【令和3年9月28日(大阪地裁 令和元年(ワ)第5444号)損害賠償請求事件】
【キーワード】会社法429条、任務懈怠、善管注意義務、特許侵害調査
【概要】
本件は、特許法102条2項及び3項に関する大合議判決である、知財高裁令和元年6月7日判決(平成30年(ネ)第10063号)の関連事件であり、炭酸ジェルを含んだ美容パック(炭酸ガスパック)の特許権(本件特許)を保有する原告(株式会社メディオン・リサーチ・ラボラトリーズ)が、炭酸ガスパックの製造販売により特許権侵害行為をなした会社(ネオケミア株式会社、クリアノワール株式会社)の取締役であった被告ら(P1〜P4)に対し、会社法429条1項又は不法行為に基づき損害賠償を求めた事案である。
裁判所は、以下のとおり被告らの任務懈怠を認定し、会社法429条1項に基づく原告の請求を認容した。
第1 判旨抜粋
本稿では、ネオケミア株式会社の代表取締役であった被告P1、及びネオケミア株式会社から炭酸ガスパックの納入を受けて販売していたクリアノワール株式会社の代表取締役であったP3に関する判断を検討する。
(1)判断の枠組み
法人の代表者等が、法人の業務として第三者の特許権を侵害する行為を行った場合、第三者の排他的権利を侵害する不法行為を行ったものとして、法人は第三者に対し損害賠償債務を負担すると共に、当該行為者が罰せられるほか、法人自身も刑罰の対象となる(特許法196条、196条の2、201条)。
したがって、会社の取締役は、その善管注意義務の内容として、会社が第三者の特許権侵害となる行為に及ぶことを主導してはならず、また他の取締役の業務執行を監視して、会社がそのような行為に及ぶことのないよう注意すべき義務を負うということができる。
他方、特許権者と被疑侵害者との間で特許権侵害の成否や特許の有効無効について厳しく意見が対立し、双方が一定の論拠をもって自説を主張する場合には、特許庁あるいは裁判所の手続を経て、侵害の成否又は特許の有効性についての公権的判断が確定するまでに、一定の時間を要することがある。
このような場合に、特許権者が被疑侵害者に特許権侵害を通告したからといって、被疑侵害者の立場で、いかなる場合であっても、その一事をもって当然に実施行為を停止すべきであるということはできないし、逆に、被疑侵害者の側に、非侵害又は特許の無効を主張する一定の論拠があるからといって、実施行為を継続することが当然に許容されることにもならない。
自社の行為が第三者の特許権侵害となる可能性のあることを指摘された取締役としては、侵害の成否又は権利の有効性についての自社の論拠及び相手方の論拠を慎重に検討した上で、前述のとおり、侵害の成否または権利の有効性については、公権的判断が確定するまではいずれとも決しない場合があること、その判断が自社に有利に確定するとは限らないこと、正常な経済活動を理由なく停止すべきではないが、第三者の権利を侵害して損害賠償債務を負担する事態は可及的に回避すべきであり、仮に侵害となる場合であっても、負担する損害賠償債務は可及的に抑制すべきこと等を総合的に考慮しつつ、当該事案において最も適切な経営判断を行うべきこととなり、それが取締役としての善管注意義務の内容をなすと考えられる。
具体的には、①非侵害又は無効の判断が得られる蓋然性を考慮して、実施行為を停止し、あるいは製品の構造、構成等を変更する、②相手方との間で、非侵害又は無効についての自社の主張を反映した料率を定め、使用料を支払って実施行為を継続する、③暫定的合意により実施行為を停止し、非侵害又は無効の判断が確定すれば、その間の補償が得られるようにする、④実施行為を継続しつつ、損害賠償相当額を利益より留保するなどして、侵害かつ有効の判断が確定した場合には直ちに補償を行い、自社が損害賠償債務を実質的には負担しないようにするなど、いくつかの方法が考えられるのであって、それぞれの事案の特質に応じ、取締役の行った経営判断が適切であったかを検討すべきことになる。
(2)当てはめ
ア 被告P1(炭酸ガスパックの生みの親であり、本件特許の発明者であり、ネオケミア株式会社の代表取締役であった人物である)
