【令和4年1月20日(大阪地裁 令和2年(ワ)3481号)】

【事案の概要】

 本件は、原告の元従業員である被告P1が、不正の手段により原告の営業秘密である原告の見積情報を取得し、使用し、被告P1が代表者である被告株式会社ゴトウ(以下「被告ゴトウ」という。)に開示し、被告ゴトウが、これを知って被告P1から原告の営業秘密を取得し、使用した行為がそれぞれ不正競争(不正競争防止法(以下「法」という。)2条1項4号、5号)に当たる、又は、被告P1が、原告から示された営業秘密を不正の利益を得る目的もしくは原告に損害を加える目的で、使用し、被告ゴトウに開示し、被告ゴトウが図利加害目的もしくは法的義務違反があることを知りながら被告P1から原告の営業秘密を取得し、使用した行為が不正競争(法2条1項7号、8号)に当たるとして、原告が、被告らに対し、法4条に基づき、1964万3112円の損害賠償及びこれに対する訴状送達の日の翌日(令和2年5月13日)から支払済みまで年3%の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

【判決文抜粋】(下線は筆者)

主文

1 原告の請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1 請求

  被告らは、原告に対し、連帯して、1964万3112円及びこれに対する令和2年5月13日から支払済みまで年3%の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要

(中略)

第3 当裁判所の判断

 1 秘密管理性の有無(争点1-1)について

  (1) 当事者間に争いのない事実、証拠(甲3~10、乙1~12、18~22、原告代表者、被告P1。なお、枝番号のある証拠は、特に示さない限り、全ての枝番号を含む。以下同じ。)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

  ア 原告の組織体制

  本件見積書作成当時から被告P1が原告を解雇されるまでの間の原告の組織体制は、以下のとおりであった。

  (ア) 本社

  所属員:原告代表者、取締役1名、事務員1名、職人1名、トラック運転手1名(合計5名)

  (イ) 西脇支社

  所属員:被告P1、従業員2名(合計3名)

  イ 原告における見積書の作成手順

  本件見積書作成当時から被告P1が原告を解雇されるまでの間の原告における見積書の作成手順は、以下のとおりであった。

  (ア) 本社に直接見積依頼があった場合

  発注業者が直接本社に工事項目、図面等を示して見積依頼をし、本社において原告代表者が見積書を作成し、押印の上、本社から直接発注業者に見積書を送付する。本件見積書5はこの方法で作成、送付されたが、原告代表者は、参考として被告P1にもそのデータをメール送信した。

  (イ) 西脇支社に見積依頼があった場合

  発注業者が西脇支社に工事項目、図面等を示して見積依頼をし、被告P1はこれを本社に報告し、本社において原告代表者が見積書を作成し、原告代表者又は事務員から被告P1がメールで見積書のデータを受け取る。被告P1が必要に応じて見積書のデータを編集し、見積金額等を変更することもある。その上で、被告P1は、西脇支社として、これをプリントアウトし、押印して見積書を完成し、発注業者に送付する。本件見積書1~4は、この方法で作成された。

  なお、公共工事情報等から本社が西脇支社に営業勧誘を指示した結果、発注者から西脇支社に見積依頼された場合も、見積依頼後の流れは同様である。

  ウ 本件顧客情報及び本件価格情報の管理方法

  (ア) 営業秘密であることの表示

  本件見積書には、それ自体ないしその記載に係る情報が営業秘密である旨の表示はない。

  (イ) データへのアクセス制限

  本件見積書のデータは、原告本社においては、原告代表者、取締役(原告代表者の妻)及び事務員がアクセス可能なコンピュータに保存される。しかし、コンピュータにはパスワードが設定されていたものの、本件見積書のデータファイルにはパスワードは設定されていなかった。

  本件見積書のデータは西脇支社のコンピュータに電子メールで送信されたが、その際、データファイルにパスワードは設定されていなかった。他方、当該データを保存した西脇支社のコンピュータにはログインパスワードが設定されていたところ、被告P1はこれを知っていた。また、同人を除く西脇支社の従業員については、当該コンピュータの使用ないしパスワード情報の管理に関する規制の有無は定かでなく、少なくとも何らかの規制が確実に実施されていたことをうかがわせる事情は見当たらない。

  (ウ) 原告の秘密保持に関する規定その他の秘密漏洩防止措置

  原告の就業規則には、本件見積書を含む原告の見積書記載の情報に係る秘密保持を義務付ける規定はない。また、原告と被告P1との間でそのような情報に係る秘密保持契約は締結されておらず、原告が被告P1から秘密保持に関する誓約書等の書面を取り付けたこともない。

