【令和3年5月31日(知財高裁 令和2年(ネ)第10048号)/令和2年6月11日(東京地裁 平成30年(ワ)第36424号)】
1 事案の概要(説明のため事案を簡略化している)
本件は、大手ゲームメーカー(以下「被告会社」という。)の元従業員である原告が、在職中に競争ゲームに関する職務発明をしたとして、特許法35条((平成16年法改正前特許法)3項に基づき、被告会社に対し、その対価4000万円を請求した事案である。
この対価請求に関して原告は、①被告会社の特許になっているもの(競争ゲームのベット制御方法に関するもの)については、共同発明者4人のうちの1人として発明し、②被告特許となっていないもの(競争ゲームに関するノウハウ(以下「本件ノウハウ」という。))については、単独で発明したと主張していた。なお、①については、対価885万0466円、②については、対価3114万9534円(一部)を請求している。
【平成176年改正前特許法35条3項】 従業者等は、契約、勤務規則その他の定により、職務発明について使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させ、又は使用者等のため専用実施権を設定したときは、相当の対価の支払を受ける権利を有する。 |
本件の第一審判決(東京地裁令和2年6月11日(平成30年(ワ)第36424号))は、上記①の請求については、17万0625円及び珍損害金の支払を認める限度で請求を認容したが、上記②の請求については、本件ノウハウに係る原告の被告会社に対する対価請求権が存するということはできないとして、請求を棄却した。控訴審である知財高裁も、第一審の判決を維持した。
本稿では、上記②の請求(本件ノウハウに係る対価請求)を否定した裁判所の判断について紹介する。
2 本件の争点
原告は、被告会社が本件ノウハウを実施していたことを主張した。なお、原告は、本件ノウハウの趣旨を以下のようなものであると主張した。
「競争体を取得して持ち馬等にした後、遊技価値に基づいた当該持ち馬等の活力値を決定する活力値決定手段と、 前記持ち馬等及び持ち馬等以外で競争体のオッズに関連する所定の能力値を有する競争体を競争に参加させるようにするレース出走手段と、 競争に参加する競争体のオッズを決定するオッズ決定手段と、 前記競争における前記競争体の着順を予想して遊技価値を賭けるベット手段と、 前記競争体に競争を行わせるレース実行手段と、 前記競争における前記競争体の着順と前記オッズに基づいて遊技価値の払い戻しを行う払い戻し手段と、からなる競争ゲームにおいて、 前記オッズ決定手段は、少なくとも前記持ち馬等の前記活力値及び持ち馬等以外の競争体の前記能力値に基づいてオッズを決定する、 ことを特徴とする完全確率抽選の競争ゲーム。」 |
一方で、被告会社は、原告が主張するような本件ノウハウは存在しないと主張した。加えて、仮に原告が主張するような本件ノウハウを前提としても、そのような内容は単なる取決めに過ぎないこと、本件ノウハウの趣旨程度の考え方は、原告による独創的なものではなく、既に他社が販売しているゲームとの関係においては進歩性がないし、営業秘密に当たるほどのものでもない、と主張した。
3 争点に対する裁判所の判断
⑴ 第一審の判断
第一審判決は、以下のとおり判示して、本件ノウハウに係る対価請求を否定した(下線は本稿執筆者が付した。)。すなわち、本件ノウハウは、当業者であれば当然試みる範疇のものであり、原告において独占できるような技術思想ではなく、被告に独占の利益を生じさせているものと評価することはできないとした。
(2)…本件ノウハウの趣旨の要点は、①「活力値」を有する馬主ゲームで育成された競走馬と、「能力値」を有するその他の競走馬をレースに参加させ、②「活力値」及び「能力値」に基づき各競走馬のオッズを決定し、③プレイヤがレース結果を予想してベットしてレースを行い、④レース結果とオッズに基づき払い戻しが行われる、⑤完全確率抽選の競争ゲームというものであるといえ、要するに、予想ゲームと馬主ゲームを組み合わせたゲームにおいて、完全確率抽選方式を採用したというものであると解される。 