【令和3年10月29日判決(東京地裁 平成31年(ワ)第7038号・第9618号)】
【ポイント】
公然実施による特許無効の抗弁が認められた事案
【キーワード】
特許法29条
特許法104条の3
公然実施
第1 事案
原告は、被告らに対して、被告らの製品が原告の有する特許権に係る発明の技術的範囲に属するとして、損害賠償請求等を求めた。
これに対して、被告らは、被告ら及び訴外第三者が本件特許出願前から、本件特許発明の技術的範囲に属する製品を製造販売していたので、本件各発明が公然と実施されていたことから、本件発明は公然実施により無効であると反論したところ、裁判所が公然実施による特許無効の抗弁が認めた事案である。
なお、被告らは、公然実施による特許無効の抗弁の他に、先行文献による新規性欠如や先使用権の抗弁等を主張したが、公然実施による特許無効の抗弁が認められたので、当該抗弁等については判断されなかった。
以下では、公然実施による特許無効の抗弁について述べる。
第2 判旨(裁判所の判断)(*下線等は筆者)
3 争点2-6(公然実施に基づく新規性欠如)について
(省略)
(2) 公然実施該当性
ア 判断基準について
法29条1項2号にいう「公然実施」とは、発明の内容を不特定多数の者が知り得る状況でその発明が実施されることをいい、本件各発明のような物の発明の場合には、商品が不特定多数の者に販売され、かつ、当業者がその商品を外部から観察しただけで発明の内容を知り得る場合はもちろん、外部からそれを知ることができなくても、当業者がその商品を通常の方法で分解、分析することによって知ることができる場合も公然実施となると解するのが相当である。
イ 被告伊藤について
(ア) サンプルのRate(3R)
a 前記(1)ア(イ)のとおり、被告伊藤が保管していた被告製品A9及び10の各サンプルのRate(3R)は、サンプル結果〈1〉のとおりであるところ、証拠(乙A8、40、41)及び弁論の全趣旨によれば、上記各サンプルは、「EC500」及び「Lot 120202」と記載された袋並びに「EC300」及び「Lot 130930」と記載された袋から取り出されたものであること、被告伊藤においては、黒鉛製品のロット番号を、製造開始日を6桁の数字で表示していたことが認められることからすると、上記各サンプルは、平成24年2月2日に製造された被告製品A9のサンプル及び平成25年9月30日に製造された被告製品A10のサンプルであると認めるのが相当である。
b 被告製品A9に係るサンプル結果〈1〉については、同じ製品であるにもかかわらず、算出されたRate(3R)にかなりのばらつきがあること、サンプル結果〈1〉の回折プロファイルにおいて、菱面晶系黒鉛層(3R)の(101)面及び六方晶系黒鉛層(2H)の(101)面の各ピークが出現するとされる回折線の角度43ないし44°付近のピークは必ずしも明瞭ではないこと、前記2(1)ウ(イ)のとおり、PDXLは、ピークが不明瞭な場合、自動解析機能によっては不合理な解に収束したり、解が発散したりすることがあり、このような場合、試料を考慮した解析条件を手動で入力する必要があることからすると、被告製品A9のサンプルのRate(3R)について、サンプル結果〈1〉は採用することができないというべきである。
他方で、被告製品A10に係るサンプル結果〈1〉については、複数回算出したRate(3R)にばらつきがほとんどなく、回折プロファイルにおける回折線の角度43ないし44°付近のピークは必ずしも明瞭ではないものの、このような場合に、PDXLの自動解析機能を使用して得られた解が常に誤っていることを認めるに足りる証拠はないことからすると、被告製品A10のサンプルのRate(3R)について、サンプル結果〈1〉を一応採用することができるというべきである。
(イ) 被告伊藤が本件特許出願前から本件各発明の技術的範囲に属する被告製品Aを製造販売していたか
本件各明細書には、「真空または気中において天然黒鉛材料にマイクロ波、ミリ波、プラズマ、電磁誘導加熱(IH)、磁場などの電波的力による処理とボールミル、ジェットミル、遠心力、超臨界などの物理的力による処理とを併用することで、菱面晶系黒鉛層(3R)がより多く含まれる黒鉛系炭素素材が得られる。」(【0011】)との記載があり、証拠(甲A4、乙A7、16、24、47、122)によれば、黒鉛を粉砕したり、黒鉛に熱を加えたりすることによって、当該黒鉛中の結晶のうち菱面晶系黒鉛層が増加することが認められるところ、これらの要素のほとんどは、黒鉛製品の製造工程及び製造された製品が満たすべき規格に関わるといえるが、具体的に、どのような条件の下、どのような操作をすることにより、単に菱面晶系黒鉛層が増加するだけでなく、六方晶系黒鉛層との総和における菱面晶系黒鉛層の割合であるRate(3R)がどの程度変動するかは、本件全証拠によっても確定することができない。
