【令和4年3月18日(名古屋地裁 平成29年(ワ)第427号 不正競争防止法違反被告事件)】

【キーワード】

営業秘密、営業秘密侵害、非公知性、故意、図利加害目的、営業秘密保有者、企業発スタートアップ・ベンチャー

【事案】

 被告人a及びcの2名は、b株式会社(磁気センサの開発、製造及び販売等を行う)の従業員であったが、b社の営業秘密を不正に開示したとして、営業秘密侵害罪(役員等背任罪[i]、不正競争防止法21条1項5号)で起訴された。

 判旨によれば、被告人a、被告人cの経歴、及びにおける本件に関連する事業展開は、以下のとおりである。

H10(1998)年10月頃b社:MI(マグネティックインピーダンス)効果を活用したMIセンサの商品化を目指すプロジェクトを立ち上げ
H11(1999)年3月b社:JSTの補助金を得て、車載用MIセンサの開発を行い、MI素子を量産するための装置の開発を目指す 技術本部電子・磁性部長aは、責任者として従事
H12(2000)年11月頃b社:基板上にアモルファスワイヤを整列させることのできるワイヤ整列装置(1号機)の開発に成功 なお、1号機の制作等は、f株式会社に依頼
H13(2001)年10月4日JST:開発成功を認定
H15(2003)年12月頃b社:1号機を改良したワイヤ整列装置(2号機)の制作等をf社に依頼 その後、2号機の開発に成功
H18(2006)年10月頃b社:1号機、2号機を大幅に改良したワイヤ整列装置(3号機)の製作をf社に依頼 その後、3号機の開発に成功
H22(2010)年頃d:「生体及び非白金系触媒ウェル用白金個体システム」装置を製作
H22(2010)年6月  ~H24(2012)年6月a:b社のセンサ事業を所管する専務取締役の地位
H24(2012)年6月a:専務取締役を退任してb社の技監 c:b社生技・製造本部第3生産技術部の部長
H24(2012)年9月a:o株式会社を設立(※1)
H25(2013)年2月5日b社常務取締役p → l(f社の従業員)  被告人両名からのワイヤ整列装置の見積依頼はb社からの正式なものではないので見積りを出すのは止めてほしい旨を発言
~H25(2013)年6月a:b社の技監でなくなる
H25(2013)年3月5日AMⅰら(b社の従業員) → e(d社の従業員)@b社本社s工場における打合せ 電磁品事業本部の本部長はpであることを述べ、前任者である被告人両名は経営方針等で意見が食い違っているため、前任者から話があっても極力関わらないよう求めた
H25(2013)年4月9日 (本件打合せ)a及びc → e(d社の従業員)  営業秘密の不正開示?
H25(2013)年5月9日a:eとの間で、発注者をo社とする内容の「打合せ覚へ」を取り交わす
H25(2013)年11月頃d社 → o社  完成したワイヤ整列装置を納品  j大学に設置された
~H25(2013)年12月c:b社生技・製造本部第3生産技術部の部長でなくなる
H26(2014)年2月頃c:о社との間で、設計委託契約を締結
H26(2014)年1月~3月c:о社から合計200万円を受領(※2)

また、判旨によれば、アモルファスワイヤは、

(1)MIセンサの基幹部品であるMI素子を製造するために用いられるワイヤであり、

(2)磁性を帯びた金属細線であり、極めて細くて、ひずみに弱く、微小な静電気や磁気、空気の流れ等にも影響され、応力を加えられると磁気特性が変化する、という特性を有する

とのことであり、このため、

(3)ワイヤ整列装置には、アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるための工夫が必要になる

という。

【名古屋地裁の判断】

 本件は、書面、メール又はデータ提供といった記録が残る形態ではなく、口頭及びホワイトボードへの記載という形態で行われた開示行為について営業秘密侵害罪で起訴されたという点で稀有であるのみならず、裁判所が、営業秘密保有者側の営業秘密と被告人らが開示したと認定できる情報との相違点と共通点を炙り出すという手法で非公知性を否定したという点が非公知性の論点を考えるにあたり参考になる上、予備的に被告人両名の故意責任も否定しつつも、被告人両名について不正の利益を得る目的(図利加害目的)を認定し、仮に故意が認められたなら共謀も認められると判示した特異な事例である。また、複数の関係者がいる場合に消去法的に営業秘密保有者性を判断する枠組みを示した事例ともいえる。

 なお、上記時系列表※1のo社設立は、aがb社在職中に行われた行為であるが、b社において兼業・副業等が禁止されていたか否かについては、判旨の限りでは定かではない。  

 また、上記時系列表※2のb社在職中の金銭授受については、b社において職務に関連して従業員個人が企業と契約を締結して当該契約の対価を受け取ることが禁止されたり制限されたりしていたか否かについては、判旨の限りでは定かではないものの、後述するとおり、図利加害目的を肯定する一事情として認定・参酌された。

【判旨抜粋】

(※略表示,太字,下線及び墨括弧箇所は,筆者加筆による)