  原告において、被告P1に対し、見積書記載の情報が営業秘密であることや本件顧客情報及び本件価格情報が営業秘密であることに関する注意喚起、見積書の取扱いに関する研修等の教育的措置が行われたこともない。

  加えて、原告は、発注業者との間で、本件見積書の内容について秘密保持契約を締結していない。

  他方、本件見積書のデータ管理については、原告は、本社のコンピュータにデータを残していたところ、西脇支社におけるデータの保存、管理について特段の定めや指示をしておらず、本件見積書の依頼者に対する提出後、被告P1に対し、本件見積書のデータの削除を命じたこともなかった。

  (2) 検討

  ア 「営業秘密」(法2条6項)といえるためには、当該情報が秘密として管理されていることを要するところ、秘密として管理されているといえるためには、秘密としての管理方法が適切であって、管理の意思が客観的に認識可能であることを要すると解される。

  これを本件見積書記載の情報について見るに、前記各認定事実のとおり、本件見積書には営業秘密である旨の表示がなく、そのデータにはパスワード等のアクセス制限措置が施されていなかった。また、原告において、業務上の秘密保持に関する就業規則の規定はなく、被告P1との間で見積書の内容に関する秘密保持契約等も締結等していなかった。原告は、発注者との間においても見積書の内容に関する秘密保持契約を締結していなかった。さらに、原告は、見積書記載の情報が営業秘密であることなどの注意喚起も、その取扱いに関する研修等の教育的措置も行っていなかった。本件見積書のデータ管理の点でも、原告は、見積書の使用後にデータを西脇支社のコンピュータから削除するよう指示しなかった。

  このような本件顧客情報及び本件価格情報その他本件見積書記載の情報の管理状況に鑑みると、当該情報は、原告の企業規模等の具体的状況を考慮しても、原告において、特別な費用を要さずに容易に採り得る最低限の秘密管理措置すら採られておらず、適切に秘密として管理されていたとはいえず、また、秘密として管理されていると客観的に認識可能な状態にあったとはいえない。

  したがって、本件見積書記載の情報は秘密として管理されていたとはいえない。

  イ 原告は、本件見積書記載の情報につき、原告代表者が一元的に管理し、その了承がなければ従業員や外部業者に対して明らかにされないから、秘密として管理されていたと主張する。

  しかし、前記認定のとおり、本件見積書の各データは、パスワードによる保護等の措置のないままに、発注者に交付されるべきもの又は参考として被告P1にメールにより送信されたものであり、その使用後も、情報漏洩を防止する何らの措置も採られなかったことなどに鑑みると、これらの情報は、いずれも秘密として適切に管理されているとはいえず、秘密として管理されていると客観的に認識可能な状態であったともいえない。

  その他原告が縷々指摘する事情を考慮しても、この点に関する原告の主張は採用できない。

  ウ そうすると、その余の点について検討するまでもなく、本件顧客情報及び本件価格情報は、「営業秘密」に該当しない。

 2 不正競争該当性(争点2)及び損害の発生(争点3)について

  事案に鑑み、不正競争該当性及び損害の発生についても検討するに、以下のとおり、被告らの行為は不正競争に該当するとはいえず、また、その結果として原告が工事を受注できなかったとも認められない。

  (1) 法2条1項4号及び5号の不正競争該当性

  本件見積書1~4は、原告の取引先から見積依頼を受けて作成され、西脇支社で完成させて取引先に送付するために、担当者である被告P1にデータが送信されたものである。また、本件見積書5は、原告代表者が参考として被告P1にデータを送信したものである。そうである以上、これらのデータの取得は、いずれも被告P1の不正の手段によって行われた行為とはいえず、そのような行為により取得した情報の使用又は開示行為もあり得ない。したがって、被告P1による不正取得行為(法2条1項4号)は認められない。

  そうすると、被告P1に不正取得行為が認められない以上、これを前提とする被告ゴトウによる営業秘密の使用等(法2条1項5号)も認められない。

  したがって、この点に関する原告の主張は採用できない。

  (2) 法2条1項7号及び8号の不正競争該当性

  ア 本件顧客情報について

  証拠(甲4、6、8、乙1~12、18~22)によれば、被告ゴトウと被告ゴトウに見積依頼した業者との間で作成された書面には、本件顧客情報の記載はない。被告ゴトウが、被告ゴトウに見積依頼した業者に対して、被告ゴトウ名義の見積書に加えて本件見積書を開示するなど、被告らが本件顧客情報を使用又は開示したことを認めるに足りる証拠もない。