そして、前記(1)ア(ア)のとおり、被告伊藤は、本件特許出願前から、被告製品Aの各名称を付した黒鉛製品を製造販売しており、被告製品A2ないし11については、本件特許出願前から現在に至るまで、その製造工程及び出荷の基準となる規格値に変更はなく、被告製品A1についても、粒度の規格値が●(省略)●と改訂されたが、従前の規格値を限定した内容になっており、そのほかの変更はない。
また、前記2(1)エ(ア)のとおり、原告が甲A5結果を得た被告製品Aは、平成30年6ないし8月頃に被告伊藤が販売していたものであり、平成26年9月9日の本件特許出願(前記前提事実(2))からそれほど長い年月が経過しているものとはいえない。
以上によれば、被告伊藤は、本件特許出願前から現在に至るまで、被告製品Aの各名称を付した黒鉛製品を製造販売しており、この間、菱面晶系黒鉛層の増減に影響を与えると考えられるこれらの製品の製造工程及び規格値にほぼ変更はないことから、この間に製造販売された被告製品Aは、同じ製造工程を経て、同じ規格を満たすものであると認められる。そして、他にこれらの製品に対してRate(3R)の増減に影響を及ぼす事情が存したとは認められず、前記2のとおり、現時点において、被告製品A1ないし3は本件発明1の、被告製品A4ないし11は本件各発明の各技術的範囲に属する。これらの事情に照らせば、被告伊藤は、本件特許出願前から、被告製品A1ないし3については本件発明1の、被告製品A4ないし11については本件各発明の各技術的範囲に属する被告製品Aを製造販売していたと認めるのが相当である。
なお、被告製品A10に係るサンプル結果〈1〉は、乙A9結果と近接している。前記2(2)イ(ア)のとおり、乙A9結果は、被告製品A10のRate(3R)を示すものとしては採用することはできないが、乙A9結果、サンプル結果〈1〉のいずれも、適宜の解析条件を手動で入力することなく、PDXLの自動解析機能により得たものであることからすると、これらのRate(3R)が近接していることは、被告伊藤が本件特許出願前から本件各発明の技術的範囲に属する被告製品A10を製造販売していたという上記認定と矛盾しないといえる。
(省略)
カ 小括
以上によれば、本件特許出願前から、被告伊藤は、本件発明1の技術的範囲に属する被告製品A1ないし3及び本件各発明の技術的範囲に属する被告製品A4ないし11を、被告西村は、本件各発明の技術的範囲に属する被告製品B1及び本件発明1の技術的範囲に属する被告製品B2を、日本黒鉛らは、本件各発明の技術的範囲に属する日本黒鉛製品1ないし3並びに本件発明1の技術的範囲に属する日本黒鉛製品4及び5を、中越黒鉛は、本件発明1の技術的範囲に属する中越黒鉛製品1及び2並びに本件各発明の技術的範囲に属する中越黒鉛製品3をそれぞれ製造販売していたものである。
そして、前記2(1)イのとおり、本件特許出願当時、当業者は、物質の結晶構造を解明するためにX線回折法による測定をし、これにより得られた回折プロファイルを解析することによって、ピークの面積(積分強度)を算出することは可能であったから、上記製品を購入した当業者は、これを分析及び解析することにより、本件各発明の内容を知ることができたと認めるのが相当である。
したがって、本件各発明は、その特許出願前に日本国内において公然実施をされたものであるから、本件各特許は、法104条の3、29条1項2号により、いずれも無効というべきである。
(3) 原告の主張について
ア 原告は、被告ら、日本黒鉛ら及び中越黒鉛の取引の相手方は秘密保持義務を負っていたから、本件特許出願前に本件各発明が公然と実施されたとはいえないと主張する。
しかし、証人Zは、日本黒鉛工業が黒鉛製品を販売するに当たり、購入者に対して当該製品の分析をしてはならないとか、分析した結果を第三者に口外してならないなどの条件を付したことはないと証言するところ、この証言内容に反する具体的な事情は見当たらない。また、被告ら、日本黒鉛ら及び中越黒鉛が、その全ての取引先との間で、黒鉛製品を分析してはならないことや分析結果を第三者に口外してはならないことを合意していたことをうかがわせる事情はない。
取引基本契約書(甲A82)には「甲および乙は、本契約および個別契約の履行により知り得た相手方の技術情報および営業上の秘密情報(目的物の評価・検討中に知り得た秘密情報を含む)を、本契約の有効期間中および本契約終了後3年間、秘密に保持し、相手方の書面による承諾を得ることなく第三者に開示または漏洩せず、また本契約および個別契約の履行の目的以外に使用しないものとする。」(38条)との記載が、機密保持契約書(甲A95)には「受領者は、開示者の書面による承諾を事前に得ることなく、機密情報を第三者に開示または漏洩してはならない。」(3条1項)との記載が、日本黒鉛商事が当事者となった取引基本契約書(乙A123)には「甲および乙は、相互に取引関係を通じて知り得た相手方の業務上の機密を、相手方の書面による承諾を得ないで第三者に開示もしくは漏洩してはならない。」(9条)との記載が、それぞれ存することが認められる。しかし、「相手方の技術情報および営業上の秘密情報(目的物の評価・検討中に知り得た秘密情報を含む)」、「機密情報」及び「相手方の業務上の機密」に、購入した製品のRate(3R)が含まれるかは明らかではないし、黒鉛製品をX線回折法による測定により得られた回折プロファイル、さらにはこれを解析して得た積分強度が、秘密として管理されてきたことや有用な情報であることをうかがわせる事情は見当たらない。
