【令和3年12月1日(知財高裁 令和2年(行ケ)第10124号 審決取消請求事件)】

【事案】

 原告が、発明の名称を「裏刷り用溶剤型グラビア印刷インキ組成物の製造方法および積層体の製造方法」とする発明について特許出願し、その設定登録を受けた(特許第6458089号)後、特許異議の申立てがされ、本件特許を取り消すとの決定(以下「本件決定」という。)がなされたことから、本件決定の取消しを求めた事案である。

 

【キーワード】

 特許法第29条2項、進歩性、容易の容易

 

【事案の概要】

(特許庁における手続きの経緯等)

(1) 原告は、発明の名称を「裏刷り用溶剤型グラビア印刷インキ組成物の製造方法および積層体の製造方法」とする発明について、平成29年6月29日、特許出願をし、平成30年12月28日、設定登録を受けた(特許第6458089号。請求項の数2。優先日平成28年10月3日(以下「本件優先日」という。)。以下「本件特許」という。)。(甲5)
(2) 本件特許について、令和元年7月22日、特許異議の申立てがされた(異議2019-700573号)。
(3) 上記特許異議申立事件において、原告は、令和2年1月20日付けで、請求項1及び2につき、訂正請求をした(以下「本件訂正」という。)。(甲7)
(4) 特許庁は、令和2年9月15日、本件訂正を認めた上で、「特許第6458089号の請求項1、2に係る特許を取り消す。」との決定(以下「本件決定」という。)をし、その決定書の謄本は、同年9月29日、原告に送達された。
(5) 原告は、令和2年10月28日、本件決定の取消しを求めて本件訴えを提起した。

(本件訂正後の特許請求の範囲の記載)(請求項1のみを示す。下線は筆者が付した)
以下、請求項1に記載された発明を「本件発明1」という。

 

【請求項1】

A 炭化水素系溶剤、ケトン系溶剤、エステル系溶剤、グリコール系溶剤およびアルコール系溶剤からなる群から選ばれる少なくとも1種と、ポリウレタンウレア樹脂とを含有するポリウレタンウレア樹脂溶液を準備する工程(1)と、
B 該工程(1)で得られた前記ポリウレタンウレア樹脂溶液と、色材と、溶剤とを、混合、分散し、裏刷り用溶剤型グラビア印刷インキ組成物を得る工程(2)と、
C を含む裏刷り用溶剤型グラビア印刷インキ組成物の製造方法であって、
D 前記溶剤が、炭化水素系溶剤、ケトン系溶剤、エステル系溶剤、グリコール系溶剤およびアルコール系溶剤からなる群から選ばれる少なくとも1種であり、
E 前記ポリウレタンウレア樹脂が、ポリカルボン酸とポリオールとの反応からなるポリエステルポリオールを用いて合成されたものであり、かつ、
F 前記ポリカルボン酸が、バイオマス由来のセバシン酸およびバイオマス由来のダイマー酸からなる群から選ばれる少なくとも1種を含み、
G 前記ポリオールがジオールであり、
H 前記ポリウレタンウレア樹脂溶液中の前記ポリウレタンウレア樹脂のアミン価が1~13mgKOH/gであり、かつ、前記ポリウレタンウレア樹脂溶液中の前記ポリウレタンウレア樹脂の重量平均分子量が10、000~100、000であり、
I 当該裏刷り用溶剤型グラビア印刷インキ組成物を、グラビア印刷法によりフィルム基材層上に印刷塗膜としたとき、該印刷塗膜中のバイオマス度(顔料を含まない)が3~40質量%となるように構成された、
J 裏刷り用溶剤型グラビア印刷インキ組成物の製造方法。

(本件決定の理由の要旨)
 本件決定は、本件発明1と甲1発明1との相違点2(バイオマス由来成分とバイオマス度について)、相違点3(ポリウレタンウレア樹脂のアミン価及び重量平均分子量について)について、以下のとおり認定した。
(1) 相違点2(バイオマス由来成分とバイオマス度について。請求項1の構成要件F、Iに関する相違点)
 本件発明1は、「ポリカルボン酸が、バイオマス由来のセバシン酸およびバイオマス由来のダイマー酸からなる群から選ばれる少なくとも1種を含み」と特定するとともに、「裏刷り用溶剤型グラビア印刷インキ組成物を、グラビア印刷法によりフィルム基材層上に印刷塗膜としたとき、該印刷塗膜中のバイオマス度(顔料を含まない)が3~40質量%となるように構成された」ものと特定しているのに対して、甲1発明1には、そのような特定がない点
(2) 相違点3(ポリウレタンウレア樹脂のアミン価及び重量平均分子量について。請求項1の構成要件Hに関する相違点)
 本件発明1は、ポリウレタンウレア樹脂溶液中のポリウレタンウレア樹脂について、そのアミン価が1~13mgKOH/gであり、その重量平均分子量が10、000~100、000であると特定しているのに対して、甲1発明1には、この点の明示がない点

