【令和3年10月30日(知財高裁 令和3年(行ケ)第10018号)】

【判旨】

 特許権存続期間延長登録出願の拒絶査定に対する不服審判請求を不成立とした特許庁の判断を是認した事例

【キーワード】

特許法第67条,特許権存続期間延長登録,緩衝剤の量,オキサリプラチン

【事案の概要及び前提事実】

以下,開設に必要な範囲で記載する。なお,証拠番号等は適宜削除する。

1 本件特許(甲1)
(1) 原告は,以下の特許(以下「本件特許」という。)の特許権者である。
発明の名称 オキサリプラチン溶液組成物ならびにその製造方法及び使用
特許番号  第4430229号
出願日   平成11年2月25日
優先日   平成10年2月25日 (優先権主張国:英国(GB))
登録日   平成21年12月25日
(2) 本件特許の特許請求の範囲の請求項1~17に記載の各発明(以下併せて「本件各発明」といい,それぞれ対応する請求項の番号に合わせて「本件発明1」などという。)は次のとおりである。なお,本件各発明について訂正を認める審決(無効2014-800121号。甲8)が平成30年4月16日に確定しており,以下の記載は訂正後のものである。
【請求項1】
オキサリプラチン,有効安定化量の緩衝剤および製薬上許容可能な担体を包含する安定オキサリプラチン溶液組成物であって,製薬上許容可能な担体が水であり,緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩であり,
1) 緩衝剤の量が,以下の:
(a)5×10- 5 M~1×10- 2 M,
(b)5×10- 5 M~5×10- 3 M,
(c)5×10- 5 M~2×10- 3 M,
(d)1×10- 4 M~2×10- 3 M,または
(e)1×10- 4 M~5×10- 4 M
の範囲のモル濃度である,pH が3~4.5の範囲の組成物,あるいは
2)緩衝剤の量が,5×10- 5 M~1×10- 4 Mの範囲のモル濃度である,組成物。
(中略)
2 特許庁における手続の経緯
(1) 原告は,平成27年6月19日,下記(2)のとおり,平成28年法律第108号による改正前の特許法67条2項の政令で定める処分(以下「本件処分」という。)を受けることが必要であったために,本件特許の特許発明の実施をすることができない期間があったとして,本件特許について特許権存続期間延長登録出願(以下「本件出願」という。)をしたが,令和元年8月1日付けで拒絶査定を受け,同年11月20日,これに対する不服の審判を請求した。特許庁は上記請求を不服2019-15518号事件として審理をした上,令和2年9月16日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決(以下「本件審決」という。)をし,その謄本は同年10月6日,原告に送達された。
(2) 本件出願の内容は次のとおりであった。(甲2)
ア 延長を求める期間 5年
イ 本件処分を受けた日 平成27年3月20日
ウ 本件処分の内容
(ア) 特許権の存続期間の延長登録の理由となる処分
薬事法(平成25年法律第84号による改正前の題名であり,現在の題名は,医薬品,医療機器等の品質,有効性及び安全性の確保に関する法律。令和元年法律第63号による改正前のもの。以下「法」という。)14条9項に規定する医薬品に係る同項の承認
(イ) 処分を特定する番号
承認番号 22400AMX01369000
(ウ) 処分の対象となった物(以下「本件医薬品」という。)
販売名:エルプラット点滴静注液200mg
有効成分:オキサリプラチン
(エ) 処分の対象となった物について特定された用途
治癒切除不能な進行・再発の胃癌

【本件審決の理由の要点】

(1) 本件各発明は,いずれも,特許請求の範囲の請求項1又は請求項10に規定される所定の「緩衝剤の量」を発明特定事項として含むものであり,この「緩衝剤の量」とは,オキサリプラチン溶液組成物の作製時に,オキサリプラチン及び担体に添加,混合された緩衝剤の量を意味し,オキサリプラチン溶液組成物中のオキサリプラチンが経時的に分解することで生じたシュウ酸の量は,当該「緩衝剤の量」に含まれないと解するのが相当である。
(2) そうすると,本件医薬品についても,その作製時に,オキサリプラチン及び担体に対して,本件各発明の発明特定事項の濃度となるよう緩衝剤が添加,混合されたものでなければならない。
しかしながら,願書に添付した「延長の理由を記載した資料」,当該「延長の理由を記載した資料」を補正する平成27年8月21日付け手続補正書及び参考資料1~8のいずれをみても,本件医薬品において,緩衝剤が外から添加されたものとは認められない。
したがって,本件医薬品は,本件各発明のいずれについても,発明特定事項の全てを備えているといえず,特許発明の実施に政令で定める処分を受けることが必要であったとは認められない。

