東京地裁令和3年6月4日(平成27年(ワ)第30656号不正競争行為差止等請求事件)

【キーワード】
営業秘密,営業秘密侵害,転職勧誘,捜索差押え,取締役の責任,善管注意義務,子会社管理,グループガバナンス,証拠保全,検証手続

事案

 原告は,包装機械の設計・製造及び販売等を目的とする会社で,医薬品,食品,飲料,化学製品等の容器にラベルを貼付する自動包装機械(ラベラー)を製造販売していた。

 他方,個人,法人ともに複数いる被告のうち,被告京都は,包装機械及び自動組立機械など各種産業用機械,器具の製作販売ならびに修理等を目的とする会社である。

 また,被告IDKは,包装機械の自動化及び機械の設計・製作等を目的とする会社であり,平成22年12月13日,被告京都の出資を受け入れて,被告京都のグループ会社となったとのことであるが,判決文においては「関連会社」とされており,完全親子会社ではないことはわかるものの,持分比率は不明である。

 本件は,転職勧誘を受けて原告から複数の者が被告IDKに転職し,これに伴い,営業秘密侵害が行われた事案であって,かつ刑事事件が先行した事案である。

不正取得され不正使用された営業秘密は,CADソフトで作成されたラベラーの図面(組図,部品図及び前記図面)の電子データ(本件図面データ)と,ラベラーの原価計算のために用いられる営業関連の電子データ(本件原価計算データ)である。また,不正使用行為としては,本件図面データを用いてのラベラーの製造等である。

本件においては,被告らが複数いるため,被告らの転職時期と原告における職位等をまとめると,下表のようになる。

 このように,平成25年から翌平成26年にかけて,複数の者が原告から被告IDKに転職し,営業秘密侵害が疑われたため,本件においては,以下のような時系列をたどった。

   平成26年9月16日          神奈川県警本部が,被告IDKを捜索差押え
   平成27年3月10日~       原告が横浜地検に,Y6,Y10,Y11及びY12を告訴
   平成27年9月1日            東京地裁が被告IDKに対する証拠保全決定
   平成27年9月10日          原告が,被告IDK内の検証手続に立ち会う
   平成29年1月29日          横浜地裁が,以下のとおり,判決言い渡し
               ・Y11   懲役2年6月(執行猶予4年)+罰金100万円
               ・Y6 懲役2年(執行猶予4年)+罰金80万円
               ・Y10   懲役1年6月(執行猶予4年)+罰金80万円
               ・Y12 懲役1年2月(執行猶予4年)+罰金80万円
               ・被告IDK       罰金1,400万円
   令和3年3月10日            本件,口頭弁論終結
   令和3年6月4日            本件について東京地裁が判決言い渡し

 本件における争点は様々あり,正当なアクセス権限がある者による不正取得や,転職勧誘と不法行為責任,転職勧誘の業務執行性等,検討すべき論点も多いが,本稿では,取締役の責任に関する論点について紹介する。

東京地裁の判断

東京地裁は,被告Y2(被告京都の取締役・専務執行役員・営業統括責任者)について,以下のとおり判示して,取締役としての任務懈怠責任を否定した。子会社管理に係る善管注意義務違反を認めた司法判断は,子会社役員を兼任するなどして直接の監視義務に近似するような事例を除き,公刊物では公表されていないと言われているところ[i],本件もそのような前例を踏襲したものと言える。

他方,被告IDKの従業員及び役員については,その職務における実際の立場等を踏まえて,Y5(副社長)についてはその責任を肯定し,他方,Y4(取締役)についてはその責任を否定し,個別具体的な判断を提示した。

判旨抜粋

(※略表示,太字,下線及び墨括弧箇所は,筆者加筆による)

