が溶融することはない(2頁9~24行、35頁19~23行)。
オ 甲1発明によれば、加工対象物の表面に溶融や切断予定ラインから外れた割れが生じることなく、加工対象物を切断することができるので、加工対象物を切断することにより作製される製品の歩留まりや生産性を向上させることができる(110頁7~12行)。
(2) 相違点の容易相当性について検討する。
相違点2~4は密接に関連するものであるから、事案に鑑みこれを一括し、甲1発明に周知の技術的事項1及び周知の技術的事項2を適用して、相違点2~4に係る本件発明1とすることが容易になし得るかについてまず検討する。
ア 甲1発明への周知の技術的事項1の適用について
(ア) 周知の技術的事項1は、半導体ウェーハの表面を加工する際の焦点の位置を調節するものであり、甲3~5には、半導体ウェーハの表面以外の部位を加工する際の課題や解決手段についての記載はない。また、周知の技術的事項1は、加工対象物に反りがあることを課題とする解決手段である。
一方、甲1発明は、前記(1)オのとおり、加工対象物の内部に集光点を合わせて改質領域を形成し、切断予定ラインに沿って加工対象物を割るというものである。また、甲1には、加工対象物の反りについての記載はない。加えて、甲1には、溶融処理領域を切断予定ラインに沿うように加工対象物の内部に形成する工程において、レーザ光の集光点についてZ軸方向の制御をすることについての記載もない。
そうすると、甲1発明に周知の技術的事項1を適用すべき動機付けは認められないというべきである。
(イ) 原告は、前記第3の1(1)ア(ア)(イ)のとおり、焦点の位置が加工対象の表面か、内部であるかにかかわりなく、振動などの外的要因により、集光が不安定になることから、加工中の集光点のAF制御が必要になるのは、当業者の技術常識であり、甲1において、周知の技術的事項1(AF制御)が明示的に記載されていないとしても、当業者であれば記載されているに等しいと認識し、また、シリコンウェハは一般に反るものであり、当業者は反ったシリコンウェハが加工対象となることも認識する旨主張する。
しかし、甲1発明は、加工対象物の内部に集光点を合わせて改質領域を形成し、切断予定ラインに沿って加工対象物を割るというものであり、その目的や機序からして、加工対象物の表面からレーザ加工する従来技術と本質的に異なるのであるから、甲1に半導体ウェーハの表面の加工の際の技術である周知の技術事項1が記載されているに等しいとはいえないし、甲1にはシリコンウェハの反りについて何らの言及もないのであって、原告の主張は採用できない。
(ウ) 原告は、前記第3の1(1)ア(ウ)のとおり、本件審決が、甲1発明における集光点のZ軸方向のずれの許容幅の大きさを指摘し、これを根拠に周知の技術的事項1の適用を否定する判断をしたのは誤りであるとし、その理由として、①本件出願日の時点において、厚さ30μmまでの薄型シリコンウェハも甲1発明の加工対象となり得るところ、加工中の集光点をウェハ内に収める必要があること、②甲1の105頁15~23行に、比較的厚いウェハの場合にも、改質領域のZ方向の位置が割断精度に影響を与える旨の記載があること、③セミフルカットでも改質領域の深度のばらつきによりクラック等の問題が生じることからすれば、セミフルカットより改質領域以外の部分が大きいステルスダイシングにおいて、改質領域の深度がばらつけば、チップ分割に支障を来すであろうことから、当業者がAF制御の必要性を理解する旨を主張する。
しかし、①に関し、甲38、39は、薄型シリコンウェハがステルスダイシングの加工対象となることを示すものであるが、それが直ちに甲1発明においてZ方向のAF制御の必要性を導くものではない。
また、原告が②において引用する甲1の記載は、「クラック領域9と表面3の距離が比較的長いと、表面3側においてクラック91の成長方向のずれが大きくなる。これにより、クラック91が電子デバイス等の形成領域に到達することがあり、この到達により電子デバイス等が損傷する。クラック領域9を表面3付近に形成すると、クラック領域9と表面3の距離が比較的短いので、クラック91の成長方向のずれを小さくできる。よって、電子デバイス等を損傷させることなく切断が可能となる。但し、表面3に近すぎる箇所にクラック領域9を形成すると、クラック領域9が表面3に形成される。このため、クラック領域9そのもののランダムな形状が加工対象物の表面に現れ、表面3のチッピングの原因となり、割断精度が悪くなる。」というものであるが、これは、改質領域を形成する深さ方向の位置は加工対象物の表面に近いことが望ましいが、近すぎてもいけないという程度のことを述べるにすぎず、形成位置を特定したり、それが一定でなければならないとするものではなく、まして、AF制御の必要性を示すものでもない。