【令和3年8月30日判決(知財高裁 令和2年(行ケ)第10126号)】
【ポイント】
形式的には人の名前の歌詞を含む音商標が「他人の氏名」(商標法4条1項8号)を含む商標に該当しないと判断した事案
【キーワード】
マツモトキヨシ
音商標
商標法4条1項8号
他人の氏名
第1 事案
平成29年1月30日に、原告(株式会社マツモトキヨシホールディングス)が下記の音商標の出願(商願2017-007811号)を行ったが、平成30年3月16日に、他人の氏名を含むものであって商標法4条1項8号に該当するとして拒絶査定を受けた。これに対して、原告は審判請求を行ったが、令和2年9月9日に、拒絶審決がなされた。
本件は、令和2年10月28日に、原告は本件審決の取消を求めて知財高裁に審決取消訴訟を提起した案件である。
【商願2017-007811号】
第2 判旨(裁判所の判断)
(※下線等は筆者)
3 本願商標の商標法4条1項8号該当性について
(省略)
(1) 商標法4条1項8号が、他人の肖像又は他人の氏名、名称、著名な略称等を含む商標は、その承諾を得ているものを除き、商標登録を受けることができないと規定した趣旨は、人は、自らの承諾なしに、その氏名、名称等を商標に使われることがないという人格的利益を保護することにあるものと解される(最高裁平成15年(行ヒ)第265号同16年6月8日第三小法廷判決・裁判集民事214号373頁、最高裁平成16年(行ヒ)第343号同17年7月22日第二小法廷判決・裁判集民事217号595頁参照)。
このような同号の趣旨に照らせば、音商標を構成する音が、一般に人の氏名を指し示すものとして認識される場合には、当該音商標は、「他人の氏名」を含む商標として、その承諾を得ているものを除き、同号により商標登録を受けることができないと解される。
また、同号は、出願人の商標登録を受ける利益と他人の氏名、名称等に係る人格的利益の調整を図る趣旨の規定であり、音商標を構成する音と同一の称呼の氏名の者が存在するとしても、当該音が一般に人の氏名を指し示すものとして認識されない場合にまで、他人の氏名に係る人格的利益を常に優先させることを規定したものと解することはできない。
そうすると、音商標を構成する音と同一の称呼の氏名の者が存在するとしても、取引の実情に照らし、商標登録出願時において、音商標に接した者が、普通は、音商標を構成する音から人の氏名を連想、想起するものと認められないときは、当該音は一般に人の氏名を指し示すものとして認識されるものといえないから、当該音商標は、同号の「他人の氏名」を含む商標に当たるものと認めることはできないというべきである。
(2)ア これを本願商標についてみるに、前記2の認定事実によれば、〈1〉株式会社マツモトキヨシが昭和62年にドラッグストア「マツモトキヨシ」の店舗展開を開始した後、平成29年1月30日に本願の出願がされるまでの約30年以上にわたり、株式会社マツモトキヨシ、原告及び原告のグループ会社が、「マツモトキヨシ」の表示をドラッグストアの店名又は自己の企業名として継続して使用したこと、〈2〉同年3月31日現在で、ドラッグストア「マツモトキヨシ」の店舗数は、全国45都道府県で1555店舗、原告のグループ会社のメンバーズカード(ポイントカード)の会員数は約2440万人に達しており、また、「マツモトキヨシ」のブランドは、インターブランド社による2016年度及び2017年度のブランド価値評価ランキングでドラッグストアとして日本でナンバーワンブランドの評価を獲得したこと、〈3〉平成8年から開始されたドラッグストア「マツモトキヨシ」のテレビコマーシャルでは、女性又は男性の声の音色、複数の声の斉唱で本願商標と同一又は類似の音をフレーズに含むコマーシャルソングが相当数使用され、テレビコマーシャルが放映された以降においても、本願商標と同一又は類似の音がドラッグストア「マツモトキヨシ」の各小売店の店舗内において使用されていたことが認められる。
これらの認定事実によれば、本願商標に関する取引の実情として、「マツモトキヨシ」の表示は、本願商標の出願当時(出願日平成29年1月30日)、ドラッグストア「マツモトキヨシ」の店名や株式会社マツモトキヨシ、原告又は原告のグループ会社を示すものとして全国的に著名であったこと、「マツモトキヨシ」という言語的要素を含む本願商標と同一又は類似の音は、テレビコマーシャル及びドラッグストア「マツモトキヨシ」の各小売店の店舗内において使用された結果、ドラッグストア「マツモトキヨシ」の広告宣伝(CMソングのフレーズ)として広く知られていたことが認められる。