【非公知性の否定】
(2)結論
 本件打合せにおいて被告人両名がeに実際に説明した,ワイヤ整列工程に関する情報のうち,検察官主張工程と共通する部分(以下「本件実開示情報」という。)がbの営業秘密であるとは認められない。
 すなわち,被告人両名が説明した情報は,アモルファスワイヤを基板上に整列させる工程に関するものではあるが,bのワイヤ整列装置の機能・構造,同装置等を用いてアモルファスワイヤを基板上に整列させる工程と大きく異なる部分がある。また,本件実開示情報は,アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるための工夫がそぎ落とされ余りにも抽象化,一般化されすぎていて一連一体の工程として見ても,ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまるので,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。そうすると,本件実開示情報は,非公知性があるとは認められない。
(3)bの工程と大きく異なる部分
 本件打合せにおいて被告人両名が説明した情報は,bのワイヤ整列装置の工程と重要なプロセスに関して,大きく異なる部分がある。すなわち,工程㋑に関して,bのワイヤ整列装置では,なるべくアモルファスワイヤに応力を加えないようにするために,基板の手前にシート磁石が埋め込まれた溝(「ガイド」)を設置したり,切断刃近くに磁石を設置したりしてワイヤの位置を保持し,チャック以外では,ワイヤになるべく触れずに挟圧しない方法が採られている(ただし,3号機では,「ワイヤロック」による挟圧はされている。)。
 これに対し,被告人両名が説明した情報は,前記のとおり,まっすぐにぴんと張る程度に張力を掛けて引き出されたワイヤを2つの棒状のもので「仮押さえ」をするというものである。この工程は,ワイヤを基板の溝等に挿入して整列させる工程において,「ワイヤ引き出し」,「仮固定」,「切断」といった重要なプロセスに関するものである。被告人両名が説明した情報は,bのワイヤ整列装置の工程と重要なプロセスに関して大きく異なるところがある。
(4)一連一体の工程としての非公知性
 本件実開示情報は,アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるための工夫がそぎ落とされ,余りにも抽象化,一般化されすぎていて,一連一体の工程として見ても,ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまるので,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。

ア 工程㋐(ワイヤ引き出し)について
 工程㋐について,(略)3号機では,ワイヤ供給部のボビンに設置されたモーターを正転させて,張力をなるべく掛けずにワイヤを送り出し,挿入の直前に,モーターを逆回転させて張力を掛ける,その後,チャックの爪を半開きにするといった工夫が施されていた。これらの工夫により,(略)。
 被告人両名は,本件打合せにおいて,これらの工夫に関する情報を開示していない。被告人両名が説明した情報のうち,bのやり方と共通する「チャックがワイヤをつまみ,基板上方で右方向に移動する」という工程は,基板上にワイヤを直線状に並べるやり方として比較的単純なものであるといえ,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。現に,d白金固定システムでも,チャックでワイヤをつかんでボビンに巻かれた白金線を一定の張力を掛けながら引き出すという方法が採られており,dが,その方法を営業秘密として管理していたわけではない。

イ 工程㋑(仮固定)について
 工程㋑について,bのワイヤ整列装置では,(略)ワイヤの位置を保持し,チャック以外では,ワイヤになるべく触れずに挟圧しない方法が採られていた。被告人両名は,本件打合せにおいて,これらの機構や方法に関する情報を開示していない。被告人両名が説明した情報は,前記のとおり,アモルファスワイヤを2つの棒状のもので「仮押さえ」をするというものであり,bのワイヤ整列装置の機構や方法とは大きく異なるものである。被告人両名が説明した情報のうち,bのやり方と共通する「ワイヤに張力を掛けたまま仮固定する」という工程は,基板上にワイヤを直線状に並べようとすれば,当然のことであるといわざるを得ないものであり,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない(略)。
ウ 工程㋒(位置決め調整)について
  工程㋒について,bのワイヤ整列装置では,1号機では顕微鏡を用いて,位置決め調整を行う方法が採られていた。また,2号機,3号機では,基板上に設けられた基準マークを画像認識することにより,工程㋐の前に位置決め調整を行うという工夫がされていた。
 被告人両名は,本件打合せにおいて,これらの位置決め調整のための工夫等に関する情報を開示していない。被告人両名が説明した情報のうち,bのやり方と共通するのは,「基板を固定した基板固定台座を上昇させ,ワイヤと基板の溝等との位置決め調整を行う」という部分である。このうち,前段の「基板を固定した基板固定台座を上昇させる」という部分は,ワイヤを基板上に並べるためには,ワイヤと基板を接近させることが当然必要となり,そのためには,ワイヤを基板側に近づけるか,基板をワイヤ側に近づけるか,あるいは両者をそれぞれ動かして近づけるといった方法によるのが自然な発想である。基板をワイヤ側に上昇させる方法が一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。現に,d白金固定システムでも,下側の金型にV字の溝を掘って,それを上昇させることで,白金線を溝に入れるという方法が採られており,dが,その方法を営業秘密として管理していたわけではない。
 また,bのやり方と共通する工程のうち,後段の「ワイヤと基板の溝等との位置決め調整を行う」という部分は,ワイヤを基板の溝等に挿入してワイヤを基板上に整列させる以上,当然,必要になると考えられる工程であり,位置決め調整を行うということ自体は,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。なお,基板にピンを立ててその間にワイヤを挿入すること自体は,平成23年9月20日,「広レンジタイプMI素子の開発とその特性」との演題で行われた講演会(略)において,b従業員h,被告人aらが発表しており,公知情報になっているといえる。

エ 工程㋓(仮止め)について
 工程㋓について,bのワイヤ整列装置では,ワイヤを仮止めするために,基板固定治具に多極化された磁石を埋め込む工夫がされていた。
 被告人両名は,本件打合せにおいて,基板固定台座に磁石を埋め込んだ治具を載せ,磁石の磁力でアモルファスワイヤを仮止めする旨の説明はしている。しかし,アモルファスワイヤを基板上で仮止めするためには,普通の磁石を基板固定治具に埋め込むだけでは,うまくいくとは考えにくく,磁石を多極化するなどの工夫が必要になるところ,被告人両名は,本件打合せにおいて,基板固定治具に埋め込む磁石を多極化したものにする必要があること,その配置のやり方,大きさ等について一切説明していない。