しかし、証拠…によれば、被告各製品の販売開始以前に、他社から予想ゲームと馬主ゲームを組み合わせたゲームが販売されていたことが認められ、このようなゲームにおいて完全確率抽選方式を採用することは、保護に値すべきノウハウとはいえない。また、上記①ないし⑤の構成を踏まえた、完全確率抽選方式を採用する上記ゲームにおける「活力値」の導入という点についてみるとしても、競走馬を育成する馬主ゲームにおいて、競走馬の能力を何らかの形で数値化し、育成等によりそれが増減するようにし、これが、競争馬の勝率を反映したオッズに影響するような構成を採ること自体は、当業者が当然試みる範疇のことであって、これを、原告にひとり排他的独占権を認めるに足りる技術思想とまで評価するには足りない。さらに、育成した競走馬ごとの不公平さを解消するために、その能力を数値化した「活力値」を基に、当該ゲームの設計思想に応じたバランスの取り方を適宜決定し、それに相応した調整を図ることは、当業者が当然試みることであるといえる。 そうすると、予想ゲームと馬主ゲームを組み合わせながら、完全確率抽選方式を採用するゲームにおいて、原告が主張する前記本件ノウハウの趣旨は、当業者であれば当然に試みる技術的事項の範疇にあるものといわざるを得ず、いまだ、原告において、発明として保護される程度に至る、被告に独占的利潤をもたらすような、独占の利益が生じていると評価するに足りるノウハウが存在しこれを有していたことは認められないというほかはない。したがって、本件ノウハウに係る原告の被告に対する対価請求権が存するということはできない。 (3)この点、原告は、「活力値」という、レース出走時の出走登録料をメダルで支払うことにより増加し、レース結果として賞金を得たときにも増加し、馬の生産、調教、餌やりなどの育成過程によっても増加する指標を導入し、この活力値のうち、レースで消費した価値(活力値)と、賞金等でもらえる価値(活力値)の期待値を同じくすることで、馬ごとの不公平さをなくしたと主張する。 しかし、原告が主張する前記本件ノウハウの趣旨を前提とすると、上記(2)に説示したとおり、上記活力値の導入自体は、当業者が当然試みる範疇のことであって、これを、原告にひとり排他的独占権を認めるに足りる技術思想とまで評価するには足りない上、育成した競走馬ごとの不公平さを解消するために、その能力を数値化した「活力値」を基に、当該ゲームの設計思想に応じたバランスの取り方を適宜決定し、それに相応した調整を図ることは、当業者が当然試みることであるといえる。 したがって、原告の上記主張を採用することにより、本件ノウハウに係る原告の被告に対する対価請求権が存するということはできない。 なお、原告は、原告作成の「プレイヤー馬計算アルゴリズム説明書」及び「スターホースの馬主ゲームの計算方法」と題する書面…の記載を基に、本件ノウハウに係る対価請求権が存する旨主張するが、原告が主張する前記本件ノウハウの趣旨を前提とすると、前記のとおり、活力値の導入自体や、活力値を基に、ゲームの設計思想に応じたバランスの取り方を適宜決定し、それに相応した調整を図ることは、当業者が試みる範疇にあるものであるから、上記書面の記載を精査しても、前記判断が左右されるものとはいえない。 |
⑵ 控訴審の判断
控訴審も第一審と同様、本件ノウハウに係る対価請求を否定したものであるが、第一審の判示内容から少し踏み込んで、「特許性を有する発明でなければ、これを実施することによって独占の利益が生じたものということはできず、特許法35条3項に基づく相当の対価を請求することはできない」と判示した。その上で、本件ノウハウが解決すべき課題とともに、本件ノウハウが当該課題を解決するために採用した特徴(4つ)を特定し、各特徴部分が本件ノウハウに特許性を根拠付けるものであるかどうかについて検討した。
結論として、控訴審は、「特許性を有する発明であるとは認められず、これを実施することによって被控訴人に独占の利益が生じたということはできないから、本件ノウハウが控訴人によって職務発明として開発され、被告製品…において実施されたものであったとしても、控訴人は、被控訴人に対し、本件ノウハウにつき、特許法35条3項に基づく相当の対価を請求することはできない。」と判示した。