【争点】

 本件医薬品が,特許発明の実施に政令で定める処分を受けることが必要であったか否か。

【判旨抜粋】

(2) 前記第2の1(2)の本件特許の特許請求の範囲及び上記(1)の本件明細書の記載によると,本件各発明は,製薬上安定なオキサリプラチン溶液組成物,癌腫の治療におけるその使用方法,このような組成物の製造方法,およびオキサリプラチンの溶液の安定化方法に関するものであって(【0001】),従来からある使用時に再構築が必要で,エラーが生じる機会があるという欠点を有する凍結乾燥粉末形態のオキサリプラチン(【0012】,【0013】)に換えて,従来技術であるオキサリプラチン水溶液(豪州国特許出願第29896/95 号等。【0010】)の分解による不純物の生成を回避又は有意に減らすことで,2年以上の保存期間中,製薬上安定である,すぐに使える形態のオキサリプラチンの溶液組成物を提供することを目的とする(【0014】~【0017】)ものと認められる。
2 延長登録について
特許権の存続期間の延長登録の制度は,政令処分を受けることが必要であったために特許発明の実施をすることができなかった期間を回復することを目的とするものであるから,本件医薬品の製造販売が,本件各発明の実施に当たらないのであれば,本件処分を受けることが必要であったために特許発明の実施をすることができなかったということはできない。
ところで,本件処分は,オキサリプラチンを有効成分とする「エルプラット点滴静注液200mg」(本件医薬品)に係る本件処分に係る医薬品製造販売承認事項一部変更承認申請当時(平成26年10月3日。甲2・参考資料7参照)の法14条9項に規定する医薬品の製造販売についての承認である。原告は,本件医薬品はオキサリプラチンと注射用水からなり,本件医薬品中でオキサリプラチンが水と反応して遊離したシュウ酸を緩衝剤とする旨主張している。
そこで,以下,本件医薬品の製造販売行為が,本件各発明の実施に当たるか検討する。
3 本件各発明の「緩衝剤の量」について
(1) 本件各発明の特許請求の範囲の記載は,前記第2の1(2)のとおりであり,本件発明1~9及び15~17については,①オキサリプラチン,②有効安定化量の緩衝剤であるシュウ酸又はそのアルカリ金属塩及び③製薬上許容可能な担体である水,を包含する「安定オキサリプラチン溶液組成物」に係るものであり,本件発明10は,①オキサリプラチン,②有効安定化量の緩衝剤であるシュウ酸又はそのアルカリ金属塩及び③製薬上許容可能な担体,を包含する水性溶液である「オキサリプラチン溶液組成物」に関して,緩衝剤を溶液に付加することを含む安定化方法に係る発明,本件発明11~14は,本件発明1~9のいずれかの組成物についての担体(水)と緩衝剤を混合することを含む製造方法に係る発明である。
(2) 原告は本件審決における「緩衝剤の量」の認定に誤りがあると主張するので検討するに,上記(1)の特許請求の範囲の記載からすると,「緩衝剤」は,溶液に添加したり,混合することを前提とするものと解するのが自然である。また,上記の通り,本件発明1~9及び15~17が,オキサリプラチン,緩衝剤及び担体を含む溶液組成物に係るものであるところ,オキサリプラチンを水に溶解させたときに生じるシュウ酸を緩衝剤と称し,オキサリプラチンや水とは別個の要素として把握するのは不自然である。さらに,「緩衝剤」の「剤」は,「各種の薬を調合すること。また,その薬」(広辞苑〔第6版〕)を意味するから,この一般的な意義に従うと,「緩衝剤」は,「緩衝作用を有する薬」を意味すると解される。そうすると,特許請求の範囲の記載からは,本件各発明における「緩衝剤」に,オキサリプラチンから遊離したシュウ酸は含まれないと解するのが相当である。
(3) 次に,特許請求の範囲に記載された用語の意義は,明細書の記載を考慮して解釈するものとされる(特許法70条2項)ので,本件明細書(甲1)の記載をみると,前記1(1)のとおり,「緩衝剤という用語」について,「オキサリプラチン溶液を安定化し,それにより望ましくない不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得るあらゆる酸性または塩基性剤を意味する。」(【0022】)として,これを定義付ける記載があり,上記の「剤」の一般的意義に照らしても,「緩衝剤」について,「緩衝作用を有する薬」を意味するものと理解することは,本件明細書の記載にも整合する。
(中略)
(4) そして,前記1(2)のとおり,本件各発明が,オキサリプラチンと水からなる従来技術よりも安定したオキサリプラチン溶液組成物を提供することを目的とするものであることに加え,本件明細書には,緩衝剤としてシュウ酸が二水和物として付加される実施例1~17が記載され,オキサリプラチン及び水のみからなる実施例18は従来技術である比較例とされていることなどの本件明細書のその余の記載を考慮しても,「緩衝剤」にオキサリプラチンから遊離したシュウ酸を含むと認めることはできない。そうすると,「緩衝剤の量」に,オキサリプラチンから遊離したシュウ酸の量を含めるべきであるという原告の主張を採用することはできず,本件発明1の「緩衝剤の量」について,「オキサリプラチン溶液組成物の作製時に,オキサリプラチン及び担体に添加,混合された緩衝剤の量を意味し,オキサリプラチン溶液組成物中のオキサリプラチンが経時的に分解することで生じたシュウ酸の量は,当該『緩衝剤の量』に含まれない」とする本件審決の認定に誤りはない。
4 本件医薬品を製造販売する行為が本件各発明の実施行為に該当するか否かについて
(1) 証拠(甲9)によると,本件医薬品中のシュウ酸モル濃度は,製造直後において5×10-5M,36箇月保存後において8×10-5Mであることが認められるものの,前記3のとおり,オキサリプラチン溶液組成物中のオキサリプラチンが経時的に分解することで生じたシュウ酸の量は,本件各発明における「緩衝剤の量」に含まれないから,本件医薬品のシュウ酸モル濃度から直ちに,本件医薬品が本件各発明の「緩衝剤の量」の範囲の緩衝剤を含有するということはできない。そして,証拠によると,本件医薬品は,オキサリプラチンと注射用水のみを成分とし,その他の添加物はないことが認められるから,本件各発明における「緩衝剤」すなわち「オキサリプラチン溶液組成物の作製時に,オキサリプラチン及び担体に添加,混合された緩衝剤」を含有しないというほかないから,本件医薬品は,本件各発明における「緩衝剤の量」の範囲を満たす量の「緩衝剤」を含有しない。
(2) そうすると,本件医薬品を製造・販売することは,本件各発明の実施に当たらないから,本件医薬品には緩衝剤が外から添加されていないとして,特許発明の実施に本件処分を受けることが必要であったとは認められないとした本件審決の判断に誤りはない。