オ 工程㋔(切断)について
 工程㋔について,bのワイヤ整列装置では,ワイヤの張力を解放した後に切断する工夫がされていた。また,3号機では,基板の外側ではなく,基板内において青色レーザで切断する工夫もされていた。
 被告人両名は,本件打合せにおいて,切断前に張力を解放することや基板内において青色レーザで切断する工夫を説明していない(略)。かえって,被告人両名は,前記のとおり,ワイヤを2つの棒状のもので「仮押さえ」をし,その間でYAGレーザで切断するという,bのやり方とは大きく異なるやり方を説明した
 被告人両名が説明した情報のうち,bのやり方と共通する「ワイヤを切断する」という工程は,もともと長い線状で販売されているワイヤを基板に並べるためには当然必要となり,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。(略)

カ 工程㋕(基板固定台座の移動)について
 工程㋕について,被告人両名が説明した情報のうち,bのやり方と共通するのは,「基板固定台座が下降し,次のアモルファスワイヤを挿入するためにY軸方向に移動する」という部分である。基板上の溝等にワイヤを挿入した後,次の溝等にワイヤを挿入するためには,ワイヤと次の溝等とを接近させることが当然必要となり,そのためには,ワイヤを移動させるか,基板側を移動させるか,あるいは両者をそれぞれ動かすといった方法によるのが自然な発想である。基板側を移動させる方法が一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。 また,基板を移動させる際,基板固定台座を上下に昇降させるというのも,それだけでは単純なやり方であるといえ,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。

キ 工程㋖(繰り返し)について
 工程㋖について,1号機,2号機では,連続運転をするために,切断後,チャックに付着したワイヤを「ワイヤ払い」機構により払うという工夫がされていた。また,3号機では,「ワイヤ払い」機構に変えて,工程㋓と工程㋔との間に設けられた「ワイヤ引き戻し」機構により,ワイヤを左側に引き戻すなどして,爪を半開きにしたチャックからワイヤを引き抜くなどの工夫がされていた。
 被告人両名は,本件打合せにおいて,これらの連続運転を実現するための工夫に関する情報を開示していない。被告人両名が説明した情報のうち,bのやり方と共通する「㋐ないし㋕の工程を機械的に繰り返す」という工程は,連続運転をする以上,当然必要となり,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。