また、甲1には、「図98に示すクラック領域9は、パルスレーザ光Lの集光点を加工対象物1の厚み方向において厚みの半分の位置より表面(入射面)3に近い位置に調節して形成されたものである。クラック領域9は加工対象物1の内部中の表面3側に形成される。」(105頁1~4行)、「なお、パルスレーザ光Lの集光点を加工対象物1の厚み方向において厚みの半分の位置より表面3に遠い位置に調節してクラック領域9を形成することもできる。この場合、クラック領域9は加工対象物1の内部中の裏面21側に形成される。」(105頁24行~106頁1行)等の記載もあり、甲1発明においては、シリコンウェハ内部の改質領域の位置はシリコンウェハの厚み方向において厚みの半分の位置より表面に近い位置の近くから、厚みの半分の位置より表面に遠い位置まで、ある程度の幅をもって設定され得ると理解できるのであり、当業者が、甲1発明において、X、Y軸ステージの振動やウェハの反りにより、レーザ光の集光点がずれること、すなわち改質領域の位置がずれることが、直ちにシリコンウェハの割れに影響を及ぼすと理解することはないというべきである。
そして、③に関し、セミフルカットとステルスダイシングは切断の原理、機序が異なるのであり、前者で改質領域の深度のばらつきにより問題が生じるからといって、後者においても同様であると当業者が認識するとはいえない。
(エ) 以上のとおりであって、原告の主張するところを踏まえても、甲1発明に周知の技術的事項1を適用することが当業者にとって容易になし得たとはいえない。
イ 甲1発明への周知の技術的事項1及び周知の技術的事項2の適用について
甲1発明に、周知の技術的事項1を適用することが当業者にとって容易になし得たといえないことは前記アのとおりである。
また、周知の技術的事項2は、シリコンウェハの一端部に存在する平坦ではない部分(段差部や研磨ダレ部分等)に起因して光の合焦動作が困難になるという課題に対応するためのものであるが、甲1には、シリコンウェハの一端部を加工することを前提とした記載自体がないから、周知の技術的事項2を適用する動機もない。
したがって、甲1発明に周知の技術的事項1及び周知の技術的事項2を適用することが当業者にとって容易になし得たとはいえない。
ウ 小括
以上のとおりであって、当業者が、相違点2~4に係る本件発明1の構成を容易に想到することができたとはいえない。
(3) そうすると、相違点1について判断するまでもなく、本件発明1は甲1発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとはいえないとした本件審決の判断に誤りはなく、取消事由1は理由がない。
・・(省略)・・
【検討】
原告(無効審判請求人)は、本件発明と引用発明(甲1発明)との相違点に関し、「甲1に明示的な記載がないことに基づき認定された、集光点のAF制御に係る相違点を、周知技術により容易想到としたとしても、当該部分は、いわば「当たり前」とも評価しうるものであるから、さらに端部に対して集光点のAF制御をしない点について、別途の周知技術に基づいて容易想到としたとしても、多段階の改変(いわゆる容易の容易)には該当しない。」として、甲1発明に、周知の技術的事項1を適用し、さらに周知の技術的事項2を適用することは、多段階の改変(いわゆる容易の容易)には該当しないため、本件発明には進歩性がないと主張した。
これに対し、裁判所は、甲1発明に周知の技術的事項1を適用すべき動機付けが認められこと等を理由に、甲1発明に周知の技術的事項1を適用することは当業者にとって容易になし得たとはいえない、と判断した。また、甲1発明に、周知の技術的事項2を適用する動機もない、と判断した。すなわち、裁判所は、甲1発明に、周知の技術的事項1を適用し、さらに周知の技術的事項2を適用することが、多段階の改変(いわゆる容易の容易)に該当するか否か、という点を正面から判断したというわけではなく、2つの「容易想到」の段階のそれぞれについて、そもそも動機付けがないから「容易想到ではない」と判断したものと考えられる。なお、本稿では省略したが、原告も、甲1発明に周知の技術的事項1を適用すること、甲1発明に周知の技術的事項2を適用にすることについて、それぞれ動機付けがあることを主張し、当該主張をした上で、これらが多段階の改変(いわゆる容易の容易)にも該当しない旨を主張したところ、これらの原告の主張のいずれも認められなかったものと考えられる。このように、多段階の改変(いわゆる容易の容易)を問題とする場合、主引用発明(本事案では、甲1発明)に副引用発明(本事案では、周知の技術的事項)を適用することについて、「容易想到」であることが前提であるから、この「容易想到」の動機付けの有無を慎重に検討することが重要である。
本事案は、特許の無効を主張する立場から参考になる判決であり、また、「容易の容易」の考え方を理解する上でも参考になる判決である。
以上
弁護士・弁理士 溝田尚