【令和5年1月31日判決(大阪地裁 平成29年(ワ)第4178号】
【事案の概要】
本件は、発明の名称を「シュープレス用ベルト」とする特許(以下「本件特許1」という。)及び「製紙用弾性ベルト」とする特許(以下、「本件特許2」といい、本件特許1と併せて「本件各特許」という。)に係る特許権(以下「本件各特許権」という。)を有する原告が、被告が本件各特許の特許請求の範囲請求項1記載の各発明の技術的範囲に属するイ号製品を製造、販売し、本件特許1の特許請求の範囲請求項1記載の発明の技術的範囲に属するロ号製品を製造、販売することは本件各特許権の侵害に当たると主張して、被告に対し、特許法100条1項及び2項に基づき、被告各製品の製造、販売等の差止め及び廃棄を求めるとともに、不法行為(民法709条)に基づく損害賠償等を求める事案である。
【キーワード】
数値限定発明、範囲、割合、不記載、測定方法
【争点】
争点は複数あるが、本稿においては、被告製品1~3及び5の本件発明2に係る構成要件2Bの充足性についてのみ紹介する。
【本件発明2】
本件特許2(特許第3946221号)の特許請求の範囲の請求項1に係る発明(以下「本件発明2」という。)の構成要件は、次のとおり分説される。
2A 表面に排水溝を有する製紙用弾性ベルトにおいて、
2B 前記排水溝の壁面の表面粗さが、算術平均粗さ(Ra)で、2.0μm以下であることを特徴とする、
2C 製紙用弾性ベルト。
【裁判所の判断】(下線は筆者が付した。)
3 被告製品1~3、5等の本件発明2の技術的範囲への属否(争点2)について
(1) 被告製品1~3及び5の構成
被告製品1~3及び5が本件発明2に係る構成要件2A及び2Cを充足することは当事者間に争いがない。争いがある被告製品1~3及び5の同構成要件2Bの充足性(「排水溝の壁面の表面粗さが、算術平均粗さ(Ra)で、2.0μm以下である」かどうか)について検討する。
(2) 被告製品1~3及び5の構成要件2Bの充足性
ア 構成要件2Bは「前記排水溝の壁面の表面粗さが、算術平均粗さ(Ra)で、2.0μm以下であることを特徴とする、」と規定しており、その他の構成要件をみても、表面粗さが2.0μm以下であるべき範囲や割合等について何ら限定を加えていない。
また、本件明細書2をみるに、表面粗さが2.0μm以下であるべき範囲や割合等について限定を加える記載や表面粗さが2.0μmを超えた場合であっても表面粗さが2.0μm以下である場合と同様の作用効果を奏する条件等に関する記載は見当たらない。
そうすると、構成要件2Bの「排水溝の壁面の表面粗さが、算術平均粗さ(Ra)で、2.0μm以下であること」とは、その字義どおり、排水溝の全長にわたって、その壁面の表面粗さが、算術平均粗さ(Ra)で、2.0μm以下であることを要すると解するのが相当である。
イ 次に、排水溝の表面粗さの測定方法等について検討するに、本件明細書2によれば、日本工業規格(JISB0601)で規定する算術平均粗さ(Ra)で、2.0μm以下であることを特徴とするとの記載(【0011】)があるのみで、その他、前記測定方法等に関する記載はないことから、日本工業規格(JISB0601)で規定する算術平均粗さ(Ra)によるべきものと認められる。証拠(甲17、乙6)及び弁論の全趣旨によれば、JISB0601が引用するJISB0633には、別紙「JISB0633」記載の各事項が記載されていることが認められ、これによれば、算術平均粗さ(Ra)は、1か所の評価長さにおける、五つの連続した基準長さ(測定器による1回の測定を行う部位の長さ)を計測した表面粗さの平均値のことを指し、0.1μm<Ra≦2μmの場合の基準長さは0.8mm、評価長さは4mmである。したがって、本件における算術平均粗さ(Ra)は、対象となる表面を0.8mmの長さにわたって5回連続した長さ(合計4mm)で測定し、その表面粗さを平均した値を意味することになる。また、JISB0633によれば、溝の「長さ方向」(走行方向)、溝底面の幅方向及び溝側壁面の深さ方向において、最悪の値になると考えられる表面部分を測定する必要があるものの、日本工業規格は、標準的な基準を一般的に定めたものであるから、具体的な適用の場面においては、個別事情に応じて可能な限度で適用すれば足りるものと解される。本件のベルトの排水溝のような幅が狭く浅い対象においては、幅方向及び深さ方向に4mmずつ測定することは困難であるから、これが可能な長さ方向(走行方向)のみを測定すれば足りる。