ク 一連一体の工程
(略)
(イ)当裁判所の判断
 本件実開示情報は,一連一体の工程として見ても,非公知性の要件を満たすとはいえない。
 すなわち,被告人両名は,前記のとおり,アモルファスワイヤの特性を踏まえ,基板上にワイヤを精密に並べる上で重要になるはずのbのワイヤ整列装置に備わっている工夫に関する情報,例えば,位置決め調整におけるCCDカメラの活用,ワイヤ引き出し時(送り出し時)におけるモーターの回転方法,ワイヤの仮固定における「ガイド」等の機構,基板上の溝等に仮止めする際の磁石の配置,ワイヤがチャックに付着し続けないようにするための工夫等について,eに対して説明していない。    
 また,本件実開示情報は,アモルファスワイヤの特性を踏まえて基板上にワイヤを精密に並べるために重要となるはずの情報がそぎ落とされ,余りにも抽象化,一般化されすぎていて,一連一体の工程として見ても,ありふれた方法を選択して単に組み合わせたものにとどまるので,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。
(ウ)検察官の主張に対する判断
 前記検察官の主張(5⑴)について判断すると,確かに,1号機ないし3号機は,bが独自に開発したものであり,アモルファスワイヤの特性を踏まえ,基板上にワイヤを精密に並べるための工夫が含まれた工程そのものは,非公知性の要件を満たすと考えられる(秘密管理性,保有者性等については別途検討する。)。また,ある情報の断片が様々な公刊物に掲載されるなどして,その断片を集めてきた場合,当該営業秘密たる情報に近い情報が再構成され得るからといって,そのことをもって直ちに非公知性が否定されるわけではない。そして,開示者が,営業秘密保有者から入手した営業秘密の一部やそれを抽象化,一般化したものを開示した場合,あるいは,その一部をアレンジして開示した場合であっても,営業秘密を開示したといえる場合もあり得る。さらに,1号機ないし3号機の全てに共通する工程も一応存在するとはいえる。
 しかし,本件打合せにおいて,被告人両名は,1号機ないし3号機の機能及び構造,各装置を用いてワイヤを基板上に整列させる工程そのものを開示したわけではない。そして,複数の情報の総体としての情報については,なお,当該情報が非公知である,というためには,組合せの容易性,取得に要する時間や資金等のコスト等を考慮し,営業秘密保有者の管理下以外で一般的に入手できるかどうかによって判断されるべきであるが,本件についていえば,本件実開示情報は,真の工夫に関する情報がそぎ落とされ,組合せとして見ても,一般的には知られておらず又は容易に知ることができないとはいえない。
(略)
 なお,抽象化,一般化されすぎた情報については,事業活動にとって有用であるとはいえないとして,有用性の要件を欠くという説明もあり得よう。当裁判所は,非公知性の要件を欠くと考えたが,有用性の要件を欠くという立場を採ったとしても,被告人両名の行為がbの営業秘密を開示したとはいえない,という結論は変わらない。  
【故意責任】
1 結論
 仮に,本件実開示情報がbの営業秘密であると認められるという見解を採り,被告人両名の行為が客観的には営業秘密開示行為に該当するという見解を採ったとしても(この仮定は,当裁判所の見解ではない。),被告人両名において,本件打合せでeに説明した情報について,bの営業秘密に該当しないと考えていた疑いが残り,そのように考えたことについて,相当な理由があるといえることなどからすると,被告人両名について,故意責任を問うことはできない。  
【無罪が成立する場合の他の犯罪成立要件に関する判断について】
第8 小括
 以上によれば,その余の点を判断するまでもなく,被告人両名について無罪とするほかないが,審理の経過等に鑑み,他の犯罪成立要件についても念のため判断する。
 以下の記載では,本件実開示情報に非公知性が認められるとする見解,被告人両名に故意があると認められるとする見解を前提に論じることになるが,当裁判所は,これらの見解を採るものではない。  
【営業秘密保有者性】  
第11 営業秘密保有者性
1 結論
 仮に,本件実開示情報に営業秘密該当性が認められるという見解を採るのであれば,以下に述べるような1号機の開発経過,bとJSTとの間で締結された本件開発委託契約の内容,開発期間終了後のbによる報告に対するJSTの対応,bによる技術情報の活用状況等からすると,bは,本件実開示情報を正当な権原に基づいて取得して保持している者に該当すると認められる。
2 理由
 (略)確かに,本件開発委託契約は,産業活力再生特別措置法施行前に締結されている。しかし,同契約によれば,開発実施により生じたノウハウは三者の共有とする旨明確に規定されており,同法施行前であることやbにおいて実施料を支払う義務があることなどを理由にJSTに専属的に帰属するとは考えられない。
 また,確かに,bは,本件開発委託契約に基づき,開発期間終了後,開発実施の結果について詳細な実施報告書を提出する義務を負い,開発の実施により生じたノウハウを書類に表現し,開発期間終了後,遅滞なくJSTに提出すべき義務を負っていた。bは,本来,gレポートに記載された内容をJSTに報告すべきであったといえ,その義務を誠実に果たしたとはいえない。しかし,bは,前記のとおり,JSTに対し,1号機の工程の概略を記載した本件報告書を提出したが,提出後,JSTから報告の補充等を求められていない。契約の当事者であるJSTの担当者も,JSTとして,bから書面で報告を受けていないノウハウについてJSTのものであると主張する予定はない旨明言している。そうすると,bにおいて委託事業を通じて獲得したノウハウが専らJSTに帰属するとはいえない。
(略)確かに,1号機のノウハウを考案した従業員は,本件発明規程に基づく,発明考案届出の手続をしていない。しかし,本件発明規程によれば,発明考案等を行った従業員は発明考案等の内容を遅滞なく知的財産室長に届け出るものとされているところ,当該従業員において,所定の届出をしなかった場合に,業務の過程で考案したノウハウが当然に従業員に帰属するというのは不合理である。その場合については,本件発明規程によらずに,その帰属を判断するほかない。本件では,ワイヤ整列工程に関する技術上の情報は,bがJSTから受託して行った委託事業の過程の中で獲得されたものであること,従業員は,bの事業の範囲内で,その職務として,専らbの設備を用いて開発に携わったこと,当該技術上の情報は,その後,bの事業で使用され続けてきたことなどからすると,bが,その保有者であるというべきである。  
【図利加害目的】
5 結論
 前記2の認定事実によれば,被告人両名が平成24年12月頃から平成25年2月頃までの間にfに対しワイヤ整列装置の試作機の製作依頼をしたのは,bによる正規の依頼としてではなかったと認められる。また,被告人両名は,fから製作依頼を断られると,dに対し同様の製作依頼をしており,dに対する製作依頼もbによる正規の依頼としてではなかったと認められる。そうすると,仮に,本件実開示情報がbの営業秘密に該当するという見解を採るのであれば,被告人両名がそれを用いてbの了解なくワイヤ整列装置の試作機を製作しようとしたことになるから,被告人両名に,不正の利益を得る目的があったと認められる。被告人cが,b退職前に200万円もの高額の現金をo社から受け取っていることも,不正の利益を得る目的があったこととよく整合する。
 なお,被告人cが供述するとおり,平成24年12月4日のfとの打合せに被告人cが出席していなかったとしても,被告人両名に不正の利益を得る目的があったとの認定は左右されない。  
【任務違背性・共謀】
第13 その他の犯罪成立要件
 仮に,本件実開示情報がbの営業秘密に該当するという見解を採ると,被告人両名は,本件実開示情報を業務の過程等で取得したのであるから,不正競争防止法21条1項5号にいう「営業秘密保有者から営業秘密を示された者」に該当するといえる。また,被告人aについては技監就任時の契約,被告人cについては雇用契約により一般的に課せられた秘密を保持する義務を負っているといえるので,同号にいう「営業秘密の管理に係る任務」に背いたといえる。さらに,被告人aが同号の「役員」,被告人cが「従業員」に該当することも明らかである。
 そして,仮に,被告人両名に故意があると認められるとする見解を採ると,共謀も認められる。 

【検討】

1. 非公知性について

1.1判断枠組み

 本件では、上記判旨抜粋(【非公知性の否定】の部分)のとおり、b社のワイヤ整列装置の工程と、被告人らが本件打合せで開示した情報とを対比し、相違点については、b社における工程毎の工夫が開示されていないとして、共通点については、d白金固定システムとの共通点も示しながら、比較的単純な方法とか当然に必要、自然な発想などとして、非公知性を否定した。

 また、一連一体の工程としての情報としても、b社のワイヤ整列装置の工夫に関する情報が本件打合せで開示された情報に含まれていないとして、非公知性を否定した。

 この点、工程毎に相違点及び共通点を炙り出す手法については、特許侵害訴訟において請求項(権利者側)と被疑侵害物件(イ号物件)とを対比するような手法や、進歩性の判断において請求項と先行文献と対比するような手法と似ていると言える。