 

【争点】

 本件の争点(原告の主張する本件決定の取消事由)は、以下のとおりである。
(1) 取消事由1
 本件発明1の甲1発明1に対する進歩性判断の誤り
(2) 取消事由2
 本件発明1の甲1発明2に対する進歩性判断の誤り
(3) 取消事由3
 本件発明2の甲1発明3に対する進歩性判断の誤り

 本稿では、取消事由1(本件発明1の甲1発明1に対する進歩性判断の誤り)に関し、「容易の容易」の主張に関係する部分について取り上げる。

 

【判決一部抜粋】(下線は筆者による。)

第1~第2 ・・(省略)・・

第3 当事者の主張

1 取消事由1(本件発明1の甲1発明1に対する進歩性判断の誤り)について

 〔原告の主張〕

(1) 相違点2及び3は併せて判断すべきであること
 本件決定が認定した相違点2及び3の各構成は、ポリウレタンウレア樹脂の構成原料及び物性を規定する構成に関するものであるところ、重量平均分子量及びアミン価は、いずれもポリマーの物性値であり、対象となるポリマーの原料の構成と一体不可分の関係にあるから、対象となるポリマーから重量平均分子量又はアミン価の数値のみを切り離し、かかる数値を採用することの容易想到性を判断するのは誤りである。また、ポリマーの物性値である重量平均分子量が変われば、それに対応してアミン価も変化するのであるから、これらを互いに独立のパラメータとして扱うことも適切ではない。
 したがって、相違点2及び3に係る構成は、一まとまりの技術的思想を表す一体不可分のものとして(以下「相違点A」という。)、併せて容易想到性を判断すべきである。

(2) 相違点2について

・・(省略)・・

エ 本件決定における判断手法に誤りがあること
(ア) 本件決定がいう自明な課題は、「環境対応型のものを認識し」、「そのバイオマス度としては10%程度以上とする」という二つの事項を含むところ、後者の事項は、樹脂の原料の一部をバイオマス由来の原料にするとともに、当該バイオマス由来の原料の使用量をバイオマス度が10%程度以上となる量にすることを意味する。そして、ポリウレタンウレア樹脂のバイオマス化によってインキ固形分のバイオマス度を10%程度以上とすることを実現するには、樹脂の原料を多量に変更することが必要となるが、そのような変更をすれば、得られる樹脂の性質にも変化が生ずる。
 そうすると、バイオマス由来の原料を用いることを特定した発明ではない甲1発明1に、上記の後者の事項を適用するということは、甲1発明1に「ポリウレタンウレア樹脂組成物の原料としてバイオマス由来成分を使用する」という構成を付加して、甲1発明1を改変することを意味することとなる。
 そして、本件決定においては、甲1発明1ではなく、上記のような改変された発明を基に容易想到性が判断されており、その判断手法には誤りがある。
(イ) また、本件決定においては、セバシン酸を採用する根拠についても、上記のような改変された発明を前提とする根拠しか示されていないから、本件決定の論理は、「容易の容易」の場合に相当する。