4 本件ノウハウに係る対価請求権の有無(争点3) 当裁判所も、原審と同様に、本件ノウハウに係る控訴人の被控訴人に対する対価請求権が存するということはできないと判断する。 その理由は、次のとおりである。 (1)本件ノウハウは、特許登録がされていない職務発明として主張されているものであるところ、特許性を有する発明でなければ、これを実施することによって独占の利益が生じたものということはできず、特許法35条3項に基づく相当の対価を請求することはできないと解される。 そこで、以下、控訴人が主張する内容に基づき、本件ノウハウが特許性を有する発明といえるか否かについて検討する。 (2)原審及び当審における控訴人の主張によれば、控訴人が主張する本件ノウハウの特徴は、次のとおり理解することができる。 ア 完全確率抽選方式の下で、何らの工夫もせずに予想ゲームと馬主ゲームとを組み合わせた競馬ゲームを設計すると、馬主ゲームにおいて購入する馬の能力値によって馬ごとのメダル獲得の期待値に不公平が生じるため、プレイヤーが能力値の高い馬ばかりを購入するようになり、馬主ゲームのゲーム性が損なわれてしまう。他方で、各馬の能力値を同一にすることによってこの問題を解消しようとすると、今度は予想ゲームのゲーム性が損なわれてしまう。このように、上記のような競馬ゲームの設計においては、馬主ゲームにおける馬ごとのメダル獲得の期待値の不公平さを解消して公平性を確保しつつ、現実の競馬同様のゲーム性を持たせる工夫をする必要があるという課題があった。 イ 本件ノウハウは、上記の課題を解決するために、①プレイヤー馬について、能力値とは別に、一定の割合でメダル数と相互に換算される活力値と呼ばれる指標を導入した上で、②馬主ゲームにおいて、レースに出走するために消費する活力値(以下「消費活力値」という。)とレース結果に応じて増加する活力値(以下「増加活力値」という。)の期待値とを等しくすることにより、馬主ゲームにおける馬ごとのメダル獲得の期待値の不公平さが生じないようにするものである。 また、消費活力値及び増加活力値の算出においては、③同じレースに複数のプレイヤー馬が出走する場合もあるところ、プレイヤー馬の能力値が当初は未確定であることから、各プレイヤー馬の増加活力値、消費活力値及び能力値について、一旦暫定値を用いて計算し、必要に応じて数値を再調整する計算方法が採られている。 さらに、④活力値は、メダルとして目に見える賞金や出走料とは異なり、プレイヤーに認識されない形で増減され、次回以降の競馬ゲームに影響を与えるように導入されており、これにより、ゲーム性が醸成されている。(以下、上記①ないし④の点を、順に「特徴①」などという。) (3)以下、控訴人が主張する本件ノウハウが特許性を有する発明といえるか否かにつき、特徴①ないし④を基に検討する。 ア 特徴①について (ア)予想ゲームのみの競馬ゲームを設計する場合であれば、各馬の能力値を定めた上で、能力値に応じた適切なオッズを定めることにより、公平性及びゲーム性を確保することができるといえるが、これにゲーム内容が全く異なる馬主ゲームを組み合わせて新たな競馬ゲームを設計しようとするのであれば、能力値とは別の指標を導入する必要が生じることは、いわば必然のことであるといえる。 (イ)また、上記(2)アによれば、完全確率抽選方式の下で予想ゲームと馬主ゲームとを組み合わせた競馬ゲームを設計する場合、馬主ゲームで購入する馬の能力値に差があることが原因となって馬ごとのメダル獲得の期待値に不公平さが生じることにより、馬主ゲームのゲーム性が損なわる事態が生じ得るが、他方で、馬の能力値の差をなくすことによってこの問題を解消しようとすると、今度は予想ゲームのゲーム性が損なわれてしまうというのであるから、これらの問題を解決するためには、能力値を調整するのみでは足りず、能力値とは別の指標を導入する必要があることは明らかである。 (ウ)以上によれば、特徴①における活力値の導入は、完全確率抽選方式の下で予想ゲームと馬主ゲームとを組み合わせた競馬ゲームを設計する場合において、必然的に必要となる指標を導入したものにすぎないというべきである。 イ 特徴②について (ア)上記(2)アの馬主ゲームにおける馬ごとの不公平さは、能力値の高い馬について、レースに出走するために消費するメダル数よりも、レース結果に応じて獲得するメダル数の期待値の方が大きくなることが原因となって生じるものといえるところ、完全確率抽選方式の下で予想ゲームに馬主ゲームを組み合わせる場合にこのような問題が生じ得ることは、当然に想定されるべきことといえる。