1.2検討

 そこで、整理のために、クレームチャートではないが、判旨に基づいて各工程を記載し、これらを対比した表を以下に掲載する。同じ色のハイライト部分が共通点であり、ハイライトがない部分が相違点である。

検察官主張工程引き出しチャッキングと呼ばれるつまみ部分(以下「チャック」という。)がアモルファスワイヤをつまみ,一定の張力を掛けながら基板上方で右方向に移動する
㋑ アモルファスワイヤに張力を掛けたまま仮固定する
㋒ 基板を固定した基板固定台座を上昇させ,仮固定したアモルファスワイヤを基準線として位置決め調整を行う
基板固定台座を上昇させアモルファスワイヤを基板の溝及びガイドに挿入させ基板固定治具に埋め込まれた磁石の磁力で仮止めする
基板の左脇でアモルファスワイヤを機械切断する
基板固定台座が下降し,次のアモルファスワイヤを挿入するために移動する
以下㋐ないし㋕を機械的に繰り返す
というワイヤ整列工程を可能とする装置
1号機 一辺60㎜の正方形セラミック製基板に約0.7㎜の間隔で設けられた幅約50μmの溝に直径30μmのアモルファスワイヤを1本ずつ入れることで,基板上に72本のワイヤを整列させることができるア 基板を基板固定治具に装着して基板固定台座にセットし,同台座をワイヤが引き出される場所の直下付近まで移動させる。

チャックがボビンに巻かれたワイヤ(以下「ワイヤ供給部」という。)6本同時につかんで,張力を掛けながら基板上方で左から右方向に移動する(以下,装置を正面から見て左右方向を「X軸方向」,X軸方向に対して水平に直角に交わる方向を「Y軸方向」という。)。

ウ ワイヤの位置を保持するために,ワイヤ供給部から基板左端までの間に,「ガイド」等と呼ばれる,シート磁石が埋め込まれた溝を設けるなどした機構が設置されていたが,チャック以外にワイヤを直接狭圧する機構はない。ワイヤ供給部のボビンにパーマトルクモーターが設置されていて,ワイヤにバックテンションを掛けることで,ワイヤを直線状に保つ。

エ 顕微鏡を見ながら基板固定台座を動かすなどして基板の溝とワイヤの位置決め調整を行う。

基板をワイヤから約0.5mmの位置まで上昇させた後,基板の左右の一方を傾斜させる(以下「傾斜上昇」という。)とともに基板を揺らしながら上昇させ(以下「揺動上昇」という。),基板を一方の端からワイヤに近づけながら基板の溝にワイヤを入れる。

カ ワイヤを基板の溝と基板固定治具に埋め込まれた磁石の磁力で基板に仮固定する。同磁石は,N極とS極が交互に配置された多極化されたものが用いられていた。

キ ワイヤに掛けていたバックテンションを解放して,ワイヤの張力を解放する。

ワイヤを基板の左脇で機械刃を垂直方向に動かして切断する。切断時にワイヤが跳ね上がらないようにするために,切断刃近くに磁石が設置されていた。

ケ チャックが開放され,チャックに付着したワイヤを「ワイヤ払い」機構により払う。

基板固定台座が下降し,Y軸方向に移動する。

サ 上記イないしコの工程を機械的に繰り返す(エの顕微鏡による位置決め調整は行う必要がない。)。

シ 2回目以降の切断の際には,先に挿入したワイヤに刃が干渉しないよう,前回の切断部より若干左側でワイヤを切断する。
2号機2号機の工程は,基本的には1号機と同様のものであったが,以下の点において, 1号機と異なっている。
ア 1号機ではワイヤは直径30μmのものが用いられていたところ,2号機では直径20μmのものが用いられた。

イ 1号機では顕微鏡を用いて基板とワイヤの位置決め調整が行われていたところ,2号機の「全自動モード」では,CCDカメラを用いて基板上に複数設けられた基準マークを画像認識することにより位置決め調整ができることになった。

ウ 1号機では,刃を垂直方向に動かしてワイヤを切断していたが,不具合があったため,2号機では,刃を水平方向に動かしてワイヤを切断することとされた。

エ バックテンションを掛ける際の荷重は,1号機では約8gとされていたが,ワイヤ径が細くなったので,2号機では約5gとされた。
3号機 基板上に約0.4㎜の間隔で128本のワイヤを整列させる3号機の工程は,以下の点において,2号機と異なっている。
ア 2号機ではワイヤは直径20μmのものが用いられていたところ,3号機では直径10μmのものが用いられた。

イ 2号機で用いる基板には,ワイヤを挿入するためのが掘られていたが,溝の精度に難点があったために,3号機で用いる基板には,溝の代わりに,幅約30μm,深さ約20μmの樹脂状の突起物を設け,ワイヤを突起物と突起物の間に挿入させることになった。

ウ 2号機では,張力を掛けながらワイヤが引き出されていたが,3号機では,ワイヤ供給部のボビンのモーターを正転させて,張力をなるべく掛けずにワイヤを送り出すことになった。すなわち,3号機では,モーターの正転によるワイヤの送り出しを終えた後,ボビンを逆回転させてバックテンションを掛ける方法でワイヤに張力を掛けることとされた。