【被告Y2の責任について】 原告は,仮に,共謀の事実が認められないとしても,被告京都の営業統括責任者の地位にある被告Y2は,短期間で自動包装機械事業を開始するには原告の保有する本件データが不可欠であり,被告Y6や他の被告転職者らがこれを何らかの手段で入手する必要があることを容易に認識し得たにもかかわらず,取引上要求される注意義務を尽くすことなく,被告IDKの事業を漫然と遂行させたものであり,被告Y2のこの行為は不法行為を構成し,又は会社法429条に基づく責任を負うと主張する。 しかし,新規の事業展開には様々な方法があるのであり,通常は,転職者が転職元の営業秘密を大量に違法に持ち出して新たな事業に使用することなどは想定し得ないところ,被告Y2が,本件において,被告Y6がそのような行為に及ぶことを容易に認識し得たということはできず,また,被告京都の取締役である被告Y2が別会社である被告IDKにおける本件データの不正開示及び不正使用を阻止すべき一般取引上の注意義務を負っていたと解することもできない。 また,原告は,被告Y2は,被告IDKが捜索差押を受けた直後に報告を受け,その時点で本件データの不正取得及び不正使用について認識したにもかかわらず,被告Y5に十分な調査を行わせることなく,本件図面データの不正使用を放置したのであるから,それ以後の製造納入に係る不正使用㋒~㋖について少なくとも重過失があると主張する。 しかし,被告IDKの業務における違法行為の是正は,本来的には被告IDKが対応すべきものであり,関連会社の取締役である被告Y2が,直ちに何らかの行動をとらなかったからといって,それが不法行為又は被告京都の取締役としての任務懈怠に当たるということはできない。   【被告Y5の責任について】 被告Y5は,前記認定事実(3)イのとおり,被告IDKの経営改革のため,副社長の肩書で従業員となったものにすぎず,自ら営業や設計を行っていたものでもないので,営業又は設計部員である被告Y7,被告Y10及び被告Y11が原告の営業秘密を保存したハードディスクを被告IDK社内に持ち込んでいたからといって,その開示を受けたと評価することはできず,他に,被告Y5に対して本件データが開示されたことを示す証拠はない。 (略) もっとも,被告IDKに対する不競法違反被疑事件による捜索差押えが行われた後は,別に考えるべきである。 すなわち,前記認定事実(3)のとおり,被告Y5は,特機部に所属し,営業を担当していた被告Y7らと同じ部屋で執務していたところ,平成26年9月16日には,神奈川県警察本部による不正競争防止法違反を被疑事件とする被告IDKの捜索が行われたことが認められる。このように,刑事被疑事件により会社内の捜索差押えが行われることは,企業にとって深刻かつ重大な事態であり,当然のことながら,副社長の肩書きを持つ被告Y5に対してもその原因,経過,内容などの報告がされ,被告Y5はその時点で原告の営業秘密が被告IDKに持ち込まれ,業務に使用されていることを認識するとともに,その後の方針が協議されたものと推認するのが相当である。 しかるに,被告IDKにおいては,上記捜索差押え後にも,本件データの不正使用にかかる昭和薬品化工機(不正使用㋒)及びユニメッド機(不正使用㋓)の出荷及び廣東製薬2号機の受注・出荷が中止されることなく行われているのであり,被告Y5は,上記捜索差押えの後においては,これらの行為について,本件データが違法に使用されていることを知りながら,その使用を容認していたものというべきである。 そうすると,上記捜索差押え後に製造・納入がされた不正使用㋒,㋓及び㋖に係る機械について,被告Y5は,被告Y6,被告Y7,被告Y8,被告Y9,被告Y10及び被告Y11と共謀の上,本件図面データを不正使用したと評価するべきである。 (略) したがって,被告Y5は,不正使用㋒,㋓,㋖に限り,不競法2条1項4号の責任を負う。   【被告Y4の責任について】 原告は,被告Y4が,少なくとも重過失によって,不正開示④~⑥を受け,二次的に営業秘密を不正取得したと主張するが,被告Y4が,被告Y7,被告Y10又は被告Y11から本件データの開示を受けていたことを認めるに足りる証拠はない。被告Y4は,被告IDKの従業員から取締役になった者であり,被告IDKに移籍してきた被告Y7,被告Y10又は被告Y11が,被告Y4に対し,不正に取得した営業秘密である本件データを開示したと当然に考えることもできない。 (略) なお,被告Y4も,被告IDKが捜索差押えを受けた後は,不正競争行為の存在を知り得たということはできるが,被告Y4は,被告京都から「副社長」の肩書きで送り込まれ,特機部と同室であった被告Y5とは自ずと立場や関与の程度が異なるのであり,その後に製造・納入がされた機械について,当然に不正競争行為を共謀していたと考えることもできない。 (略) 以上のとおり,被告Y4が,不正取得②,③,不正開示④~⑥(これに対応する二次的不正取得を含む。)及び不正使用㋐~㋗について,共謀又は実行による責任を負うということはできない。

検討

1. 子会社管理に関する義務について

子会社管理に関する義務については,かつて,経営の実態とは離れて法律の分野では,法人格を重視し,これを認めない傾向があったとされるが,2019年6月28日に経済産業省が策定した「グループ・ガバナンス・システムに関する実務指針」いわゆるグループガイドラインにおいて[ii],以下の記述がなされるなど,いまや法人格が別であることを理由として子会社を管理する義務を否定する議論はあまり見られないとされる[iii]

