【令和3年6月29日(知財高判 令和2年(行ケ)10094号)】

キーワード:進歩性

1 事案の概要

 本件は、特許無効審判における無効審決の取消訴訟である。審決及び判決ともに、逆流性食道炎の再発抑制剤という用途発明が、引用文献から容易想到であると認定した。

2 本件特許発明(請求項1)

「【請求項1】
ラベプラゾールナトリウムを有効成分とし,維持療法を行う前の治療により治癒したプロトンポンプ阻害剤抵抗性逆流性食道炎患者に対する維持療法のために,ラベプラゾールナトリウム10mgを1日2回,4週間以上投与されることを特徴とする,プロトンポンプ阻害剤抵抗性逆流性食道炎の再発抑制剤。」

3 引用発明(甲1発明)

PPI抵抗性逆流性食道炎患者に対する維持療法における,E3810 10mg 1日2回投与の有効性と安全性を検討するための第Ⅲ相臨床試験に供されるE3810であって,
前記第Ⅲ相臨床試験は,PPI抵抗性逆流性食道炎患者に,維持療法期間中,E3810 10mgを1日2回52週間投与するものであり,前記患者は,治療期間中はE3810 10mgを1日2回投与された患者である,E3810。

4 本件特許発明と引用発明との一致点・相違点

(1)一致点
維持療法を行う前の治療により治癒したプロトンポンプ阻害剤抵抗性逆流性食道炎患者に対して,維持療法期に,10mgを1日2回,4週間以上投与される,ラベプラゾールナトリウム」

(2)相違点1
本件発明1は,「ラベプラゾールナトリウム」を有効成分とする,「維持療法のために」投与される「プロトンポンプ阻害剤抵抗性逆流性食道炎の再発抑制剤」であるのに対して,甲1発明は,「PPI抵抗性逆流性食道炎患者に対する維持療法における」「有効性と安全性を検討するための第Ⅲ相臨床試験に供されるラベプラゾールナトリウム(E3810)」である点。

