【令和3年6月24日(知財高判(令和2年(ネ)10115号)】
キーワード:進歩性

1 事案の概要

 本件は、特許無効審判における無効審決の取消訴訟である。裁判所は、相違点の容易想到性について特許庁とは異なる判断を行い、無効審決を取り消した。

2 本件特許発明(請求項1)

「【請求項1】
ハンドルの先端部に一対のボールを,相互間隔をおいてそれぞれ一軸線を中心に回転可能に支持した美容器において,往復動作中にボールの軸線が肌面に対して一定角度を維持できるように,ボールの軸線をハンドルの中心線に対して前傾させて構成し,一対のボール支持軸の開き角度5 を65~80度,一対のボールの外周面間の間隔を10~13mmとし,前記ボールは,非貫通状態でボール支持軸に軸受部材を介して支持されており,ボールの外周面を肌に押し当ててハンドルの先端から基端方向に移動させることにより肌が摘み上げられるようにしたことを特徴とする美容器。」

3 引用発明(仏国特許出願公開2891137号明細書の写しに記載された発明)

「回転可能な球を各々が受容する2つの軸が周囲に固定された,任意の形状の中央ハンドルを含むマッサージ用の器具において,球の2つの軸が70~100度に及ぶ角度をなし,
球の直径は,直径2~8cmであり,球を貫通状態で受容する軸を有し,ユーザが2個の球を皮膚に当て,引張り力を及ぼすと,球が,進行方向に対して非垂直な軸で回転し,球の間に拘束されて挟まれた皮膚を集めて皮膚に沿って動くマッサージ用の器具。」

4 本件特許発明と引用発明との相違点

1 一対のボールを回転可能に支持しているのは,本件発明では,ハンドルの先端部であるのに対して,甲1発明では,先端部であるか不明である点。

2 一対のボール支持軸の開き角度が,本件発明では,65~80度であるのに対して,甲1発明では,70~100度である点。

3 本件発明では,往復動作中にボールの軸線が肌面に対して一定角度を維持できるように,ボールの軸線をハンドルの中心軸に対して前傾させて構成しているのに対して,甲1発明では,そのような構成を有するか明らかでない点。

4 本件発明では,一対のボールの外周面間の間隔が10~13mmであるのに対し,甲1発明では,一対の球の直径が2~8cmとしているものの,一対の球の外周面間の間隔は不明である点。

5 本件発明では,ボールが非貫通状態でボール支持軸に軸受部材を介して支持されているのに対し,甲1発明では,ボールを貫通状態で軸受部材を介さず支持している点。

5 審決の要旨(相違点1について)

 ①甲1発明の任意の形状の中央ハンドルには,「球,あるいは他のあらゆる任意の形状とすることができる」という記載からみて,球以外の形状を含むものであるといえること,及び手で握られるハンドルの形状として長尺状の形状を採用することは通常の態様であり,ローラを備えたマッサージ器のハンドルの形状としても当該長尺状の形状は通常用いられる形状にすぎないことを踏まえれば,具体的に例示された「球」の他に,長尺状の形状のハンドルも含まれることは明らかであり,任意の形状として甲1の1に記載されたに等しい事項である,②甲1発明のハンドルは,器具を傾けながら引っ張るようにして用いるものであるから,球(ボール)がハンドルの中央部にあった場合には,長尺状のハンドルの先端部と人体が干渉するおそれがあるので,この干渉を避けるため,球を器具の先端部に設けた方がよいことは,構成上,当業者であれば容易に想到できる,③ハンドルに回転自在に支持された1対のボールによりマッサージを行うマッサージ器において,1対のボールをハンドルの先端部に配置することは,
甲2の1及び甲3に記載された周知技術(以下「周知技術1」という。)にすぎず,甲1発明において周知技術1を適用することは当業者にとって何らの困難性はない,④したがって,相違点1に係る本件発明1の構成は,甲1発明に基づいて,又は甲1発明及び周知技術1に基づいて,当業者が容易に想到できたものといえる。

6 裁判所の判断

「3取消事由1及び3(相違点1及び3の容易想到性に関する判断の誤り)について

(1)甲1には,請求項1に「任意の形状の中央ハンドル」との記載があり,発明の詳細な説明中に,ユーザが握る中央ハンドルは「球,あるいは他のあらゆる任意の形状とすることが可能である。」と記載があることから,長尺状のハンドルを排除するものではないと理解することはできる。しかし,「球,あるいは他のあらゆる任意の形状とすることが可能である。」との記載ぶりからすれば,まずは「球」が念頭に置かれていると理解するのが自然であり,しかも甲1の添付図(FIG.1,FIG.2)は,いずれも器具の正面図であり,実施例を表すとされているが,そこに描かれたハンドルの形状や全体のバランスに照らして,球状のハンドルが開示されているとしか理解できないものである。