エ 2号機では,基板を傾斜上昇,揺動上昇させることができたが,3号機では,基板固定台座を上昇させる際,基板を傾斜も揺動もさせないことになった(略)。

オ 2号機では,基板の左脇で,機械刃を用いてワイヤを切断していたが,3号機では,基板上の左端付近で青色レーザを用いて切断することになった。

カ 2号機では,切断後,「ワイヤ払い」機構によりワイヤをチャックから引き離す必要があった上,基板の左右の両端からワイヤがはみ出ていた。これに対し,3号機では,切断後のワイヤをチャックから引き離すとともに,ワイヤが基板右端から,はみ出ないようにするために,ワイヤ供給部と基板との間に,「ワイヤロック」と「ワイヤ引き戻し」という機構が設置され,ワイヤを基板上方右側まで送り出した後,チャックの爪を半開きにするとともに,「ワイヤロック」によりワイヤ供給部のボビンと「ワイヤ引き戻し」の間でワイヤを押さえ,「ワイヤ引き戻し」によりワイヤを同供給部方向に少し引き戻し,チャックの爪からワイヤを引き抜くこととされた。これにより,3号機では,「ワイヤ払い」機構を使わずに,チャックの爪からワイヤを離すことができるようになった上,ワイヤの先端も基板の右端付近まで引き戻され,これに加えて,基板上の左端でワイヤを切断することで,基板の左右両端からワイヤがはみ出ないようになった。

キ 2号機では,チャックで6本同時にワイヤをつかんでいたところ,3号機では8本同時につかむことができるようになった。
d白金固定システムd白金固定システムには,プラチナワイヤ(白金線)を金型の溝に挿入する以下のような工程がある。

ア ワイヤ供給部のボビンからチャックで直径10μmのワイヤ1本をつかんで,一定の張力を掛けてX軸方向(右方向)に引き出す。

イ 引き出されたワイヤの上下の位置に金型が設置され,金型がワイヤを挟んで合わさると中に立方体の空洞が6個できるようになっている。また,下側の金型には,ワイヤを挿入するための幅の広いV字型のがX軸方向に設けられていた。

ウ ワイヤが引き出されると,下側の金型が上昇し,引き出されたワイヤに押し付けられ,ワイヤを溝に挿入させる。

エ ワイヤの位置を固定するため,チャックでワイヤをつかんだまま,ピンの付いた機構を下げて,立方体の空洞ができる場所以外の部分でワイヤを押さえる。

オ 上側の金型が下降し,ワイヤの入った下側の金型と組み合わさる。

カ 金型の中にできた立方体の空洞の中に樹脂を流し込み,ワイヤを樹脂で固める。

キ 樹脂が固まると金型から上記ピンを抜き,金型ごと装置から外す。
本件打合せ被告人らがホワイトボードに記載した仕様概要
ワイヤ送りピッチ 1μmで変則可能
ワイヤ径 5ないし10μm
張り基板サイズ 60mm×60mm
基板材質 シリコンウエハー
その他仕様
 試験機のため必要部位以外手動可
 ワイヤ固定方法は別途
 ワイヤ張り時の方向(水平,垂直)
 ワイヤ引き込み速度 最大分速1.2m
 基板へのセットはワイヤー引き出し後上昇方式(水平移動)
 ユーティリティはメーカー希望
 ボビン径は別途
被告人らが口頭で説明したと認定された内容
・60mm四方のシリコン基板にアモルファスワイヤを平行に並べていきたいと説明した。被告人らは,基板上に50μmの間隔に設置されたピンの間等にワイヤを収めればいい,基板の上にワイヤを張る際,張力を掛けてまっすぐぴんと張りたい,などと説明した。
チャックでワイヤを1本つかみ,ワイヤ供給部のボビンからワイヤを引き出し,張力を掛けて基板の上方に引っ張り出した後,基板を上昇させて,ワイヤを基板上に設けられたピンの間等に挿入させる方法により,ワイヤを基板上に並べる,その後,ワイヤを切断して,基板を一度下げ,次のワイヤを同様に基板の上方に引っ張り出し,基板をY軸方向に移動させて基板上のピンの間等に挿入させる,これを繰り返す,などと説明した。
切断の際,基板上のワイヤが跳ね上がらないようにするため,ワイヤを「仮押さえ」しないといけないと説明した。被告人らは,基板の左脇に,棒状のものを2つ設置して,ワイヤを「仮押さえ」し,2つの棒状のものの間でYAGレーザにより切断する方法を説明した。これに対し,eは,レーザを,はさみやニッパで代用できるのではないかと提案した。被告人aは,eに対し,「仮押さえ」をしただけでは,切断後,ワイヤ供給部側のワイヤが緩むのではないか,と質問した。これに対し,eは,切断部分と張力を掛ける機構との間で,ワイヤをつまむので,同供給部側のワイヤが緩むことはないなどと回答した。
・切断後,基板上のワイヤがずれるのを防ぐための方策についても話し合われた。eは,被告人らに対し,基板の外側に両面テープのような粘着質のものを用意して,そこにワイヤを貼り付ける方法と基板の外枠に瞬間接着剤のようなものを滴下してワイヤを固定する方法を提案した。これに対し,被告人らは,磁石の力でワイヤを貼り付ける方法があり,その方が,eが提案した方法よりもよいと思うと回答した。被告人らは,本件ホワイトボードに図示するなどして,基板固定台座に磁石を埋め込んだ治具を載せることを説明した。被告人らは,eに対し,被告人らの方で治具を作ると説明し,磁石の種類,材料,大きさ等に関する説明をしなかった。
・本件打合せでは,基板上に並べるワイヤの位置をずれないようにする方法についても話し合われた。eは,被告人らに対し,U字の溝付きローラを,引き出されたワイヤの上方に,基板の左右両側に配置し,上昇してきた基板により持ち上げられたワイヤを同ローラのU字の溝に入れる方法を提案した。
・ワイヤを平行に並べるという要求仕様との関係では,被告人らは,eに対し,ワイヤの間隔を200ないし300μmとして,±1μmの精度になるよう求めた。
・また,被告人らは,基板をY軸方向に移動させる際,基板を50μmずつ動かす機構と1μmずつ動かす機構の2つの動きが必要になるのではないかと提案した。
・ワイヤの強度に見合う設計とするために,ワイヤの強度を被告人らからeに後日連絡することになった。本件打合せにおいて,被告人らから,ワイヤをぴんと張りたいという説明はあったものの,ワイヤを強く引っ張ることのできる装置にしたいとか,ワイヤを引っ張る際の荷重に関する数値の説明はなかった。
名古屋地裁による本件打合せで開示されたと認定されたワイヤ整形工程に関する情報チャックが,ワイヤ供給部から直径5ないし10μmのアモルファスワイヤをつまみ,ワイヤに張力を掛けて,最大分速1.2mの引込速度で,基板上方で右方向に移動する。