5 裁判所の判断

「4 取消事由1(無効理由3における判断の誤り)について
(1) 相違点1の容易想到性について
ア 本件優先日当時におけるラベプラゾールナトリウムを利用しての逆流性食道炎の治療についての技術常識
前記1(1)の本件明細書の記載及び前記3の本件優先日当時の技術常識等に係る証拠の記載事項を踏まえると,本件優先日当時におけるラベプラゾールナトリウムを用いた逆流性食道炎の治療についての技術常識として,次のとおり認められる。
(ア) 逆流性食道炎の治療におけるラベプラゾールナトリウムの利用等
a PPIは,酸分泌細胞による酸分泌を抑制するという作用を利用することで,逆流性食道炎の治療に用いられる薬剤であり,ラベプラゾールナトリウムは,ベンズイミダゾール系のPPIである(本件明細書の段落【0001】,【0002】,前記3(10)ウ[甲18])。逆流性食道炎の治療は,酸分泌抑制薬を主体とし,PPIを第一選択薬として行われている(同【0002】,前記3(2)ア[甲5])が,対症療法である(同【0004】,前記3(6)イ(ア)[甲9])。
b 逆流性食道炎は,内視鏡検査により食道粘膜傷害が認められるもの(ロサンゼルス分類のGrade A~D。AからDに向かってより重症となる。)であり,内視鏡的に,食道粘膜傷害がない状態(同分類のGrade N又はM)となると「治癒」に至ったものと取り扱われる(本件明細書の段落【0013】,【0014】,前記3(1)イ[甲4])。
c ただし,上記bの「治癒」に至った患者についても,薬物治療を中止すると,多くは食道粘膜傷害等の症状が再発・再燃するため,酸分泌抑制剤の投与を継続して再発を抑制するという維持療法が重要とされている(本件明細書の段落【0004】)。この点に関し,維持療法を中止して再発に至る機序に関しては,中止により,再び食道への酸逆流が生じて再発に至るものと考えられていた(前記3(6)イ(ア)[甲9])。
(イ) ラベプラゾールナトリウムの用法・用量
a ラベプラゾールナトリウムの用法・用量について,逆流性食道炎の治療期においては,通常,1回10mg又は病状により1回20mgを1日1回,8週間まで経口投与されるが,PPI抵抗性逆流性食道炎患者(日本国内で承認されているプロトンポンプ阻害剤の常用量を,1日1回,8週間以上投与したにもかかわらず内視鏡的に治癒に至らない患者[本件明細書の段落【0003】,【0014】])に対しては,治療のため,1回10mg又は1回20mg(重度の粘膜傷害を有する場合に限る。)を1日2回,さらに8週間経口投与することができる(同【0
002】,【0003】,前記3(10)ア[甲18])。
b 上記(ア)bの「治癒」に至ったものの,再発・再燃を繰り返す逆流性食道炎の維持療法におけるラベプラゾールナトリウムの用法・用量は,1回10mgを1日1回経口投与するというものである(本件明細書の段落【0004】,前記3(10)ア[甲18])。
(ウ) ラベプラゾールナトリウムの用法・用量等と有効性の関連性について
a 胃酸分泌の抑制効果は,PPIの用量や投与回数と正の相関関係にあるとみられていた(前記3(2)イ[甲5],同(3)[甲6],同(5)[甲8],同(6)イ(ア)[甲9])し,このような相関性は,ラベプラゾール以外のPPIについてもみられていた(前記3(4)[甲7],本件明細書の段落【0002】,なお,甲5~8は,pHモニタリング試験を用いて胃酸分泌の抑制効果を評価しているが,そうであるからといって,上記技術常識を認定することができないというべき理由はない。)。
そして,維持療法における再発率についても,PPI投与量増加に伴う胃酸分泌抑制作用の強さと関連しているものと考えられていた(前記3(6)イ(ア)[甲9])。
b また,同量を投与する場合,1日1回の投与(例えば,20mgを1日1回)を1日2回(例えば,10mgを1日2回)とすることで,より高く持続的な胃酸分泌抑制効果があることがうかがわれ(前記3(5)ア[甲8]),PPI抵抗性逆流性食道炎患者の治療期においても,20mg1回投与群に対する10mg2回投与群の優越性が認められていた(前記3(9)イ・ウ[甲14],同(11)[甲19])。
(エ) ラベプラゾールナトリウムの安全性について
a ラベプラゾールナトリウムについて,8週間にわたり20mgを投与した後,24週間にわたって10mg又は20mgを投与しても,臨床上,問題となるような副作用は認められなかった(前記3(6)ア[甲9])。そして,その後,維持療法期において,52週以上,104週間(2年間)にわたり10mgを1日1回投与した場合の臨床上の安全性が国内でも確認されるに至っていた(前記3(6)イ(ア)[甲9],同(7)[甲10],同(8)[甲13])。
b ラベプラゾールナトリウムについて,維持療法期の長期投与に関し,20mg投与と10mg投与の間で,臨床上,副作用に大きな差はないと考えられていた(前記3(6)イ(ア)[甲9])。
c ラベプラゾールナトリウムについて,PPI抵抗性逆流性食道炎患者に対する治療期における投与に関し,1日2回投与については,1日1回投与と比較して,甲状腺機能へ与える影響への注意は要したものの,その他の安全性に問題はないと考えられていた(前記3(9)ウ[甲14])。
イ 相違点1に係る構成の容易想到性について
(ア) 本件優先日当時の技術常識として,①逆流性食道炎の治療について,ラベプラゾールナトリウムは,治療期と維持療法期のいずれにおいても,酸分泌抑制作用という共通の作用によって,治療効果や再発防止効果をもたらすものとみられたこと(前記ア(ア)a,c),②胃酸分泌の抑制効果は,ラベプラゾールナトリウムの投与量や投与回数と正の相関関係にあり(同(ウ)a),治療期における用法・用量もそのような理解に沿うものとなっていたこと(同(イ)a),③胃酸分泌抑止作用の強さは,維持療法における再発率とも関連していると考えられていたこと(同(ウ)a),④PPI抵抗性逆流性患者の治療期において,20mgの1日1回投与より,10mgの1日2回投与の抑制効果の優越性が認められていたこと(同(ウ)b)を指摘することができる。
上記の点を踏まえると,本件優先日当時,当業者においては,PPI抵抗性逆流性食道炎患者の維持療法期におけるラベプラゾールナトリウムの利用について,従来の逆流性食道炎患者に対する維持療法期における「1回10mgを1日1回」という用法・用量を,特にそのうちPPI抵抗性逆流性食道炎患者については「1日2回」に増やすという方向で,あるいは,PPI抵抗性逆流性食道炎患者の治療期における「1回10mg又は1回20mg(重度の粘膜傷害を有する場合に限る。)を1日2回」という用法・用量を踏まえ,それをPPI抵抗性逆流性食道炎患者の維持療法期にも広げるという方向で,「1回10mgを1日2回」という用法・用量を設定し,もって,PPI抵抗性逆流性食道炎患者に対してより高い再発抑制効果を有する薬剤として利用することを,容易に想到することができたといえる。
(イ) 前記ア(エ)の安全性に関する技術常識を踏まえると,本件優先日当時,ラベプラゾールナトリウムの維持療法における20mg1日1回長期投与の忍容性は,当業者に明らかであった(前記ア(エ)a,b)ところ,1日2回投与と1日1回投与とでは安全性に差異はないと考えられていたこと(前記ア(エ)c)をも考慮すると,「1回10mgを1日2回」「4週間以上」投与することについて,臨床上の安全性の観点から阻害されたといった事情も見受けられない。なお,甲42及び44のガイドラインには,PPIの長期投与の安全性に関する懸念についての記載があるが,「いずれの懸念もPPI投与との直接的な因果関係が明らかとはいいがたい」(甲42)などとされており,上記判断を左右するものではないし,甲23及び29~31の各PPIの添付文書における注意書きも,薬剤の添付文書における一般的な副作用等についての記載にすぎず,上記判断を左右するものではない。」