第4 当裁判所の判断

1 本件各発明 ・・(省略)・・

2 取消事由1(本件発明1の甲1発明1に対する進歩性判断の誤り)について

・・(省略)・・

(8) 原告の主張について

ア 前記第3の1〔原告の主張〕(1)について
 原告は、ポリウレタンウレア樹脂の重量平均分子量及びアミン価は対象となるポリマーの原料の構成と一体不可分の関係にあるなどとして、相違点2及び3に係る構成について、一まとまりの技術的思想を表す一体不可分のものとして併せて容易想到性を判断すべきである旨主張する。
 しかしながら、ポリウレタンウレア樹脂を合成する際の有機ジアミンの量によってアミン価を調整することが可能であることは、本件優先日当時の技術常識であったと認められる。また、ポリウレタンウレア樹脂の合成には多くの成分が関係するのであるから、ポリウレタンウレア樹脂の重量平均分子量及びアミン価が、二塩基酸以外の成分や合成条件によっても変化することは明らかである。そうすると、ポリウレタンウレア樹脂において、重量平均分子量及びアミン価が二塩基酸の種類と一体不可分の関係にあるということはできないから、相違点2及び3に係る構成について、一まとまりの技術的思想を表す一体不可分のものとして、これを相違点Aとして併せて容易想到性を判断する必要はないというべきである。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。

・・(省略)・・

ケ 同〔原告の主張〕(2)エ(ア)・(イ)について
 原告は、相違点2について、①本件決定が甲1発明1に「ポリウレタンウレア樹脂組成物の原料としてバイオマス由来成分を使用する」という構成を付加した上で容易想到性を判断した手法に誤りがある、②本件決定の論理は「容易の容易」の場合に相当する旨主張する。
 しかしながら、上記(5)で検討したとおり、本件優先日当時、印刷インキの技術分野においては、製品のバイオマス度を10質量%以上に高めることが一般的な課題とされていたものであり、当業者は、このような状況の下で、甲1発明1のポリウレタンウレア樹脂組成物の原料としてバイオマス由来の成分を用いることを動機付けられるものであり、その上で、当該成分としてバイオマス由来のセバシン酸を用いることを動機付けられるものといえるところ、このような検討の内容に照らすと、甲1発明1に原告が主張するような構成を付加して容易想到性を判断しているものではなく、また、その論理がいわゆる「容易の容易」の関係に立つものでもないというべきである。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。

・・(以下、省略)・・

 

【検討】

ア 相違点2及び3について
 原告(出願人側)は、相違点2及び3に係る構成は、一まとまりの技術的思想を表す一体不可分のものとして、併せて容易想到性を判断すべきであると主張した。これは、相違点2及び3をまとめて1つの相違点として捉えることにより、「容易想到」の段階を増やして、相違点に係る特許発明の容易想到性を否定しようとしたものと考えられる(「容易想到」の段階を増やすことにより、「容易の容易」を主張し易くなるため、特許発明の容易想到性を否定し易くなる)。
 これに対し、裁判所は、相違点2及び3を分けて認定するべきであると判断した。この判断により、相違点2及び3は独立して存在することとなり、相違点2及び3のそれぞれに対して、容易想到性が検討されることになった。

イ 相違点2について
 原告は、相違点2について、甲1発明1に「ポリウレタンウレア樹脂組成物の原料としてバイオマス由来成分を使用する」という構成を付加し、その上で、当該成分としてバイオマス由来のセバシン酸を採用することは、「容易の容易」の主張であると判断した。
 これに対して、裁判所は、「甲1発明1のポリウレタンウレア樹脂組成物の原料としてバイオマス由来の成分を用いることを動機付けられるものであり、その上で、当該成分としてバイオマス由来のセバシン酸を用いることを動機付けられるものといえる」「その論理がいわゆる「容易の容易」の関係に立つものでもないというべきである。」として、「容易の容易」には該当しないと判断した。裁判所は、「ポリウレタンウレア樹脂組成物の原料としてバイオマス由来成分を使用する」という構成を付加する点、当該成分としてバイオマス由来のセバシン酸を採用する点、という2段階のそれぞれにおいて、動機付けがあると認定した上で、「容易の容易」には該当しないと判断したといえる。このような裁判所の判断は、「容易の容易」に該当するように見えるものについて、「容易想到」の各段階に動機付けがあることを理由に、「容易の容易」には該当しないと判断したものとも考えられる。
 関連する裁判例(知財高裁平成29年10月3日判決(平28(行ケ)第10265号))に、「主引用発明に副引用発明を適用するに当たり、当該副引用発明の構成を変更することは、通常容易なものではなく、仮にそのように容易想到性を判断する際には、副引用発明の構成を変更することの動機付けについて慎重に検討すべきである」と判示したものがある。本事案は、この裁判例が判示したように、「容易の容易」における容易想到性の判断において、「容易想到」の動機付けを慎重に検討すべきであることがわかる事案といえる。

以上
弁護士・弁理士 溝田尚