・・・別件訴訟において中森弁護士及び岡田弁護士が非侵害の主張に自信を持ち、勝訴の見込みがあると考えていたとしても、その具体的な根拠は明らかではない。また、登録された特許権であっても、先願の特許発明を利用するものであるときは、特許権者は業としてその特許発明を利用することができず(特許法72条)、先願の特許権者に対し実施の許諾を求めなければならないところ(同法92条)、前記認定のとおり、被告P1は、ネオケミア特許が登録された以上、その実施品については本件各特許権の侵害にはならないものとして、各被告製品の製造販売を継続し、取引先にその旨説明していたところ、別件訴訟の提起後、ネオケミアの特許は先願の原告の特許を利用する関係にあることを知ったというのであるから、特許権に関する基本的な事項について誤解したまま、各被告製品につき特許権侵害は成立しないと考えてその製造販売を継続し、取引先に説明していたものである。
・・・総合すると、被告P1が、各被告製品の製造販売が本件各特許権の侵害にならない、あるいは本件各特許は無効であると主張した点について十分な論拠があったということはできず、むしろ特許制度の基本的な内容に対する無理解の故に、ネオケミア特許の実施品であれば本件各特許権の侵害にはならないと誤解して各被告製品の製造販売を続け、取引先にもそのように説明したものである。
前述のとおり、特許権侵害の成否、権利の有効無効については、公権力のある判断が確定するまでは軽々に決し得ない場合があり、自社に不利な判断が確定する場合もあるのであるから、取締役にはそれを前提とした経営判断をすべきことが求められ、前記(1)の①ないし④で述べたような方法をとることで、特許権侵害に及び、自社に損害賠償債務を負担させることを可及的に回避することは可能であるにも関わらず、被告P1はそのいずれの方法をとることもせず、各被告製品の製造販売を継続している。さらに、別件判決・・・によれば、ネオケミアは各被告製品の販売により相応の利益を得ていたのであるから、特許権侵害となった場合の賠償相当額を留保するなどして、別件判決確定後に損害を遅滞なく填補すれば、ネオケミアに損害賠償債務を確定的に負担させないようにすることも可能であったのに、被告P1は任意での賠償を行わず、ネオケミアを債務超過の状態としたまま、破産手続開始の申立てを行ったものである。
以上を総合すると、被告P1が、本件各特許が登録されたことを知りながら、特段の方法をとることなく各被告製品の製造販売を継続したことは、ネオケミアの取締役としての善管注意義務に違反するものであり、被告P1は、その前提となる事情をすべて認識しながら、ネオケミアの業務としてこれを行ったのであるから、その善管注意義務違反は、悪意によるものと評価するのが相当である。
イ 被告P3(ネオケミア株式会社から炭酸ガスパックの納入を受けて販売を行ったクリアノワール株式会社の代表取締役であった人物である)
前記認定したところによれば、被告P3は、原告から被告製品14の販売が本件各特許権の侵害に当たるとの警告を受けたものの、本件各特許の発明者であって炭酸ガスパックの専門家であった被告P1から、ネオケミアが委任した弁護士や弁理士が特許権侵害ではないと言っているなどと聞き、どのような根拠で特許権侵害に当たらないということになるのか理解できないまま、ネオケミアも特許権を有していて、原告製品よりネオケミアの製品の方が品質・性能が良いので、原告の特許権が優先することはないなどと考え、被告製品14の販売を継続する意思決定をしたというのであるから、主として、被告製品14の製造元であるネオケミアからの説明に依拠してその判断を行ったことになる。
しかしながら、特許権侵害が成立しないとするネオケミア側の説明に十分な論拠がなく、むしろ被告P1の特許制度に対する誤解が前提となっていたことは、前記(2)で検討したとおりであるし、品質・性能において上回っていることは、特許権侵害を否定する理由とはなり得ない。
・・・被告P3は、特許権侵害の警告を受けた後も、主として被告製品14の製造元であるネオケミア側からの説明に依拠し、前記(1)の①ないし④で検討したような方法をとることもなく、裁判所からの心証開示があるまでの間、被告製品の14の販売をして特許権侵害の不法行為を継続し、原告に損害を生じさせたのであるから、取締役としての善管注意義務に違反したというべきであり、少なくとも重過失によると認めるのが相当である。