4.4 グループの内部統制システムに関する親会社の取締役会の役割  親会社の取締役会は、グループ全体の内部統制システムの構築に関する 基本方針を決定し、子会社を含めたその構築・運用状況を監視・監督する 責務を負う。 (略) ●また、子会社の管理・監督については、法律上の明文の規定はないものの、親会社取締役には、親会社の資産としての子会社株式の価値を維持するため子会社を適切に管理する義務があり、親会社取締役の子会社監督の職務が存在すると解されている60。 (略) 60 2014 年の会社法改正に向けた法制審・会社法制部会において、複数の学者の委員・幹事から、「会社の資産である子会社の株式の価値を維持するために必要・適切な手段を講じることが親会社取締役の善管注意義務から要求されており、株主である親会社として、とることのできる手段を適切に用いて対処するというのも、当然その内容に含まれうる」との意見が出された。(坂本三郎編著『一問一答 平成 26年改正会社法〔第2版〕』(商事法務、2015)240 頁)

もっとも,本判旨では,「被告京都の取締役である被告Y2が別会社である被告IDKにおける本件データの不正開示及び不正使用を阻止すべき一般取引上の注意義務を負っていたと解することもできない」として,あたかも法人格が別であることを理由に子会社管理に関する義務について否定したようにも見える。

とはいえ,この点に関しては上述のとおり,子会社管理に係る善管注意義務違反を認めた司法判断は,子会社役員を兼任するなどして直接の監視義務に近似するような事例を除き,公刊物では公表されていないと言われおり,前例を踏襲したに過ぎないと評価される。

特に本件では,「関連会社」であって完全親子会社ではなく,また被告Y2が被告IDKの役員も兼任していたといった事実も表れていないのであるから,なおのことであると言えよう。

このように,営業秘密侵害事案においても,親会社の役員の責任を追及するにあたっては,当該役員が子会社役員も兼任していたのか,または兼任に類するほど子会社において業務を執行していたのかといった事実の調査が必要となる。ただ他方で,被疑侵害者側のガバナンスの実態を把握することは相当の困難があると言え,被疑侵害者側の内部通報者といったルートがなければ,およそ立証困難であることもまた事実である。

2. 違法行為の認識可能性

被告Y5とY4で責任の肯否となった分水嶺は,上記に抜粋した判旨のとおり,違法行為の認識可能性である。

自社に捜索差押えが入るということは「企業にとって深刻かつ重大な事態」としながらも,捜索差押が入ったからといって,副社長(従業員)も取締役も直ちに違法行為を認識できると一律に論じるのではなく,それぞれの立場や職務内容に鑑みて,その認識可能性を論じた点が興味深い。

平成27年の不正競争防止法の改正による営業秘密の保護強化を受けて,自社内や自社グループ内における営業秘密侵害の疑いが生じたときや端緒を把握したときの連絡・相談体制や証拠保全体制等を検討・策定した企業も多いであろう。グループガイドラインも,当然のことながら,有事対応について言及する(同95~102頁)。

もっとも,営業秘密侵害事案においては,特許侵害事案など他の事件と同様に,常に被害者側になるわけではなく,被疑侵害者側となり,また被疑侵害者側となったときには,特許侵害事案とは異なり,捜索差押えを受けることもある。捜索差押えにより,一定期間は押収物件を使用できなくなる,従業員間に動揺や疑心暗鬼が広がる,また,無罪推定の原則とはいえ,実際には上場企業であれば株価が下がるなどのレピュテーションリスクにさらされるといった様々なハレーションが起きるが,万一のこれら事態を想定したBCP(事業継続計画)を検討・策定することも,場合によっては必要であろう。

3. グループガバナンス

グループガバナンスは百社百様と言われており,子会社管理のうち不祥事防止についてひな型があるわけではないものの,グループガイドラインが紹介する「3戦ディフェンス」(同77~91頁)はグローバルスタンダードとして確立されており,我が国においても評価されていると聞くところであり,営業秘密侵害の被疑侵害者側となってしまうリスクについても適用が効くものであるので,簡単ではあるが,下表に紹介して本稿の締めとしたい。

4.6.1 3線ディフェンスの重要性

内部統制システムの構築・運用のため、第1線(事業部門)、第2線(管理部門)、第 3 線(内部監査部門)から成る「3 線ディフェンス」の導入と適切な運用の在り方が検討されるべきである。

(略)

以上
(筆者)弁護士 阿久津匡美


[i] 澤口実「グループガバナンスの動向」(2022年1月26日講演)

[ii] https://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/keizaihousei/corporategovernance.html

[iii] 田中亘「会社法[第三版]」(東京大学出版、2021年3月)285~286頁、及び、澤口実編著「不正・不祥事対応における再発防止策」(商事法務,2021年10月)2~3頁参照