㋑ アモルファスワイヤに,まっすぐぴんと張る程度に張力を掛けて,基板の左脇で,2つの棒状のもので「仮押さえ」をする方法により仮固定する。
㋒ 60mm四方のシリコン製基板を固定した台座上昇させ,アモルファスワイヤと基板の溝等との位置決め調整を行う。
㋓ アモルファスワイヤを,基板に設けられた50μm間隔のピンの間等に挿入させ基板固定台座に磁石を埋め込んだ治具を設置し,その磁石の磁力で仮止めする。
㋔ 上記㋑記載の2つの棒状のものの間で,張力を掛けたままYAGレーザで切断する
基板固定台座が下降し,次のアモルファスワイヤを挿入するために移動する。各ワイヤの間隔を200ないし300μmとし,基板を50μmずつ動かす機構と1μmずつ動かす機構の2つの動きが必要になる。
以下㋐ないし㋕の工程を機械的に繰り返す。

 このようにカラーリングしてみると一目瞭然であるが、「検察官主張工程」は、b社の1号機~3号機の共通項を括り出したような、高位の抽象的な概念で書かれたクレームのようである。

 数値限定特許ではないが、ハイライトで埋められていない部分、すなわち、b社の1号機~3号機に関する数値等の細かい条件にアモルファスワイヤの特性を踏まえて整列させる工夫があることが窺えるところ、これらを捨象してしまっては、裁判所がいう通り、b社における工夫がそぎ落とされて、あまりにも抽象化・一般化した情報といわざるを得ないであろう。

 また、上記対比表の3号機の行で黄色ハイライトを付したが、張力をなるべく掛けずにワイヤを送り出すのか(営業秘密保有者側)、その逆で、張力をかけたままワイヤを引き出すのか(被告人ら側)、というのは、非常に大きな相違点である。この点、検察官が当該相違点をどのように捉えて主張立証を展開したのか疑義が生ずるところである。

1.3さらなる検討

 本件における非公知性の論点に関し非常に気になる点を挙げるとすれば、上記時系列表のとおり、d社は本件打合せから約8か月後にはワイヤ整列装置(以下、「d装置」という。)を完成させてo社に納品したという事実である。

 この点、d社の事業の詳細が判旨からは不明であるものの、判旨で言及されている「d白金固定システム」からすれば、白金線(プラチナワイヤ)とアモルファスワイヤ(磁性を帯びた金属細線)はその特性が異なるから、d社はアモルファスワイヤを整列させるための装置を完成させられるだけの技術情報を本件打合せ以前から保有していなかったのではないかと推測される。そうであるからこそ、切断時のワイヤの固定方法について両面テープのような粘着質なもの又は瞬間接着剤を用いてはというe提案に対して、被告人らが磁力を用いた治具を自ら作ると説明したとも窺われる。

 すなわち、見積り段階の本件打合せで開示された情報以上の情報を被告人両名から製作途中で開示を受けて、d社はd装置を完成させるに至ったのではないかという可能性が考えられる。あるいは、「治具」を被告人らの方で作るとeに説明したという点から敷衍すると、被告人らはd社に対して詳細な仕様等情報を開示するのではなく、ワイヤ整列装置の構造の中心的な部材について自ら製作し、d社には部材を組合せて完成させる作業を依頼した可能性もあり得る。

 いずれにせよ、そうすると、o社に納品されj大学に設置されたd装置を押収して分析等することにより、本件打合せ以上の情報、すなわちb社が保有する営業秘密であるという「ワイヤ整列装置の構造・工程の細部」が明らかになったのではないかと思われる。

 もちろん、d装置を分析等してその構造の細部・工程を明らかにした結果、b社側のワイヤ整列装置の構造・工程との同一性・類似性が認められず(同じ「ワイヤ整列装置」と呼ばれているとはいえ、設計のコンセプトが全く違うために構造も、アモルファスワイヤの整列工程も大きく異なる装置になった可能性が全くないとはいえない)、結局、本件打合せ時に開示された情報以外にb社の保有する営業秘密(ワイヤ整列装置の構造・工程の細部)の侵害を立証し得る事実が見当たらなかったという可能性も考えられなくないが、本件については、リバースエンジニアリングにより営業秘密の不正開示を立証できた事案だったのではないかという疑問が残る。

 起訴が平成29(2017)年、一審判決が令和4(2022)年とその間、約5年あるので、公判前整理手続が行われたものと推察されるが、「検察官は,検察官主張工程の内容に対応する範囲を超えて,b社の保有する各ワイヤ整列装置の構造,工程の細部に至る立証はしない,と明示している」という判旨に鑑みるに、公判前整理手続で行われたであろう当該明示が、本件の結論を大きく左右したようにも思われる。