6 検討

 逆流性食道炎は、胃酸が食道に逆流して食道が炎症を起こすという疾患であり、プロトンポンプ阻害剤によって胃酸の分泌を抑制するという治療が行われる。ラベプラゾールナトリウムはそうした逆流性食道炎の治療薬として本願出願前から知られていた。
 逆流性食道炎は、薬剤治療によって炎症が治まったあとも、しばらくは薬を投与することで再発抑制が図られている(維持療法ともいわれる)。
 本件特許発明は、プロトンポンプ阻害剤抵抗性逆流性食道炎患者に対する維持療法のために,ラベプラゾールナトリウム10mgを1日2回,4週間以上投与されることを特徴とする,プロトンポンプ阻害剤抵抗性逆流性食道炎の再発抑制剤という発明である。
 本件特許発明と、引用発明との相違点は、本件発明1が「ラベプラゾールナトリウム」を有効成分とする,「維持療法のために」投与される「プロトンポンプ阻害剤抵抗性逆流性食道炎の再発抑制剤」であるのに対して,甲1発明は,「PPI抵抗性逆流性食道炎患者に対する維持療法における」「有効性と安全性を検討するための第Ⅲ相臨床試験に供されるラベプラゾールナトリウム(E3810)」である点であり、用途の違いが相違点であると解される。
 一方、判決文を見ると、「従来の逆流性食道炎患者に対する維持療法期における「1回10mgを1日1回」という用法・用量を,特にそのうちPPI抵抗性逆流性食道炎患者については「1日2回」に増やすという方向で,」という部分など、一見すると、1日1回という用法用量を、1日2回に変更することが容易かどうか、つまり、用法用量の容易想到性が検討されているかのようにも思われる。
 いずれにしても、公知発明や技術常識において、治療期に1回10mg/20mgを1日1回又は2回投与すること、維持期に1回10mg/20mgを1日1回投与すること、が知られており、さらに、1日1回よりも1日2回の方が効果が高く、安全性も問題ないことが知られていた以上、維持期に1日2回投与することや、そのような用法用量で用いられる再発防止剤とすることが容易想到であると判断されたことは、何ら不合理ではないと解される。

以上

弁護士 篠田淳郎