したがって、本件特許出願当時、製造販売されていた被告製品A、被告製品B1及び2、日本黒鉛各製品並びに中越黒鉛各製品を分析することについて契約上の妨げがあったとはいえないから、原告の上記主張は採用することができない。
第3 検討
本件は、本件特許出願前から本件特許発明の技術的範囲に属する被告ら及び第三者の製品が製造販売されていたことを理由とした公然実施による特許無効の抗弁が認められた事案である。本件特許の構成要件には「Rate(3R)」という数値に関する数値範囲が記載されているところ、この数値は商品の外部からの観察では把握できず、分析しないと把握できない数値であるため、本件特許出願前に製造販売された公然実施品であると主張される被告製品等において「Rate(3R)」の数値範囲を充足するか(公然実施品と特許発明の同一性)の立証が困難なケースであったため、公然実施の成否が本件における争点になった。
まず、本判決は、公然実施(特許法29条1項2号)の解釈として、「法29条1項2号にいう「公然実施」とは、発明の内容を不特定多数の者が知り得る状況でその発明が実施されることをいい、本件各発明のような物の発明の場合には、商品が不特定多数の者に販売され、かつ、当業者がその商品を外部から観察しただけで発明の内容を知り得る場合はもちろん、外部からそれを知ることができなくても、当業者がその商品を通常の方法で分解、分析することによって知ることができる場合も公然実施となると解するのが相当である。」と判示し、「外部からそれを知ることができなくても、当業者がその商品を通常の方法で分解、分析することによって知ることができる場合も公然実施となる」ことを示した。この規範は、従前の裁判例(知財高判平成28年1月14日・平成27年(行ケ)第10069号等))の規範と同様の内容である。
次に、上記のとおり、本件は、本件特許出願前に製造販売された公然実施品であると主張される被告製品等において、分析しないと分からない「Rate(3R)」の数値範囲を充足するかの立証が困難なケースであった。この点について、上記判決文の「(2)公然実施該当性」「イ」「(イ)」記載のように、本判決は、①現時点において被告製品は、本件発明の技術的範囲に属すること、②被告製品は、本件特許出願前から現在に至るまで、同じ製造工程を経て同じ規格を満たすものであること、③本件特許出願前から現在に至るまで、他に「Rate(3R)」の増減に影響を及ぼす事情が存じたとは認められないことから、当該被告は、本件特許出願前から本件発明の技術的範囲に属する被告製品を製造販売していたことを認めた。
なお、この判旨の直前(「(2)公然実施該当性」「イ」「(ア)」)には、本件特許出願前に製造販売された被告製品(被告製品A10)のサンプルに関する「Rate(3R)」の分析結果(本件特許の構成要件の「Rate(3R)」に関する数値範囲を満たすという結果)が一応採用することができるとしており、この点も、本判決は、上記の結論を支える要素として考えていると考えられる。
このように、本件判決は要するに、公然実施品と特許発明の同一性について、①現時点の製品が本件発明の技術的範囲に属すること、②当該製品が本件特許出願前から現在に至るまで、同じ製造工程を経て同じ規格を満たすものであることから、本件特許出願前の当該製品も本件発明の技術的範囲に属するという論理により、公然実施品と特許発明の同一性を認めており、上記②の事情が必要な特殊なケースではあるが、実務上参考になると考えられる。
また、原告の反論の一つとして、原告は、被告らの取引の相手方は秘密保持義務を負っていたから、本件特許出願前に本件発明が公然と実施されたとはいえないと主張した。しかし、本件判決は、対象製品を分析してはならないことや分析結果を第三者に口外してはならないことを合意していたことをうかがわせる事情はないことや、契約書に秘密保持条項があるとしても、当該条項の秘密情報に「Rate(3R)」が含まれるかは明らかではない等を理由に、原告の上記反論を排斥した。
これを踏まえると、特許出願しようとしている特許の構成要件に分析しないと把握できない数値範囲等がある場合において、特許出願前に実施品を第三者に提供する場合には、新規性を喪失させないために、当該第三者との秘密保持契約書等において当該実施品を分析してはならないことや秘密情報の対象に分析結果も含まれることを明記する必要があるので、この点、留意すべき点であると考える。
以上
弁護士 山崎臨在