  イ 本件価格情報について

  (ア) 本件価格情報1

  証拠(乙1、16~18、被告P1)によれば、対象工事1に係る平成29年3月7日の開札の結果、原告が本件見積書1を提出した平尾工務店ではなく和以貴建設が対象工事1を落札したこと、同年5月17日付け及び平成30年7月10日付けで、被告ゴトウが和以貴建設に対し合計金額を同じくする見積書(乙1、18)を発行したことが認められる。本件価格情報1と被告ゴトウの上記各見積書の各単価を比較すると、いずれの項目においても後者の方が低額であるものの、これをもって直ちに、和以貴建設の落札後に見積りをした被告らが本件価格情報1を使用又は開示したことを裏付けるものとは必ずしも認められない。

  なお、平成29年5月24日付け注文書(乙2)によれば、和以貴建設の被告ゴトウに対する注文金額は1200万円(税込)であるところ、これは被告ゴトウ作成の上記各見積書にそれぞれ記載された合計金額1221万9800円より更に廉価であり、同月13日発行に係る見積書に基づくものとされている。

  (イ) 本件価格情報2

  証拠(乙3、15、被告P1)によれば、対象工事2に係る平成30年2月16日の入札の結果、原告が本件見積書2を提出した但南建設(但南建設・フジタ組共同企業体)ではなく森津・向井経常建設共同企業体が同対象を落札し、被告ゴトウが垣本建設工業に対し同工事に係る同年3月30日付け見積書(乙3)を発行したこと、垣本建設工業が被告ゴトウに対し同日付け工事注文書(乙4)により同工事に係る型枠工事を上記見積書記載の見積金額と同額で発注したことが認められる。本件価格情報2と被告ゴトウの上記見積書の各単価を比較すると、数項目を除き後者の方が低額であるものの、これをもって直ちに、被告らが本件価格情報2を使用又は開示したとは認められない。むしろ、上記工事注文書によれば、発注に係る型枠工事の「品種・寸法」は「平成30年1月12日見積書による」とされているところ、その日付は本件見積書2の作成日である平成30年2月2日に先立つものであることに鑑みると、同年3月30日付けのもののほかに被告ゴトウ作成に係る「平成30年1月12日見積書」が存在し、これは、本件見積書2とは無関係に作成されたものである蓋然性が相当程度あるものと見られる。

  (ウ) 本件価格情報3

  証拠(乙5~7、22、被告P1)及び弁論の全趣旨によれば、対象工事3について、原告は上山建設に平成30年5月22日付けの本件見積書3を提出し、被告ゴトウは和以貴建設に同日付け見積書(乙22)を提出したこと、同工事については入札が成立せず、和以貴建設が後に随意契約で受注し、和以貴建設の依頼を受けた被告ゴトウが和以貴建設に対し平成30年6月20日付け見積書を発行したことが認められる。被告ゴトウの平成30年6月20日付け見積書の詳細な内容やこれと和以貴建設の被告ゴトウに対する注文書3通(乙5~7)との対応関係は不詳であるが、上記注文書3通に係る注文金額の合計額は、本件見積書3の見積金額より低額である。もっとも、これをもって直ちに、被告らが本件価格情報3を使用又は開示したとは必ずしも認められない。

  (エ) 本件価格情報4

  対象工事4については、本件見積書4及び作成名義を除きこれと同一内容の被告ゴトウ作成の見積書(甲8)があるものの、原告代表者の供述を含め、対象工事4が実際に行われ、これを被告ゴトウが受注したことを認めるに足りる証拠はない。そうである以上、被告ゴトウが本件価格情報4を使用して同工事を受注したとは認められず、また、原告が同工事を受注する機会を失ったともいえない。

  (オ) 本件価格情報5

  証拠(乙8、被告P1)及び弁論の全趣旨によれば、対象工事5について、原告がオオイシに対し令和元年8月19日付けの本件見積書5を提出する一方で、オオイシの元請であるヨネダは、被告ゴトウに対し、同年9月13日付け注文書(乙8)により同工事の型枠工事を発注したことが認められる。見積りなしに工事の発注が行われることは一般に考え難いことに鑑みると、被告ゴトウは、ヨネダに対し、同日以前に見積書を発行したこと、その見積額は注文金額である583万2000円(税込)を少なくとも下回らないことが高度の蓋然性をもって推認される。そうすると、上記見積書記載の見積額は本件見積書5の見積額より低額である可能性が少なくない。もっとも、仮にそうであったとしても、それをもって直ちに、被告らが本件価格情報5を使用又は開示したとは必ずしも認められない。

