【令和5年6月22日判決(知財高裁 令和5年(ネ)第10030号)】

【事案の概要】

 本件は、控訴人が、被控訴人に対し、特許第6603843号、特許第6710378号、特許第6776468号の特許権(本件各特許権)に係る各発明(本件各発明)は、かつて控訴人の従業員であった被控訴人代表者が、控訴人の従業員であった当時に完成させた職務発明であって、控訴人が特許を受ける権利を有しているにもかかわらず、被控訴人代表者が控訴人を退職した後に、被控訴人が出願して特許を受けたものであり、特許法123条1項6号に規定する要件に該当すると主張して、同法74条1項に基づき、本件各特許権の各移転登録を求める事案である。

【キーワード】

 特許法35条、職務発明、就業規則、黙示の同意、労働条件

【争点】

 本稿では、控訴人と被控訴人代表者との間に、本件各発明についての特許を受ける権利を控訴人に取得させる旨の黙示の合意が存在したかという点について紹介する。

【裁判所の判断】(下線は筆者が付した。)

1 争点2(控訴人と被控訴人代表者との間に、本件各発明についての特許を受ける権利を控訴人に取得させる旨の黙示の合意が存在したか)について
(1) 特許法35条3項は「従業者等がした職務発明については、契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めたときは、その特許を受ける権利は、その発生した時から当該使用者等に帰属する。」と規定する。同項は、使用者が、職務発明についての特許を受ける権利を原始取得するために、発明がされる前に、あらかじめ契約等によりその旨の意思表示がされていることを要件とする旨定めるものであり、契約等にはあらゆる形式の合意が含まれるものと解される。
  本件では、控訴人は、上記「契約等」について、控訴人と被控訴人代表者との間に黙示の合意があったと主張する。
(2) ところで、控訴人の主張を前提とすると、本件各発明が完成したのは平成30年5月頃ということになるが、証拠(乙1)によると、同年5月時点において、控訴人には就業規則(平成25年4月1日施行)が存在しており、職務発明について次のとおり規定されていた。
「(特許、発明、考案等の取扱い)
第84条 社員が自己の現在又は過去における職務に関連して発明、考案をした場合、会社の要求があれば、特許法、実用新案法、意匠法等により特許、登録を受ける権利又はその他の権利は、発明者及び会社が協議のうえ定めた額を会社が発明者である社員に支払うことにより、会社に譲渡又は継承されるものとする。
  上記規定からすると、平成30年5月頃、控訴人とその従業員との間には、職務発明について、控訴人の要求があるときに、控訴人が発明者である従業員に対し、協議して定めた額の金員を支払うことにより、特許を受ける権利が発明者から控訴人に移転する旨の合意があったものと認めるのが相当であり、控訴人とその従業員の間に、職務発明についての特許を受ける権利を、控訴人が原始取得する旨の合意があったと認めることはできない。
(3) 控訴人は、前記(2)の就業規則の規定は空文化されており、控訴人と従業員との間で、職務発明について控訴人に原始取得する旨の黙示の合意があり、そのことは、①控訴人において、就業規則の規定にのっとった手続が行われたことがなかったこと、②被控訴人代表者が、平成29年7~8月に控訴人を出願人として職務発明について特許出願をしたが、控訴人は特許を受ける権利の移転を要求しておらず、また、承継対価の額についての協議や対価の支払を行わなかったこと、③従前からの取扱いを確認する形で平成30年9月3日に甲12規程が制定されたこと、④本件各発明の共同発明者が、本件各発明についての特許を受ける権利が控訴人に原始的に帰属する旨認めていること、⑤被控訴人代表者が大王製紙と控訴人との間の取引を奪うことを目的として、控訴人において本件各発明についての特許出願をしたことから、明らかであると主張する。
ア しかしながら、控訴人の就業規則の附則(4)により、同就業規則の改廃は社員(従業員)の代表者の意見を聴いて行うものとされているところ(乙1)、控訴人において、就業規則の規定を変更するための手続が執られたことはなく、控訴人とその従業員との間で、職務発明について就業規則の規定にかかわらず、特許を受ける権利を控訴人に原始取得させることについての協議がされた等の事情もうかがえないのであるから、控訴人と従業員との間で上記黙示の合意が成立していたものと認めることはできず、控訴人と被控訴人代表者との間でも、控訴人の主張する黙示の合意がされたことを認めるに足りる証拠はないというほかない。職務発明に係る特許を受ける権利を使用者である控訴人に原始取得させることは、従業員にとって、就業規則を不利益に変更するものであるところ、控訴人において、職務発明の出願に関して、就業規則の規定にのっとった手続が行われたことがなかったことをもって、何らの協議を経ることもなく、直ちに、就業規則が変更されたとか、控訴人と従業員らとの間で、就業規則とは異なる内容の合意が成立したなどと認めることはできない(上記①)。
イ また、被控訴人代表者が、職務発明について、特許事務所に対して、控訴人を出願人とする特許出願手続を依頼したことがあったという事実については、控訴人を出願人とする特許出願手続を依頼することにより、被控訴人代表者が、控訴人に対して、特許を受ける権利を移転する旨の意思表示をしたとみることもできるのであって、上記事実をもって、控訴人と被控訴人代表者との間に、職務発明についての特許を受ける権利を控訴人が原始取得する旨の黙示の合意があったと認めることはできない(上記②)。
ウ そして、甲12規程には、「職務発明については、その発明が完成した時に、会社が特許を受ける権利を取得する。」との規定があり(第4条)、職務発明についての特許を受ける権利が控訴人に原始的に帰属する旨定められているものの、甲12規程が適法に制定されたものであったとしても、控訴人の主張する本件各発明の完成日(平成30年5月頃)よりも後の同年9月3日に制定されたものであるというのであるから(甲12)、同日までに既に発生している特許を受ける権利の帰属を原始的に変更することができるものではなく、このことは、甲12規程において、平成26年1月1日以降に完成した発明に適用する旨規定されていることを考慮しても変わりはない(上記③)。
エ さらに、共同発明者であるとされる控訴人従業員の現時点における認識や、被控訴人代表者の本件各発明の特許出願時の意図について、仮に控訴人の主張するとおりであったとしても、これらの事項は、本件各発明の特許を受ける権利の帰属に影響しない(上記④及び⑤)。
そうすると、控訴人の主張はいずれも採用できない。