【解説】

 本件は,平成28年法律第108号による改正前の特許法67条2項の政令で定める処分を受けることが必要であったために,本件特許の特許発明の実施をすることができない期間があったとして,本件特許について特許権存続期間延長登録出願をおこなったところ,特許庁は,これに対して拒絶査定を行い,拒絶査定に対する不服審判も不成立審決となり,当該不成立審決の取消訴訟であり,裁判所は,特許庁の判断を是認した。
 本件においては,本件医薬品が本件特許発明の実施品といえるか,つまり,本件医薬品の製造販売が,本件各発明の実施に当たらないのであれば,本件処分を受けることが必要であったために特許発明の実施をすることができなかったということはできないことになるが,裁判所は,本件医薬品の製造販売が本件各発明の実施に当たらないと判断した。
 具体的には,オキサリプラチンを水に溶解させるとシュウ酸が生じるが,これが,本件各発明の「緩衝剤の量」に含まれるかということが問題となった。
裁判所は,本件各発明に記載される「緩衝剤の量」について,請求項の解釈から「『緩衝剤』は,『緩衝作用を有する薬』を意味すると解される。そうすると,特許請求の範囲の記載からは,本件各発明における『緩衝剤』に,オキサリプラチンから遊離したシュウ酸は含まれないと解するのが相当である」とし,本件明細書の記載からも「『緩衝剤という用語』について,『オキサリプラチン溶液を安定化し,それにより望ましくない不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得るあらゆる酸性または塩基性剤を意味する。』(【0022】)として,これを定義付ける記載があり,上記の『剤』の一般的意義に照らしても,『緩衝剤』について,『緩衝作用を有する薬』を意味するものと理解することは,本件明細書の記載にも整合する」とした上で,「『緩衝剤の量』について,『オキサリプラチン溶液組成物の作製時に,オキサリプラチン及び担体に添加,混合された緩衝剤の量を意味し,オキサリプラチン溶液組成物中のオキサリプラチンが経時的に分解することで生じたシュウ酸の量は,当該『緩衝剤の量』に含まれない』とする本件審決の認定に誤りはない」と判断した。その結果,裁判所は,本件医薬品においては,オキサリプラチンと注射用水のみを成分とし,その他の添加物はないことを認定し,本件医薬品は,本件各発明の実施に当たらないために,特許発明の実施に本件処分を受けることが必要であったとは認められないと判断した。
 原告は,オキサリプラチンから遊離したシュウ酸が緩衝剤としての役割を果たすと主張するなどしたが,一般に,有効成分である化合物が水溶液中で分解した場合に,当該分解物を「緩衝剤」と称するというような技術常識があると認めるべき証拠もないとして,排除された。
 本件は,事例判決であるものの,延長登録が否定された事案として,参考になると思われる。

弁護士 宅間仁志