さらに、前記前提事実(4)イのとおり、ベルトは、抄紙機のプレスパートの内側に設けられた凹状の加圧シューの上を滑りながら回転しつつ、加圧シューとプレスロールによって加圧されることによって、湿紙の脱水を行うものであり、プレスロールと加圧シューとの間でベルトに対して苛酷な屈曲及び加圧が繰り返され、また、紙かすの付着や摩耗等の影響を受けることになる(本件明細書1【0004】、本件明細書2【0006】参照)。そうすると、加圧部は、回転や加圧による変形、紙かすの付着や水流による摩耗等の影響を受けることに加え、非加圧部は、直接的な加圧がないとしても、回転による変形等の使用による影響を受けるものと認められる。また、そもそも、使用済みのベルトについて、加圧部と非加圧部とを明確に識別することが可能かどうかが明らかでない。これらの事情を総合すると、加圧部であるか非加圧部であるかにかかわらず、使用済みベルトの排水溝壁面の表面粗さを測定したとしても、直ちに同製品の製造販売時における壁面の表面粗さと同視することはできないものと認められるから、未使用のベルトを対象として排水溝の表面粗さの測定をすべきである(なお、原告は、平成29年8月24日第1回弁論準備手続期日において、本件発明2における「排水溝の壁面の表面粗さ」は、未使用のものの数値を指すという前提で議論することに異議はない旨を述べている(記録から明らか)。)。
ウ 関係各証拠(別紙「測定結果一覧」及び以下の概説参照)及び弁論の全趣旨によれば、原告及び被告は、被告の各製品の排水溝壁面の表面粗さを測定し、別紙「測定結果一覧」記載の各測定結果を得たことが認められる。
甲第77号証は、被告製品1~3及び5と同じシリーズに属するとして原告が入手した被告の製品(いずれも使用済み品)を原告が測定した結果、甲第93号証は、原告が保管していた被告製品1~3、甲第77号証の測定対象とされたベルト及び甲第94号証に記載されたベルトから、公証人関与の下でサンプルを抽出し、第三者機関に測定させた結果である。
一方、乙第152号証~第154号証は、被告製品1~3及び5並びにこれらと同じシリーズの被告の製品を被告において測定した結果、乙第155号証は、原告が甲第73号証の測定に用いたベルト及びこれと同じシリーズの被告の製品を被告において測定した結果である(いずれも未使用の検査用サンプルが使用された。)。また、乙第156号証は、被告が未使用品と使用済み品の両方を測定できた製品(うち3反は乙152の測定対象と同じ反番のもの)の測定結果である。さらに、乙第169号証~第179号証は、甲第77号証の測定対象とされたベルトに対応すると考えられる被告の製品を被告が選択し、公証人立会いの下で被告がサンプルを抽出し、それらの未使用のサンプル(製造販売したベルトのサンプルを被告が保管していたもの。キープサンプル)を第三者機関に測定させた結果(乙168)、乙第181号証は、それらのベルトを被告が測定した結果である。乙第189号証~第211号証は、被告が保管していた製品(未使用品、使用済み品を含む。)から公証人関与の下でサンプルを抽出し、第三者機関に測定させた結果である(乙188)。
原告は、キープサンプルについては、被告が現実に市場において顧客に販売した実製品の排水溝壁面の表面粗さをおよそ示したものとはいえず、被告の製品の損害論の審理範囲を画する対象として全く適切ではないことから、これらを測定対象から除外すべきである旨を主張する。しかし、証拠(乙168)及び弁論の全趣旨によれば、被告は、ベルトの排水溝加工を終えた後、ベルトを特定の寸法に裁断して製品化し、納品するが、裁断した際に生じる残余部分をキープサンプルとして保管していることが認められる。このようなキープサンプルの製造過程に照らすと、キープサンプルの排水溝壁面と実製品の製造販売時における同壁面の品質や性状等について特段大きな相違があるものとは認められない。したがって、前記原告の主張は採用できず、キープサンプルも測定対象とするのが相当である。
エ 以上を前提として、検討する。
