【令和4年2月2日(東京地裁 令和2年(ワ)19923号・令和2年(ワ)22292号)】
【キーワード】
特許権侵害,包袋禁反言,出願経過,
【事案の概要】
原告は,米国の法人であり,次の特許に係る特許権(以下「本件特許権」という。)の特許権者である。
なお,原告は,ファイザー株式会社に対し,本件特許権に係る専用実施権を設定しており,同社は,神経障害性疼痛及び線維筋痛症に伴う疼痛の治療薬である先発医薬品(商品名:リリカカプセル,リリカOD錠)を販売している。
発明の名称:イソブチルGABAまたはその誘導体を含有する鎮痛剤
特許番号:特許第3693258号
出願番号:特願平10-507062号
出願日:1997年7月16日
優先日:1996年7月24日
登録日:2005年7月1日
被告らは,ジェネリック医薬品の製造,販売等を業とする会社である。
原告は,被告らの販売する医薬品が本件特許の特許請求の範囲の請求項1ないし4記載の各発明の技術的範囲に属し,被告らによる被告医薬品の製造等が上記各発明の実施に当たると主張し,特許法100条1項に基づき被告医薬品の販売及び販売の申出の差止及び特許法100条2項に基づき被告医薬品の廃棄を求めた。
【争点】
・被告医薬品が本件発明の技術的範囲に属するか
(請求項3に係る発明(本件発明3)と請求項4に係る発明(本件発明4)のみ取り上げる。)
【本件特許にかかる経緯】
1997年7月16日 特許出願
2005年7月1日 特許権の設定登録
2017年1月16日 特許無効審判請求(無効2017-800003号)
2019年2月28日 審決の予告(以下「本件審決予告」という。)
2019年7月1日 訂正請求(以下「本件訂正」という。)
なお,請求項3及び4に係る部分の訂正は認められ,その後確定。
2020年7月14日 審決(以下「本件審決」という。)
2020年8月17日 被告1が被告医薬品の製造販売について厚生労働大臣の承認を受ける
2020年11月19日 審決取消訴訟の提起
【特許請求の範囲】
●本件発明3について
(訂正前)
3A’ 化合物が,(S)-3-(アミノメチル)-5-メチルヘキサン酸または3-アミノメチル-5-メチルヘキサン酸である請求項1記載の
3C 鎮痛剤。
(訂正後・訂正箇所は下線部)(本件発明3)
3A (S)-3-(アミノメチル)-5-メチルヘキサン酸または3-アミノメチル-5-メチルヘキサン酸を含有する,
3B 炎症を原因とする痛み,又は手術を原因とする痛みの処置における
3C 鎮痛剤。
●本件発明4について
(訂正前)
4B’ 痛みが炎症性疼痛,神経障害による痛み,癌による痛み,術後疼痛,幻想肢痛,火傷痛,痛風の痛み,骨関節炎の痛み,三叉神経痛の痛み,急性ヘルペスおよびヘルペス後の痛み,カウザルギーの痛み,特発性の痛み,または線維筋痛症である請求項1記載の
4C 鎮痛剤。
(訂正後・訂正箇所は下線部)(本件発明4)
4A 式I
(式中,R1は炭素原子1〜6個の直鎖状または分枝状アルキルであり,R2は水素またはメチルであり,R3は水素,メチルまたはカルボキシルである)の化合物またはその医薬的に許容される塩,ジアステレオマー,もしくはエナンチオマーを含有する,
4B 炎症性疼痛による痛覚過敏の痛み,又は術後疼痛による痛覚過敏若しくは接触異痛の痛みの処置における
4C 鎮痛剤。
【判決一部抜粋】(下線は筆者による。)
第1・第2(省略)
第3 争点に関する当事者の主張
1 (省略)
2 本件発明3及び4について
(1) 争点2-1(文言侵害の成否)について
(原告の主張)
ア 被告医薬品の構成要件3Bの充足性
(ア)・(イ) (省略)
(ウ) 神経障害性疼痛及び線維筋痛症に伴う疼痛が本件訂正により除外されていないこと
原告が本件無効審判事件と本件訴訟事件とで矛盾する主張をした場合には,禁反言の法理(無効審判における訂正の経緯に基づき,発明の技術的範囲を限定するような他の法理を含む。)が適用される可能性があるものの,原告は,本件訂正の前後を問わず,カラゲニン試験や術後疼痛試験により神経障害性疼痛や線維筋痛症に伴う疼痛に対する本件化合物の効果を確認することができることを一貫して主張している。