第2 考察
会社法429条1項は、取締役が悪意または重過失により職務を行った場合の賠償責任を規定する。本件では、特許権侵害行為に関し、同条に基づく取締役の任務懈怠責任が問われている。
会社法上、取締役には法令遵守義務があり(会社法355条)、法令違反となる行為が生じた場合、任務懈怠は明らかであると思われる。そのため、取締役が法令違反をなした場合の判断枠組みは、当該法令違反に至る判断に故意や過失が存在したかという枠組みで判断されることが多い。
例えば、野村證券損失補填事件(最高裁平成12年7月7日判決(平成8年(オ)第270号)は、会社法429条1項に関する事案ではないが、取締役が独占禁止法違反(不当な利益供与)となる損失補填行為をなしたことに関し、具体的に行われた損失補填行為が、その性質上一般投資家への取引勧誘に当たるものではないことや、公正取引委員会が勧告を行う前であったことに鑑みて、法令違反について取締役の過失は存在しないと判断した。
また、くるまの110番事件(大阪地裁平成17年12月8日判決(平成16年(ワ)第12032号))は、商標権侵害に関し、特許電子図書館(現Jplatpat)の商標検索が一般的でないことから、商標権侵害の警告を受領する前に登録商標の調査義務があったとは言えないとして、429条1項の重過失を否定している。
このように、法令違反に至る判断についての過失が問題となる限り、特許権侵害の有無は優れて専門的な知見が要求されるものであるから、取締役は、弁護士・弁理士から適切に鑑定書を取得し、それに従って判断を行うことで、判断過程に過失はなく、故意または重過失の可能性を回避することが可能であると解される。
ところが、本件で裁判所は、
「自社の行為が第三者の特許権侵害となる可能性のあることを指摘された取締役としては・・・仮に侵害となる場合であっても、負担する損害賠償債務は可及的に抑制すべきこと等を総合的に考慮しつつ、当該事案において最も適切な経営判断を行うべきこととなり、それが取締役としての善管注意義務の内容をなすと考えられる。」
と述べている。本件は、特許権侵害に至る判断過程に加えて、特許権侵害とされた場合に備えた事前の措置の実施の有無を、任務懈怠の対象行為と捉えており、取締役に対し、裁判で侵害非侵害の判断が下される前の時点で、自社の利益を考慮しつつも、侵害となった場合の特許権者の損害を低減するための最適な措置を実行することを求めている。
もっとも、上記判示では「経営判断」との用語が用いられているが、通常の経営判断原則は、取締役に広範な裁量を与えるものであるところ(最高裁平成22年7月15日判決、アパマンショップ事件)、本件では特許権侵害が法令違反であることを前提に、上記のように取締役の裁量の幅を狭めているように読めることから、経営判断原則が採用されたものとは解されない。
本件は地裁判断であり、事例判断としては、敗訴の場合の支払原資(損害賠償金の内部留保)が存在しないにもかかわらず、勝訴の可能性に賭けて侵害行為を継続することは許されないとする趣旨であると思われる。
もっとも、本判決の判断が妥当かどうかは措くとして(少なくとも、任務懈怠の有無を判断する際に、侵害可能性についての事実の把握や判断過程ではなく「特許法の制度に対する無理解」を根拠とすることは妥当でないと考える。)、この規範に従う場合、侵害警告を受領した会社の取締役は、侵害可能性を適切に評価し、裁判の結論が出る以前に①設計変更、②ライセンス、③販売停止、④推定損害額の内部留保、などの対応を適切に行わなければ責任を問われる可能性がある。本件では、被告らに対し、特許法102条2項によって推定される損害と同額の損害賠償責任が認められており、適切な侵害調査と、特許権者を尊重した経営判断が一層求められる。
また、例えば商流の川下に位置する販売業者は、特許保証や契約条件との関係で、製造業者の取得した鑑定書や、製造業者からの非侵害意見に依拠して販売を継続する場合も多いと思われる。しかし、本件は、製造業者を盲信した販売業者の取締役の責任も断じている。取引先が侵害警告を受領した場合、流通に関与する業者は自ら自主的に侵害の有無について検討を行い、当該製品の取扱いについて判断することを求められる。
以上
(文責)弁護士・弁理士 森下 梓