前記イの測定方法等の条件を満たすもの(別紙「測定結果一覧」の各「証拠番号」欄をオレンジ色で着色した。)のうち、排水溝の壁面の表面粗さが、算術平均粗さ(Ra)で、2.0μmを超えるもの(なお、測定結果につき、測定誤差が生じることを考慮し、Ra>2.0に加え、Ra>2.2についても検討し、これらに該当するものは、同「測定結果一覧」の各測定結果記載欄を青色で着色した。例えば表中の「4/18」は、18箇所の算術平均粗さを測定した結果、4箇所について2.0μm又は2.2μmを超えたことを示している。)を抽出すると、別紙「測定結果一覧」記載のとおり、被告製品1~3及び5並びにこれらと同一シリーズの製品について、前記条件を満たす全ての反番のベルトにおいてRa>2.0のみならずRa>2.2の箇所があり、これに該当する箇所が存在することは明らかである(甲第18号証の測定結果はRa>2.0となる箇所が示されていないが、溝底(走行方向)の1箇所を2回測定したのみであって、この結果から該当する箇所が存在しないと判断することは困難である。)から、これらの製品の他の箇所の排水溝壁面の表面粗さを測定した場合においても、同様にRa>2.2となる箇所が存在することが推認される。
前記アのとおり、構成要件2Bの「排水溝の壁面の表面粗さが、算術平均粗さ(Ra)で、2.0μm以下であること」とは、排水溝の全長にわたって、その壁面の表面粗さが、算術平均粗さ(Ra)で、2.0μm以下であることをいうと解されるところ、被告製品1~3及び5は、いずれも排水溝の全長にわたって、その壁面の表面粗さが、算術平均粗さ(Ra)で、2.0μm以下であるとは認めるに足りず、構成要件2Bの構成を有するとは認められない。
【検討】
測定方法の不記載については、東京地判平成14年(ワ)第4251号が「数値限定された特許請求の範囲について、『従来より知られた方法』により測定すべき場合において、『従来より知られた方法』が複数あって、通常いずれの方法を用いるかが当業者に明らかとはいえず、しかも測定方法によって数値に有意の差が生じるときには、数値限定の意味がなくなる結果となりかねず、このような明細書の記載は、十分なものとはいえない。このような場合に、対象製品の構成要件充足性との関係では、通常いずれの方法を用いるのかが当業者に明らかとはいえないにもかかわらず、特許権者において特定の測定方法によるべきことを明細書中に明らかにしなかった以上、従来より知られたいずれの方法によって測定しても、特許請求の範囲の記載の数値を充足する場合でない限り、特許権侵害にはならないというべきである。」と判断していた。
本件では、排水溝の表面粗さの測定方法については、明細書中に日本工業規格(JISB0601)で規定する算術平均粗さ(Ra)で、2.0μm以下であることを特徴とするとの記載があるのみで、他に記載がなかった。本判決は、日本工業規格(JISB0601)で規定する算術平均粗さ(Ra)によるべきものと判断した。
一方、特許請求の範囲の記載では、表面粗さが2.0μm以下であるべき範囲や割合等について何ら限定をしておらず、また、明細書中にもこの点に関して限定する記載はない。このような場合に、排水溝の壁面の表面粗さが、算術平均粗さ(Ra)で、2.0μm以下であることの範囲、割合に関して、本判決は、「構成要件2Bの『排水溝の壁面の表面粗さが、算術平均粗さ(Ra)で、2.0μm以下であること』とは、その字義どおり、排水溝の全長にわたって、その壁面の表面粗さが、算術平均粗さ(Ra)で、2.0μm以下であることを要すると解するのが相当である。」と判断した。その上で、18箇所の算術平均粗さを測定した結果、4箇所について2.0μm又は2.2μmを超えたことを示している結果などから、被告製品1~3及び5は、いずれも排水溝の全長にわたって、その壁面の表面粗さが、算術平均粗さ(Ra)で、2.0μm以下であるとは認めるに足りず、構成要件2Bの構成を有するとは認められないと判断した。
本判決の判断を前提とすると、割合が極めて小さい場合(例えば、測定箇所が多いのに、特許請求の範囲に記載の数値範囲を超える箇所が1つでもある場合)であっても、排水溝の全長にわたって、その壁面の表面粗さが、算術平均粗さ(Ra)で、2.0μm以下であるとは認めるに足りず、構成要件2Bの構成を有するとは認められないと判断されることになりそうである。しかし、例外的に数値範囲を外れる場合もあり得ることからすれば、このような結論が妥当かは疑問が残るところではある(一方で、範囲や割合等についての不記載に起因する不利益は特許権者が負うべきとの考え方もありえよう。)。
本判決の判断を踏まえると、出願人は、特許請求の範囲や明細書の記載に、数値限定発明における数値が妥当する範囲や割合について記載することを検討する必要がでてくる。
本判決は、事例判決ではあるものの、数値限定発明における特許請求の範囲や明細書の記載について参考となることから、紹介した。
以上
文責 弁護士・弁理士 梶井 啓順