また,甲1には,甲1発明のマッサージ器具は,ユーザがハンドル(1)を握り,これを傾けて,ハンドルに2つの軸で固定された2つの回転可能な球を皮膚に当てて回転させると,球が進行方向に対して非垂直な軸で回転することにより,球の対称な滑りが生じ,球の間に拘束されて挟まれた皮膚を集めて皮膚に沿って動き,引っ張る代わりに押圧すると,球の滑りと皮膚に沿った動きによって皮膚が引き伸ばされることが開示されているところ,こうした2つの球がハンドルに2つの軸に固定され,2つの軸が70~100度をなす角度で調整された甲1発明において,球が進行方向に対して非垂直な軸で回転し,球の間に拘束されて挟まれた皮膚を集めて皮膚に沿った動きをさせるためには,ハンドルを進行方向に向かって倒す方向に傾けることが前提となる。ハンドルが球状のものであれば,後述するハンドルの周囲に軸で4個の球を固定した場合を含めて,把持したハンドル(1)の角度を適宜調整して進行方向に向かって倒す方向に傾けることが可能である。しかし,ハンドルを長尺状のものとし,その先端部に2つの球を支持する構成とすると,球状のハンドルと比較して傾けられる角度に制約があるために進行方向に傾けて引っ張る際にハンドルの把持部と肌が干渉して操作性に支障が生じかねず,こうした操作性を解消するために長尺状の形状を改良する(例えば,本件発明のように,ボールの軸線をハンドルの中心軸に対して前傾させて構成させる(相違点3の構成)。)必要が更に生じることになる。そうすると,甲1の中央ハンドルを球に限らず「任意の形状」とすることが可能であるとの開示があるといっても,甲1発明の中央ハンドルをあえて長尺状のものとする動機付けがあるとはいえない。また,甲1においては,「マッサージする面に適合させるために,より大きな直径を持つ1つまたは2つの追加球をハンドルが受容可能である」形態も開示されており,FIG.2には,小さい直径の球(2)を2つ,大きな直径球(3)を2つそれぞれハンドル(1)に軸によって固定された図が開示されている。このような実施例において,ハンドル(1)を球状から長尺状とすると,前記のとおり,甲1発明のマッサージ器具は,ユーザがハンドル(1)を握り,これを傾けて,ハンドルに2つの軸で固定された2つの回転可能な球を皮膚に当てて回転させると,球が進行方向に対して非垂直な軸で回転することにより,球の対称な滑りが生じ,球の間に拘束されて挟まれた皮膚を集めて皮膚に沿って動き,引っ張る代わりに押圧すると,球の滑りと皮膚に沿った動きによって皮膚が引き伸ばされるとの作用効果を生じるところ,例えば,大きい球(3)を皮膚に当てることを想定し,長尺状のハンドルを中心軸に前傾させて構成させると,小さい球(2)を皮膚に当てるときには,ハンドルを進行方向に対して傾けて小さい球(2)の球を引っ張ることができなくなる。したがって,こうした点からすると,甲1のハンドル(1)を長尺状のものとすることには,むしろ阻害要因があるといえる。(2)これに対し,被告は,①甲1のFIG.1の正面図は,ハンドルが円形で図示されているが,ハンドルが円柱状(長尺状)の形状であるとしても整合する,②同FIG.2においては,4つの球をハンドルに取り付けて,皮膚が吸引される使用方法が記載されており,こうした使用方法を前提とすると,ハンドルが長尺状であればローラ(球)と接触することなくハンドルを握ることができるから,ハンドルの形状は,球体と理解するよりも長尺状(円柱状)のハンドルと理解するのが自然である旨主張する。しかし,正面図であるFIG.1やFIG.2において図示されている円形が球状ではなく円柱状(長尺状)の形状を示すものと理解することが困難なことは,前記(1)において判示したところから明らかである。また,4つの球をハンドルに取り付けて使用する形態であっても,FIG.2の実施例の記載によると,使用されるのは2つの球であり,ハンドルを把持する際には軸を避けて指でハンドルを把持すれば足り,ハンドルを長尺状(円柱状)のハンドルと解するのが自然であるともいえず,かえって,上記のとおりハンドルを長尺状とすることについては阻害要因があるというべきである。そうすると,甲1の実施例(FIG.1,FIG.2)には球状のものしか開示されていないと認められ,被告の上記主張は採用し得ない。

また,被告は,甲1において,ハンドル(1)は,握って引っ張るものであるという使用方法が明記され,ハンドルの形状としてあらゆる任意の形状とすることができると記載されているのであるから,当然ながら握りやすい長尺状の形状が想定された形状であり,甲1発明のハンドルは,握って傾けながら引っ張るものであるから,ハンドルの先端部に球を設けることは当業者であれば容易に想到するものであるから,本件審決の判断に誤りはない旨主張する。しかし,たとえハンドルを球に限らず任意の形状とすることは可能であるとしても,甲1発明の球状のハンドルを長尺状のものとした場合における操作性の問題があることから,球状の実施形態しか開示されていない甲1発明の中央ハンドルを長尺状のものとする動機付けがあるとはいえないことは前記(1)のとおりであり,一般的に長尺状のハンドルが握りやすいものであるといえたとしても,そのことは結論を左右し得ない。また,小さい球(2)を2つ,大きい球(3)を2つそれぞれハンドル(1)に軸によって固定された場合に,ハンドル(1)を長尺状とすると,甲1発明の作用効果との関係でその操作に支障が生じることから,甲1発明のハンドル(1)を長尺状のものとすることにはむしろ阻害要因があることも前記(1)のとおりである。したがって,被告の上記主張は採用することができない。」

7 検討

 主引例中の「球,あるいは他のあらゆる任意の形状とすることができる」との記載を巡って特許庁と裁判所の判断が分かれた事例である。

 特許庁は、「任意の形状とすることができる」との記載に重きをおいて、主引例の実施例が球状のハンドルであるのを、長尺状のハンドルにすることは容易或いは長尺状のハンドルが記載されているに等しいと判断した。

 これに対して裁判所は、主引例の実施例には球状のハンドルしか記載されていない、種引用発明の球状のハンドルを長尺状のハンドルに変更すると、操作性に支障が生じかねない等として、甲1発明の中央ハンドルをあえて長尺状のものとする動機付けがあるとはいえないと判断した。主引例中の実施例の記載を重視した印象を受けるが、引用発明の作用を踏まえたうえでの判断であり、主引例の実施例のみを判断の根拠としたわけではないことに留意が必要である。

                                       以上
(筆者)弁護士 篠田淳郎