本件審決予告は,カラゲニン試験や術後疼痛試験により本件化合物の効果が確かめられたこと及び炎症や手術を原因とする痛み以外の部分について本件化合物の効果を確認することができないことを述べているにすぎず,神経障害性疼痛や線維筋痛症に伴う疼痛のうち,カラゲニン試験や術後疼痛試験の痛みに含まれる部分についてまで,本件化合物の効果を確認することができないとは判断していないし,カラゲニン試験や術後疼痛試験における痛みが神経障害性疼痛や線維筋痛症に伴う疼痛と重複しないとも判断していない。したがって,本件審決予告の判断に基づき,禁反言の法理が成立する余地はない。
さらに,原告は,請求項4に係る本件訂正により,「神経障害による痛み」及び「線維筋痛症」(構成要件4B’)の記載を削除したが,・・・構成要件4B’記載の痛みは相互に重複するものであるから,上記訂正により,神経障害性疼痛や線維筋痛症に伴う疼痛が本件発明4の技術的範囲から除外されることはないし,本件発明4について除外されない以上,本件発明3の技術的範囲から除外されることもない。
仮に,本件発明3の技術的範囲が侵害受容性疼痛に限られるとしても,前記(イ)a のとおり,神経障害性疼痛及び線維筋痛症に伴う疼痛は,侵害受容性疼痛との混合性疼痛であるから,本件訂正の経緯にかかわらず,被告医薬品の鎮痛の対象は,本件発明3の「炎症を原因とする痛み,又は手術を原因とする痛み」に該当する。
・・(省略)・・
⑵・⑶ (省略)
第4 当裁判所の判断
1・2 (省略)
3 本件発明3及び4について
(1) 争点2-1(文言侵害の成否)について
ア 被告医薬品の構成要件3Bの充足性について
(ア)・(イ) (省略)
(ウ) 構成要件3Bの充足性
a 前記(ア)の本件発明3に係る特許請求の範囲及び本件明細書の記載を総合すると,構成要件3Bの「炎症を原因とする痛み」及び「手術を原因とする痛み」とは,それぞれ本件明細書における「炎症性疼痛」及び「術後疼痛」を意味するものと理解できる。
そして,前記(ア)bのとおり,本件明細書には,構成要件3Aを充足する「CI-1008」及び「S-(+)-3-イソブチルギャバ」について,ホルマリン試験,カラゲニン試験及び術後疼痛試験において鎮痛効果があったことが記載されているところ,前記2(1)ウないしオのとおり,ホルマリン試験,カラゲニン試験及び術後疼痛試験は侵害受容性疼痛としての痛覚過敏,接触異痛等に対する鎮痛効果を検証するための試験であることが本件出願当時の技術常識であった。そうすると,上記の記載から,本件明細書において動物モデル試験により本件化合物の鎮痛効果が検証されたのは,侵害受容性疼痛のみであったと理解できる。
さらに,前記(イ)のとおり,本件審決予告において,痛みには本件訂正前発明 4記載の各痛みを含む種々のものがあり,鎮痛剤であればあらゆる種類の痛みに有効であるというわけではないところ,本件明細書からは「炎症性疼痛」及び「術後疼痛」以外の本件訂正前発明4記載の各痛みに対して鎮痛効果を有することを認識することはできないと指摘されたことを受けて,原告は,本件訂正を行い,鎮痛剤の処置対象となる痛みを本件審決予告において実施可能要件及びサポート要件を満たすと判断された「炎症を原因とする痛み(炎症性疼痛)」及び「手術を原因とする痛み(術後疼痛)」に限定したと説明したものである。
以上の本件発明3に係る特許請求の範囲及び本件明細書の記載の解釈並びに本件訂正の経緯等によれば,構成要件3Bの「炎症を原因とする痛み」及び「手術を原因とする痛み」とは,侵害受容性疼痛である炎症性疼痛及び術後疼痛を意味し,これら以外の痛みを含むものではないと解するのが相当である。
b (省略)
(エ) 原告の主張について
a・b (省略)
c 原告は,① 本件訂正の前後を問わず,カラゲニン試験や術後疼痛試験により神経障害性疼痛や線維筋痛症に伴う疼痛に対する本件化合物の効果を確認することができると一貫して主張してきたものであり,② 本件審決予告は,神経障害性疼痛や線維筋痛症に伴う疼痛のうちカラゲニン試験や術後疼痛試験の痛みに含まれる部分についてまで本件化合物の効果を確認することができないとまでは判断していないと主張する。