そして、上記の問題は、消費メダル数と獲得メダル数の期待値とに差があることによって生じるのであるから、両者が等しくなるように数値調整をすれば解消し得るものであることは、誰もが容易に思い付くことであるといえる。そうすると、上記の数値調整を行うために、一定の指標(例えば活力値)を導入し、消費メダル数及び獲得メダル数を活力値に換算し、消費活力値と増加活力値の期待値とが等しくなるように数値調整をすることは、課題解決のために当然に採られ得る手段であるといえる。 (イ)以上によれば、特徴②における期待値の調整は、完全確率抽選方式の下で予想ゲームに馬主ゲームを組み合わせる場合において、前記の課題を解決するために当然に採られ得る手段であるといえる。 ウ 特徴③について (ア)プレイヤー馬に係る消費活力値と増加活力値の期待値とを等しくするための計算について、控訴人が主張する計算のプロセスは別紙3のとおりであり、その具体的内容は控訴人の陳述書(甲10〔13ないし33頁〕、甲30〔1ないし13頁〕)に記載されている。その計算方法は、要するに、あるプレイヤー馬(以下「A馬」という。)に係る増加活力値等を算出するためには、他の馬の能力値の数値が必要であるところ、当該レースに他のプレイヤー馬(以下「B馬」という。)も出走している場合には、B馬の能力値がA馬と同様に当初は未確定であることから、増加活力値等について一旦暫定的な数値を用いて計算を行った上で、必要に応じて当該数値を再調整するなどして、A馬及びB馬に係る確定的な増加活力値等を算出するというものである。 そして、複数の未確定の数値を基に確定的な数値を算出しようとする場合において、上記のように、後で必要に応じて数値を再調整することを前提として、一旦暫定的な数値を用いて計算を行うこと自体は、通常よく採られる方法であるといえる。また、暫定値をどのような値に設定するかや、数値の再調整をどの程度の幅で行うかなどは、上記の計算方法を採用することに伴って当然に必要となる数値範囲の調整の問題にすぎないといえる。 (イ)上記の点に関して、控訴人は、スターホースシリーズにおけるレースは最高12頭立てであり、プレイヤー馬も最大8頭が出走する上、3着までが入賞とされることから、上記の計算には極めて高度で複雑な工夫が必要である旨主張する。 確かに、控訴人が主張する条件の下においては、考慮すべき要素が増えるため、計算量が大きく増加する可能性があることは事実である。しかしながら、上記の計算の内容を具体的に説明する控訴人の陳述書(甲10)をみても、いわば量の問題が質の問題に転化し、特殊な発想や解法が要求されるに至っているとまではうかがわれないことからすれば、プレイヤー馬も含めて出走頭数が多いからといって、必要な計算量が増大する以上に特別な処理等が必要になるものとまではいえない。 (ウ)以上によれば、特徴③における活力値の計算方法は、複数の未確定の数値を基に確定的な数値を算出しようとする場合の計算方法として、通常よく採られる方法を超えるものではないというべきである。 エ 特徴④について (ア)アないしウにおいて検討した結果に照らせば、活力値がプレイヤーに認識されない形で増減されることや、それが次回以降のゲームに影響を及ぼすことは、特徴①ないし③を有する活力値を導入したことによる当然の結果であり、それ以上に、特徴④を実現させることについて特段の工夫がされていることを認めるに足りる証拠はない。 (イ)以上によれば、特徴④は、それ自体としては、本件ノウハウの特許性を根拠付ける事情には当たらないというべきである。 オ 小括 以上検討したところによれば、本件ノウハウにおける活力値の導入については、必然的に導入すべき指標を用いたものにすぎないというべきである上、活力値を用いた期待値の算出等についても、課題解決のために当然に採られ得る手段であるか、又は通常よく採られる方法を超えるものではないというべきである。 (4)なお、控訴人は、本件ノウハウにおいては、ペイアウト率90%のメインゲームと同100%のサブゲームとが組み合わされ、ゲームセンターと顧客との間の利害のバランスがとられている点が画期的であるとも主張する。 