イ 前記アの取引の実情の下においては、本願商標の登録出願当時(出願日平成29年1月30日)、本願商標に接した者が、本願商標の構成中の「マツモトキヨシ」という言語的要素からなる音から、通常、容易に連想、想起するのは、ドラッグストアの店名としての「マツモトキヨシ」、企業名としての株式会社マツモトキヨシ、原告又は原告のグループ会社であって、普通は、「マツモトキヨシ」と読まれる「松本清」、「松本潔」、「松本清司」等の人の氏名を連想、想起するものと認められないから、当該音は一般に人の氏名を指し示すものとして認識されるものとはいえない。
したがって、本願商標は、商標法4条1項8号の「他人の氏名」を含む商標に当たるものと認めることはできないというべきである。
(3)ア これに対し被告は、〈1〉ウェブサイト(乙4ないし7)には、原告とは他人の「松本清」、「松本潔」、「松本清司」等の氏名表示のひとつとして、「マツモトキヨシ」の片仮名が表記されており、かつ、これらの者は、現存していると推認できること、各地域のハローページ(乙8ないし19)には、「マツモトキヨシ」と読まれる人の氏名として、原告とは他人の「松本清」、「松本潔」等が掲載されており、かつ、これらの者は、いずれも本願商標の登録出願時から現在まで存在している者であると推認できること、氏名を片仮名表記することは、各種の商取引において、社会一般に行われていること(乙20ないし28)からすると、本願商標の構成中の「マツモトキヨシ」という言語的要素からなる音は、「マツモトキヨシ」と読まれる「松本清」、「松本潔」、「松本清司」等の人の氏名を容易に連想、想起させるものであり、「マツモトキヨシ」と読まれる人の氏名として客観的に把握されるものである、〈2〉原告の提出に係るテレビコマーシャルに関する証拠からは、当該テレビコマーシャルの規模が明らかでなく、平成19年以降の放映も確認できないから、当該テレビコマーシャルが本願商標の音を聞いた者の認識に与える影響は限定的であること、当該テレビコマーシャルを視聴した者は、視覚的要素とともに「マツモトキヨシ」の言語的要素からなる音を聴取、把握し、記憶するものといえるので、当該テレビコマーシャルは、本願商標に接した者が、「マツモトキヨシ」の言語的要素からなる音を、マツモトを姓とし、キヨシを名とする人の氏名であると認識することなく、店舗名又は企業名としてのみ認識することの根拠たり得ないこと、原告の挙げるブランド価値ランキングは、本願商標の音を聞いた者の認識を直接反映したものとはいい難く、このほか、「マツモトキヨシ」という言語的要素からなる音がドラッグストアの店名又は企業名としてのみ認識されることを裏付ける証拠はないことからすると、〈1〉のとおり、上記言語的要素からなる音が、「マツモトキヨシ」と読まれる「松本清」、「松本潔」、「松本清司」等の人の氏名として客観的に把握されることを否定することはできないとして、本願商標は、商標法4条1項8号の「他人の氏名」を含む商標に当たる旨主張する。
しかしながら、前記(2)ア認定のとおり、「マツモトキヨシ」の表示は、本願商標の出願当時、ドラッグストア「マツモトキヨシ」の店名や株式会社マツモトキヨシ、原告又は原告のグループ会社を示すものとして全国的に著名であり、「マツモトキヨシ」という言語的要素を含む本願商標と同一又は類似の音は、テレビコマーシャル及びドラッグストア「マツモトキヨシ」の各小売店の店舗内において使用された結果、ドラッグストア「マツモトキヨシ」の広告宣伝(CMソングのフレーズ)として広く知られていたという取引の実情を踏まえると、本願商標に接した者が、本願商標の構成中の「マツモトキヨシ」という言語的要素からなる音から、通常、容易に連想、想起するのは、ドラッグストアの店名としての「マツモトキヨシ」、企業名としての株式会社マツモトキヨシ又は原告のグループ企業であって、普通は、「マツモトキヨシ」と読まれる「松本清」、「松本潔」、「松本清司」等の人の氏名を連想、想起するものと認められない。
また、甲43によれば、上記テレビコマーシャルの規模は首都圏を中心にドラッグストア「マツモトキヨシ」の出店のある全国の地域に及んでいたことが認められる上、上記テレビコマーシャルの放映後も、上記テレビコマーシャルで使用された本願商標と同一又は類似の音がドラッグストア「マツモトキヨシ」の各小売店の店舗内で使用されていたものと認められるから、当該テレビコマーシャルが本願商標を聞いた者の認識に与える影響が限定的であるということはできないし、上記テレビコマーシャルが視覚的要素を伴うことも、上記認定を左右するものではない。