しかし,上記①について,証拠(甲18,19)によれば,原告は,本件訂正後も,カラゲニン試験や術後疼痛試験により,本件化合物が神経障害性疼痛や線維筋痛症に伴う疼痛に対して鎮痛効果を有することを確認することができるなどと主張していることが認められるが,前記前提事実(3)のとおり,請求項1及び2に係る本件訂正においては,請求項3及び4に係る本件訂正とは異なり,鎮痛の対象を「痛覚過敏又は接触異痛の痛み」及び「神経障害又は線維筋痛症による,痛覚過敏又は接触異痛の痛み」としていたものである。そして,前記(イ)のとおり,本件審決予告は,本件明細書に記載されたカラゲニン試験及び術後疼痛試験の結果を見た当業者は,炎症性疼痛及び術後疼痛の処置において鎮痛効果を有すると認識し,これら以外の痛みの処置において鎮痛効果を有すると認識することはできないから,本件特許には実施可能要件違反及びサポート要件違反が認められると指摘し,これを受けて,原告は,請求項3及び4に係る本件訂正を行い,これによって請求項3及び4の「痛み」を本件審決予告において実施可能要件及びサポート要件を満たすと判断された「炎症を原因とする痛み(炎症性疼痛)」及び「手術を原因とする痛み(術後疼痛)」に限定するものであると説明した。そうすると,請求項3及び4との関係においては,原告は,本件化合物の鎮痛の対象を「炎症を原因とする痛み(炎症性疼痛)」及び「手術を原因とする痛み(術後疼痛)」に限定する意図であったと認めるのが相当である。
また,上記②については,本件審決予告における上記の指摘に照らし,本件審決予告が神経障害性疼痛や線維筋痛症に伴う疼痛のうちカラゲニン試験及び術後疼痛試験により鎮痛効果を確認することができる部分が存在することを前提としていないことは明らかである。
したがって,原告の上記各主張はいずれも採用することができない。
・・(以下,省略)・・
【検討】
1 包袋禁反言の法理
包袋禁反言の法理とは
包袋禁反言の法理とは,特許権者がその出願過程での特許異議答弁書,無効審判中の答弁書等において特許請求の範囲の記載の意義を限定するなどの陳述を行い,それが特許庁審査官ないし審判官に受け容れられて特許を付与された場合であって,かつ,当該陳述を行わなければ特許出願につき拒絶査定を受けた可能性が高く,特許権者においてかかる陳述をする必要性があったものと客観的に認められる場合,第三者は,特許権者の当該陳述は特許出願に係る発明が特許を受けるために不可欠な事項と理解し,特許権者による当該陳述により特許請求の範囲が限定されたものと理解するため,当該第三者の信頼を保護するために,信義則ないし禁反言の法理により,侵害訴訟の場において特許権者に当該陳述と矛盾する主張が制限される,というものである。
ただし,たとえ特許権者が権利過程でおこなった陳述であっても,特許異議申立人主張の公知技術(いわゆる引用例)との関係で新規性又は進歩性を欠くとの異議事由を排斥するのに全く必要がなかったとか不必要な範囲まで限定を加えるものであったという場合などには,当該陳述に対する第三者の信頼はいまだこれを保護しなければならない合理的な信頼であると評価することが困難であるため,包袋禁反言の法理は適用されない(大阪地判平成8年9月26日平6(ワ)2090号)。
つまり,包袋禁反言の法理の適用に当たっては,保護しなければならない第三者の信頼が存在するかという点が重視されるといえる。
2 本件の検討
本件では,訴訟提起前の無効審判において原告が行った訂正請求に関する主張についての包袋禁反言の法理の適用に関しての判断が行われている。
すなわち,原告は,訂正請求により限定された請求項の範囲について,審決予告にて判断されていない「侵害受容性鈍痛」の点まで限定されるものではない旨を主張したが,裁判所は,審決予告の前提は異なるとして,原告の訂正請求により「侵害受容性鈍痛」の点まで限定されると判示した。
本件では,「ホルマリン試験,カラゲニン試験及び術後疼痛試験は侵害受容性疼痛としての痛覚過敏,接触異痛等に対する鎮痛効果を検証するための試験であることが本件出願当時の技術常識」であり,「本件明細書において動物モデル試験により本件化合物の鎮痛効果が検証されたのは,侵害受容性疼痛のみであった」という事情があったところ,審決予告が当該技術常識と異なる内容を判示していないため,当該技術常識を前提としたものと解して,審決予告に明示がなくとも,原告の訂正請求をみた第三者は「侵害受容性鈍痛」まで限定されたと信頼するものとして,上記判示を行ったものと考える。
包袋禁反言の法理によって出願経過における主張により限定される内容は,意見書等や当該意見書等の対象となる審決予告等に明示がなくとも,当時の技術常識を踏まえて判断されるべきことを示した裁判例と考える。
以上
弁護士 市橋景子