しかしながら、ペイアウト率をいくらに設定するかという問題は、それ自体としては、技術の問題ではなく、取極めの問題にすぎないから、控訴人主張の点は、本件ノウハウの特許性を根拠付ける事情には当たらない。 (5)以上検討したところによれば、本件ノウハウは、特許性を有する発明であるとは認められず、これを実施することによって被控訴人に独占の利益が生じたということはできないから、本件ノウハウが控訴人によって職務発明として開発され、被告製品2において実施されたものであったとしても、控訴人は、被控訴人に対し、本件ノウハウにつき、特許法35条3項に基づく相当の対価を請求することはできない。 |
4 若干のコメント
まず、本件は、平成16年改正前特許法35条3項に基づく対価請求の事案であるが、現行法(平成27年改正法)においても妥当するものと考える。
特許法35条4項は以下のように規定する。
4 従業者等は、契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等に特許を受ける権利を取得させ、使用者等に特許権を承継させ、若しくは使用者等のため専用実施権を設定したとき、又は契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等のため仮専用実施権を設定した場合において、第34条の2第2項の規定により専用実施権が設定されたものとみなされたときは、相当の金銭その他の経済上の利益(次項及び第7項において「相当の利益」という。)を受ける権利を有する。 |
同項は、対価請求権の発生要件として、職務発明が特許発明であることを要求していない。したがって、特許発明以外の職務発明の場合でも、対価請求権が発生し得るということになる。実際に、多くの企業の職務発明規程においては、相当の利益の処理として、出願時点で一定の補償金(支払金)の支払いを行っている(実際に、特許庁による「中小企業向け職務発明規程ひな型」も出願時において支払金の支払いを行うものになっている。)。
本件は、ノウハウに関するものであり、特許出願すらなされなかったものが対象となっている。ノウハウについては、法律上定義があるわけではないが、よく参考にされる例としては、国際商業会議所(ICC)による「know-howとは単独で又は結合して、工業目的に役立つある種の技術を完成し、またそれを実際に応用するのに必要な秘密の技術的知識と経験、またそれらの集積」(竹田和彦『特許の知識〔第6版〕』42頁(ダイヤモンド社、1999年))という定義である。
職務発明規程においては、職務発明について特許出願をせずにノウハウ管理をするという文脈で、ノウハウについても相当の利益の処理を行うとするようにしている規定例もある。一方で、職務発明規程にこのような規定がない場合には、相当の利益との関連でノウハウが処理されることはなく、いわば宙ぶらりんの状況になってしまう。本件において、被告会社の職務発明規程の全容は不明であるが、第一審判決で引用されている内容からすると、ノウハウの処理はしていなかったように推測される。
発明者としては、会社が実施している製品・サービスに自己が開発した内容が用いられていると認識している場合(さらに画期的な内容であると認識している場合)に、その開発内容に関して特許出願もされず、上記のようなノウハウの処理もされていないときには、自らがなした発明に対して正当な評価がなされていないと感じる場合もあろう。そのような場合には、本件のように、職務発明の対価請求として紛争化する場合があり得る。
もっとも、ノウハウの価値は第三者により客観的に評価される機会が基本的にはないため、取扱いが難しい。会社としては、当業者であれば誰もが達成できるような内容について対価を支払うことはしたくない。この点、特許法35条の解釈として、ノウハウが使用者等に独占的利潤をもたらすものであれば、相当の利益の支払が必要であるとするのが通説的な見解と思われる(中山信弘『特許法〔第4版〕』84頁(弘文堂、2019年)参照)。
本件の第一審及び控訴審判決も、上記の通説的見解と同様の立場と思われる。特に、控訴審判決は、明確に「特許性」の文言に言及しており、同判決が示した判断方法は、ノウハウについて対価請求を認めるかどうかの検討に当たって参考になると思われる。
以上
弁護士 藤田達郎