【検討】

1.「契約等」(特許法35条3項)に黙示の合意は含まれるか
 契約等による発明に関する権利の取得の可否については、黙示の合意によることが許されるかという問題がある。
 この点について、本判決は、特許法35条3項は「使用者が、職務発明についての特許を受ける権利を原始取得するために、発明がされる前に、あらかじめ契約等によりその旨の意思表示がされていることを要件とする旨定めるものであり、契約等にはあらゆる形式の合意が含まれるものと解される。」と判示しており、黙示の合意によることも許されることを前提とした判断をしているといえる。

2.就業規則で定められている特許発明の規定と異なる内容の黙示の合意を認めることができるか
 職務発明の権利承継等に関して明示の契約等が存在しない場合において、「職務発明の権利承継等に関して明示の契約、勤務規則等が存在しない場合であっても、一定の期間継続して、職務発明について、特許を受ける権利が使用者等に帰属するものとして、使用者等を出願人として特許出願をする取扱いが繰り返され、従業者等においても、異を唱えることなくこのような取扱いを前提とした行動をしているような場合には同条にいう「契約」に該当するものとして、従業者等との間での黙示の合意の成立を認め得るものと解される。」と判示した裁判例(東京地判平成14年9月19日平成13年(ワ)第17772号)がある。
 本件は、当該裁判例の事案と異なり、就業規則で特許発明の取扱いについて定められている事案である。もっとも、控訴人において、職務発明の出願に関して、就業規則の規定にのっとった手続が行われたことがなかったといった事情があったことから、このような事情から、就業規則で定められている特許発明の規定と異なる内容の黙示の合意を認めることができるかが問題となった。
 本判決は、「控訴人の就業規則の附則(4)により、同就業規則の改廃は社員(従業員)の代表者の意見を聴いて行うものとされているところ(乙1)、控訴人において、就業規則の規定を変更するための手続が執られたことはなく、控訴人とその従業員との間で、職務発明について就業規則の規定にかかわらず、特許を受ける権利を控訴人に原始取得させることについての協議がされた等の事情もうかがえない」ことから、控訴人と従業員との間で上記黙示の合意が成立していたものと認めることはできないと判断した。
 このような判示内容からすれば、明示の契約等があり、かつ、当該契約等を変更するために手続が必要な場合で、当該手続が履践されていないときには、明示の契約等に定める内容と異なる内容の黙示の合意が認められることのハードルは高いといえる。

3.職務発明に関する取り決めと労働条件該当性
 職務発明に関する取り決めが「労働条件」に該当するかとの論点があり、これを肯定する見解(土田道夫「職務発明とプロセス審査-労働法の観点から」152頁~154頁(田村善之・山本敬三編、有斐閣、2005年3月))、否定する見解(髙橋淳・松田誠司編「職務発明実務Q&A」266頁~268頁、勁草書房、2018年2月)等がある。
 本判決は「職務発明に係る特許を受ける権利を使用者である控訴人に原始取得させることは、従業員にとって、就業規則を不利益に変更するものであるところ、控訴人において、職務発明の出願に関して、就業規則の規定にのっとった手続が行われたことがなかったことをもって、何らの協議を経ることもなく、直ちに、就業規則が変更されたとか、控訴人と従業員らとの間で、就業規則とは異なる内容の合意が成立したなどと認めることはできない」と判示するところ、「就業規則を不利益に変更」との表現のみに着目すると、上記論点について何らかの判断をしているかのようにも思える。もっとも、労働契約法9条・10条の要件該当性に触れていないことからすると、上記論点についての何らかの判断をしたわけではないと思われる。今後の裁判例による判断が待たれるところである。

(労働契約法)
第9条 使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。ただし、次条の場合は、この限りでない。
第10条 使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の変更によっては変更されない労働条件として合意していた部分については、第十二条に該当する場合を除き、この限りでない。

以上

文責 弁護士・弁理士 梶井 啓順