  (カ) 以上のとおり、被告らが本件価格情報を使用又は開示したと認めることはできない。これに反する原告の主張は採用できない。

  ウ 小括

  したがって、被告らの行為のいずれについても、法2条1項7号及び8号に該当するものとはいえない。

 3 まとめ

  以上より、原告は、被告らに対し、法4条に基づく損害賠償請求権及びその遅延損害金支払請求権を有しない。

第4 結論

  よって、原告の請求はいずれも理由がないから、これを棄却することし、主文のとおり判決する。

【解説】

 本件は、原告の元従業員である被告P1が、不正の手段により原告の営業秘密である原告の見積情報を取得し、被告P1が代表者である被告ゴトウに開示し、被告ゴトウが、これを知って被告P1から原告の営業秘密を取得し、使用した行為等がそれぞれ不正競争に該当するか否かが争われた事案である。

 まず、原告の見積情報が営業秘密といえるかどうかについて、営業秘密の要件の一つである秘密管理性(秘密として管理されていること)が検討された。秘密管理性を満たすためには、秘密としての管理方法が適切であって、管理の意思が客観的に認識可能であることを要する、との規範が示され、当該規範に沿って検討が行われた。

 具体的な検討においては、本件見積書には営業秘密である旨の表示がなく、データにはパスワード等のアクセス制限措置が施されていなかったこと、原告において業務上の秘密保持に関する就業規定がなかったこと、被告P1との間で見積書の内容に関する秘密保持契約を締結していなかったこと、見積書記載の情報が営業秘密であることの注意喚起も、その取扱いに関する研修等の教育的措置も行っていなかったこと、等から、原告の見積情報は、適切に秘密として管理されていたとはいえず、秘密として管理されていると客観的に認識可能な状態にあったとはいえない、と判断され、秘密管理性が否定された。

 不正競争防止法によって差止め等の法的保護を受けるために必要となる最低限の水準の対策を示す「営業秘密管理指針」[1]によれば、秘密管理性要件が満たされるためには、「営業秘密保有企業の秘密管理意思が秘密管理措置によって従業員等に対して明確に示され、当該秘密管理意思に対する従業員等の認識可能性が確保される必要がある」とされていることを踏まえれば、裁判所の判断は妥当であると考える。

 次に、法2条1項4号及び5号の不正競争該当性が検討され、被告P1が原告の見積書の情報を取得したのは不正の手段によって行われた行為といえないので、不正取得行為(法2条1項4号)も、被告P1の不正取得行為を前提とする被告ゴトウによる営業秘密の使用等(法2条1項5号)も認められないと判断された。

 さらに、法2条1項7号及び8号の不正競争該当性が検討され、見積書に係る顧客情報について、被告らが使用又は開示したことを認めるに足りる証拠はなく、見積書に係る価格情報についても、被告ゴトウの見積書の単価の方が原告の見積書に係る価格情報よりも低額である場合も認められるものの、当該価格情報を被告らが使用又は開示したことを裏付けるものとは必ずしも認められない、として、不正競争該当性が否定された。

 判決文で指摘された事実に基づけば、本件の原告における見積情報の管理は、本社において事務を担当し得る者が代表者及び取締役を含めても3名のみという、原告の企業規模を考慮したとしても、営業秘密である旨の表示がなく、アクセス制限等の措置もないといった点からすれば、かなり低水準のものであったと言わざるを得ず、裁判所の全体的な判断は妥当であると考える。

 不正競争防止法上の営業秘密の管理手法は、企業の規模や対象とする情報によって、適切な水準は個別に検討する必要があることが多いが、法的保護を受けるために必要となる最低限の水準の対策については、前述の「営業秘密管理指針」が、営業秘密としての法的保護を受けられる水準を超えて、秘密情報の漏えいを未然に防止するための対策を講ずる場合の参考として、「秘密情報の保護ハンドブック[2]」が、それぞれ経産省により示されている。まず、これらの資料で示された事項を参考にして、営業秘密の管理手法を検討するべきであろう。

以上

弁護士 石橋茂


[1] https://www.meti.go.jp/policy/economy/chizai/chiteki/guideline/h31ts.pdf

[2] https://www.meti.go.jp/policy/economy/chizai/chiteki/pdf/handbook/full.pdf