【令和5年1月12日(大阪地裁令和4年(ワ)第2695号)】

1 事案の概要(説明のため事案を簡略化している)

本件は、平成16年改正特許法の下における職務発明対価請求事案であるが、裁判所が注目すべき判断をしたというのではなく、事実関係に少なからず特殊性があるため紹介する。

(1)被告会社には、職務発明規程(以下「被告規程」という。)が存在していたところ、被告規程には、会社に対する貢献度が「特に高い」と認められる職務発明をした発明者に対して貢献度に応じた実績報奨金を支給すること、また、会社に対する貢献度が「高い」と認められる職務発明をした発明者に対して優秀発明表彰金を支給すること等が定められていた。

(2)原告は、被告会社の従業員であった際、LEDが用いられる光照射装置に係る職務発明(以下「本件発明」という。)をなし、被告会社は、本件発明について特許出願をし、特許の設定登録を受けた(以下「本件特許」といい、本件特許に係る特許権を「本件特許権」という。)。原告は、本件発明につき、被告規程に定める「実績報奨金」又は「優秀発明表彰金」の支払対象となるか否かについての検討を求め、被告会社において審議したところ、本件発明の特許請求の範囲は、従来技術を含むような内容になっており、他社による抵触回避が容易である等の評価をして、会社に対する貢献度が「特に高い」又は「高い」とはいえず、実績報奨金等の支払対象には該当しないと結論づけた。被告会社は、この結論を記載した書面(以下「本件評価書」という。)をメールで原告に送付している。

(3)その後、原告は、被告会社を退職するに当たり、原告は、被告会社との間で、原告が被告会社在職中になした発明等に基づき取得された特許権等(以下「本件知的財産」という。)を被告会社が取得したことの対価に関する合意(以下「本件合意」という。)をした。合意内容には、
①被告会社が、原告に対し、支払済みの報奨金等に加えて30万円を支払うこと、
②上記①の支払いを以て、本件知的財産に関し、被告会社に対する原告の請求権(社内規程に基づく実績報奨金の支払いを含むがこれに限らない)が全て消滅すること
が含まれていた。

(4)原告退職後、被告会社は、株式会社Rが本件発明の技術的範囲に属する製品を製造・販売しているとして、本件特許権に基づき当該製品の製造・販売等の差止及び廃棄並びに損害賠償を請求する訴訟(以下「別件訴訟」という。)を提起し、別件訴訟の控訴審において、被告会社の請求を一部認容する判決がなされ、同判決は確定した。被告会社は、別件訴訟中、本件特許の特許請求の範囲を訂正している。

(5)原告は、「無効理由が含まれている」、「限定要素が多く、他社による抵触回避 が容易と言わざるを得ない」、「他社による権利回避が可能で他社牽制等に役立っているとは言い難く」などとして、本件特許は、実績報奨金等の対象外と考える旨の本件評価書に記載された被告の評価が真実ないし正当な評価であると誤信をし、当該評価を前提として本件合意をしたと主張して、本件合意の詐欺取消し(改正前民法96条1項)及び錯誤無効(改正前民法95条本文)を主張した(このほか消費者契約法に基づく取消しも主張している。)。

2 裁判所の判断

裁判所は、本件評価書には「本件特許が全て無効であるとか、本件特許権に抵触する競業他社の製品がないとか、競業他社に対する牽制効果が一切ないなどとは記載されていない」と指摘した上で、①本件評価書の提示から本件合意に至経緯において、被告は本件評価書の内容を理解していたこと、②本件合意後における被告会社の株式会社Rに対する提訴やクレーム訂正等の行動は本件評価書における被告会社の認識と整合する等を指摘し、「本件評価書の内容が、本件合意当時の被告の認識と異なるとか、虚偽であるものとは認められない」として、原告の主張する詐欺取消し・錯誤無効等を認めず、原告の請求を棄却した。

3 若干のコメント

本件は特段珍しい判断がなされたものではないが、一点着目すべきとしたら、裁判所が、詐欺取消し等を否定する判断に当たって、本件評価書に記載された内容と、原告退職後に被告会社がなした提訴及びクレーム訂正等の行動とが「整合するものである」としている点である。もっとも、仮に、この点が不整合であった場合に、原告が主張する詐欺取消し等が認められた事案であるかどうかは分からない。いずれにしても、本判決は、企業が職務発明に係る権利処理をする際の価値評価に当たっては、恣意性を排除して客観的な理由付けを伴うことが、万一生じ得る紛争を考慮しても重要であることを示唆するものであり、参考になる。

以上
弁護士 藤田達郎