さらに、前記(1)で説示したとおり、同号は、出願人の商標登録を受ける利益と他人の氏名、名称等に係る人格的利益の調整を図る趣旨の規定であり、当該音が一般に人の氏名を指し示すものとして認識されない場合にまで、他人の氏名に係る人格的利益を常に優先させることを規定したものと解することはできないことに鑑みると、本願商標に接した者が、「マツモトキヨシ」の言語的要素からなる音をドラッグストアの店名又は企業名としてのみ認識することがない以上は、本願商標が同号の「他人の氏名」を含む商標に該当するとの解釈は妥当とはいえない。
したがって、被告の上記主張は採用することができない。
イ 次に、被告は、本願商標の構成中の「マツモトキヨシ」という言語的要素からなる音が、「マツモトキヨシ」と読まれる「松本清」、「松本潔」、「松本清司」等の人の氏名として客観的に把握され、本願商標は「他人の氏名」を含む商標である以上、商標法4条1項8号の趣旨に照らせば、上記言語的要素からなる音が、原告又は株式会社マツモトキヨシが経営するドラッグストアを指し示すものとして一定程度知られていることや、特定の者の略称として一定の著名性を有することは、本願商標の同号該当性を左右するものではない旨主張する。
しかしながら、前記アで説示したとおり、本願商標は「他人の氏名」を含む商標であるとはいえないから、被告の上記主張は、その前提を欠くものであり、採用することができない。
(4) 小括
以上によれば、本願商標は商標法4条1項8号に該当するとした本件審決の判断に誤りがあるから、原告主張の取消事由は理由がある。
第3 検討
本件は、形式的には人の名前の歌詞を含む音商標が「他人の氏名」(商標法4条1項8号)を含む商標に該当しないと判断した事案である。
本判決は、音商標について「他人の氏名」を含む商標の該当性の判断枠組みを示した。すなわち、本判決は、商標法4条1項8号の趣旨が「人は、自らの承諾なしに、その氏名、名称等を商標に使われることがないという人格的利益を保護することにあるもの」であると述べ、「音商標を構成する音が、一般に人の氏名を指し示すものとして認識される場合には、当該音商標は、「他人の氏名」を含む商標として、その承諾を得ているものを除き、同号により商標登録を受けることができないと解される」と判示した。
そして、本判決はさらに踏み込み、商標法4条1項8号の趣旨として、「同号は、出願人の商標登録を受ける利益と他人の氏名、名称等に係る人格的利益の調整を図る趣旨の規定」であると述べ、「音商標を構成する音と同一の称呼の氏名の者が存在するとしても、取引の実情に照らし、商標登録出願時において、音商標に接した者が、普通は、音商標を構成する音から人の氏名を連想、想起するものと認められないときは、当該音は一般に人の氏名を指し示すものとして認識されるものといえないから、当該音商標は、同号の「他人の氏名」を含む商標に当たるものと認めることはできないというべきである」という規範を定立した。音商標に関する商標法4条1項8号の該当性について、具体的な規範を示したのは、本判決が初めてである。
当該規範は、「音商標を構成する音から」人の名前を連想するか否かを問題にしているため、音商標以外商標について直ちに本判決の射程が及ぶとはいえないが、ある商標が人の名前を含むが、当該商標の構成要素から人の名前を連想できない場合(例えば、人の名前を構成する文字等が特殊な場合等)は、「他人の氏名」を含まないとの判断はありえるかもしれない。
本判決の規範に対するあてはめにおいては、「取引の実情」として、出願時までのマツモトキヨシの名称の使用歴、店舗数、世の中の評価及びCMの内容等を考慮して、ドラックストア「マツモトキヨシ」や株式会社マツモトキヨシ等が著名であったこと、「マツモトキヨシ」という音が広く知られていたこと認定し、「松本清」、「松本潔」、「松本清司」等の人の氏名を連想、想起するものと認められないから、当該音は一般に人の氏名を指し示すものとして認識されるものとはいえないので、本願商標は、商標法4条1項8号の「他人の氏名」を含む商標に該当しないと判断した。
以上のように、本判決は、音商標に関する商標法4条1項8号の該当性について、新しい規範を定立し、その規範にあてはめて結論を導き出した事案であり、その規範やあてはめは実務上参考になる。
以上
(筆者)弁護士 山崎臨在