2. 故意責任及び図利加害目的について

 営業秘密侵害罪が問われた事案で、故意責任を否定しながら、「審理の経過等に鑑み」非公知性と故意以外の他の犯罪成立要件のすべてについて言及し、そのすべてを認定したという裁判例は、稀有であろう。

2.1故意責任について

 判旨は、「被告人両名において,本件打合せでeに説明した情報について,bの営業秘密に該当しないと考えていた疑いが残り,そのように考えたことについて,相当な理由があるといえる」と判示する。その理由の一つとして、被告人aの公判廷における「私は,bの営業秘密を用いないで,公知情報とfの既存ノウハウを用いて,新しい研究用のワイヤ整列装置を開発する意思があった。」という供述の信用性を認めている。

 確かに、張力をなるべく掛けずにワイヤを送り出すのか(営業秘密保有者側)、その逆で、張力をかけたままワイヤを引き出すのか(被告人ら側)という大きな相違点があることに鑑みれば、「bの営業秘密を用いないで」ということにも一定の合理性が認められるが、判旨が、「被告人aの説明には無理があると思っていた。というのは,ワイヤ整列装置はbにしかない機械であったし,fに発注しようとしているワイヤ整列装置も,一度に張るワイヤの本数など相違点はあっても,その基本構造はbのものと同じだった。また,ワイヤを引っ張る機構や台座を動かす機構など,一つ一つの構造などを見れば公知の技術なのかもしれないが,それらを組み合わせてワイヤ整列工程を可能なものにしたという点はノウハウに当たると考えていた。こうしたことから,私としては,被告人aの説明は通らないと考えていたが,被告人aから言われたことなので,lにはそのまま説明した。」という被告人cの捜査段階の供述について、「法的評価に関する事項である。被告人cは,知的財産分野の専門家というわけでもなく,公知技術を組み合わせてワイヤ整列工程を可能なものにしていた点はノウハウに当たると考えていたと供述している点の証拠価値はさほど高くない。」という点を理由の一つとして信用性を否定したことについては疑問が残る。

 技術系の職種に就いていれば、「公知技術」や公知技術を組み合わせたら「ノウハウに当たる」ということは通常の知見であって、「知的財産分野の専門家」である必要はないからである。

 逆に、営業秘密の不正開示等を問われた場合、当該営業秘密を用いずに独自に開発・取得した情報と公知情報を利用して開発等しただけであるという言い分をなしても、なかなか信用してもらえないが、疑われた側としては当該言い分の信用性を裁判所が認めてくれることもあるとして、本事案を一つの積極的な前例として捉えることができる。

2.2図利加害目的について

 営業秘密侵害罪における図利加害目的の認定としては、比較的あっさりと肯定した裁判例といえる。図利加害目的が主たる争点となる営業秘密侵害罪の事例も多いが、本件では、争点としてメインではなかったのかもしれない。

 この点、b社からの依頼だと言いながら、о社に納品させるためにb社の営業秘密を開示したのであれば、о社のために動いたといえ、b社の営業秘密を管理する任務に違背して第三者(о社)の利益を図る目的があったともいえるものの、やはり、被告人cがb社在職中に職務に関連して個人的に200万円をо社から受領したという事実の方が、図利加害目的の肯定に大きく寄与したと考えられる。従業員が個人的に取引先と契約を締結して金員を受領するということは、講演費や執筆の印税は別として、通常の事態ではない。

 この点、判旨によれば、本件打合せの前の時点で、b社の常務取締役も従業員もfの従業員やd社の従業員に対して、被告人両名からのワイヤ整列装置の見積依頼はb社からの正式なものではないので見積りを出すのは止めてほしいとか、前任者である被告人両名は経営方針等で意見が食い違っているため、前任者から話があっても極力関わらないよう求めていたとのことである。

 b社においてそのような従業員トラブルを抱えている認識があったのであれば、被告人らの言動についてどのように監督すべきであったのか、自社工場への出入りやf社、d社への連絡の制限をどのような根拠でなし得たのかという点についても、考えさせられる事例である。

【おわりに】

 報道によれば、被告人aは、b社の従業員・役員としてMI(マグネットインピーダンス)事業の研究開発に従事したものの、当該事業の展開に関してb社経営陣と対立して技監に降職、それを機に、b社を退社して次世代MIセンサ開発のためにo社を設立し、研究開発を続けていたとのことである。

 企業においては、その規模に関わらず、事業の選択と集中を行わなければならない場面が成長に応じて何度も訪れると言うが、企業が切るべきと選択した事業に思い入れのある従業員・役員の処遇を検討するにあたっては、労働法的観点のみならず、秘密情報の管理という観点も留意すべきことを示唆する事例の一つが本件であると言えよう。

 本件を敷衍すれば、近時、切る方の事業について、カーブアウトやスピンアウト、スピンオフといった形で、元従業員・役員が企業発スタートアップ・ベンチャーを起業し事業継続する事例が散見されるところ、切り出した方の企業が保有する秘密情報であるのか、新たな企業において創出・開発された秘密情報であるのか、その切り分けが紛争化するケースも少なくない。秘密情報管理の原則の一つの繰り返しではあるが、企業発スタートアップ・ベンチャー制度を採るにあたっては、もともとの企業において、退職・退任時や元従業員・役員による起業時に、重々、秘密情報の切り分けに関する認識を擦り合わせ、事後の紛争化を提言すべく、具体的な文言に落とし込んだ合意書等を締結することが望まれるものである。

 切り出された事業がもともとの企業と揉めることなく新たに展開し、新しい競争力を獲得することが期待される。

以上

弁護士 阿久津匡美


[i] 山本庸幸「要説 不正競争防止法第4版」406頁(2006年6月、発明協会)