【令和4年12月21日(知財高裁 令和3年(行ケ)第10129号)】

【事案】

 発明の名称を「標的DNAに特異的なガイドRNAおよびCASタンパク質コード核酸またはCASタンパク質を含む、標的DNAを切断するための組成物、ならびにその使用」とする特許出願(特願2017-155410号)について拒絶査定を受けた原告が、拒絶査定不服審判を請求したところ、拒絶審決(以下「本件審決」という。)がなされたことから、本件審決の取消しを求めた事案である。

【キーワード】

 特許法第29条2項、進歩性、容易の容易

【事案の概要】

(特許庁における手続きの経緯等)

(1) 原告は、平成29年8月10日、名称を「標的DNAに特異的なガイドRNAおよびCASタンパク質コード核酸またはCASタンパク質を含む、標的DNAを切断するための組成物、ならびにその使用」とする発明について、特許出願(特願2017-155410号。平成25年10月23日〔パリ条約による優先権主張 平成24年10月23日米国 平成25年3月20日米国 平成25年6月20日米国〕を国際出願日とする特願2015-538033号の一部を新たな特許出願としたもの。以下「本件出願」という。請求項の数41)をし、平成30年9月14日付けの拒絶理由通知を受けたことから、平成31年3月25日、手続補正書を提出したが(以下、この手続補正書による補正を「本件補正」という。)、令和元年8月26日付けの拒絶査定を受けた。

(2) 原告は、令和2年1月6日、拒絶査定不服審判請求をし、特許庁は、上記請求を不服2020-000013号事件として審理を行い、令和3年6月8日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決(以下「本件審決」という。附加期間90日)をし、その謄本は、同月29日、原告に送達された。

(3) 原告は、令和3年10月25日、本件審決の取消しを求める本件訴訟を提起した。

(本件補正後の特許請求の範囲の記載)(請求項1のみを示す。)

以下、請求項1に記載された発明を「本件発明1」という。

【請求項1】

真核細胞における標的デオキシリボ核酸(DNA)の切断のためのタイプⅡのクラスター化された規則的間隔の短いパリンドローム反復配列(CRISPR)/Casシステムを含む組成物であって、該CRISPR/Casシステムが

 (i)Cas9ポリペプチドおよび核局在化シグナルをコードする核酸、または核局在化シグナルを有するCas9ポリペプチド、および

 (ⅱ)真核細胞中の標的DNAにハイブリダイズするガイドRNAまたは該ガイドRNAをコードする核酸、

 を含み、ガイドRNAがトランス活性化crRNA(tracrRNA)配列に融合したCRISPR RNA(crRNA)配列を含むキメラガイドRNAであり、該crRNA配列が該tracrRNA配列に対して5′末端側にある、上記組成物。

(本件審決の理由の要旨)

 本件審決は、本願発明は、本件出願の第1の優先日である平成24年10月23日(以下「本願第1優先日」という。)より前に日本国内又は外国において頒布等された甲第20号証「A programmable Dual-RNA-Guided DNA Endonuclease in Adaptive Bacterial Immunity、Science、 Aug 2012、Vol.337、 p.816-821 & Supplementary Materials」(以下「引用文献1」という。)に記載の発明(以下「引用発明」という。)と周知技術に基づいて当業者が容易に発明することができたものであるから、本件出願は拒絶すべきものと判断した(以下、本件出願に係る願書に添付した明細書を、図面を含めて「本願明細書」という。)

【争点】

 本件の争点(原告の主張する本件審決の取消事由)は、引用発明に基づく本願発明の進歩性判断の誤りである。

 本稿では、取消事由(引用発明に基づく本願発明の進歩性判断の誤り)に関し、「容易の容易」の主張に関係する部分について取り上げる。

【判決一部抜粋】(下線は筆者による。)

第1~第2 ・・(省略)・・

第3 当事者の主張

1 取消事由1(本件発明1の甲1発明1に対する進歩性判断の誤り)について

 〔原告の主張〕

(1) 相違点1の容易想到性判断の誤り

・・(省略)・・

イ 各局在化シグナルの付加の点について

・・(省略)・・

(ウ) 「容易の容易」

 当業者が、相違点1に係る構成を想到して本願発明の構成に至るためには、まず、①原核細胞を対象とした引用発明について、対象を真核細胞へと変更することを想到し、この構成の変更を前提にして、次に、②タンパク質の核内移行手段として核局在化シグナルを用いる、という2つのステップを踏む必要がある(いわゆる「容易の容易」)。そして、このように主引用発明から2つの段階を経てようやく相違点の構成に至るような発明は、当業者にとっては通常格別な努力を必要とするものであるから、容易には発明できないとして、進歩性が認められるべきである。

 〔被告の主張〕

(1) 相違点1の容易想到性の誤りの主張について

・・(省略)・・

イ 各局在化シグナルの付加の点について

・・(省略)・・

(エ) 「容易の容易」について

 本件審決は、核局在化シグナルの付加は、引用発明のCRISPR/Cas9系を真核細胞に適用することを想起しただけで、何らの創意工夫もなく導き出される程度のことにすぎないとしたものであって、いわゆる「容易の容易」に当たらないことは、本件審決の文言上明らかである。

・・(省略)・・

第4 当裁判所の判断

1 本件発明について ・・(省略)・・

2 取消事由(引用発明に基づく本願発明の進歩性判断の誤り)の有無について

(1) 相違点1の容易想到性判断の誤りの有無について

・・(省略)・・

ウ 原告の主張について

・・(省略)・・

(エ) 核局在化シグナルの付加の点について

 原告は、前記第3の1⑴イのとおり、①ZFNやTALENよりもサイズが大きく構造も異なるCRISPR/Cas9系が真核細胞の核膜を通過して核内へと移行することは想到できない、②核局在化シグナルを利用してポリペプチドを真核生物の核内に移行させられ得るとしても、核内に移行したCas9ポリペプチドがガイドRNAと複合体を形成できるか予測できない、③引用発明の対象を真核細胞へと変更し、さらに、核内移行手段として核局在化シグナルを用いることは、いわゆる2ステップを要する「容易の容易」であるから、容易想到とはいえない旨主張する。

 しかしながら、核局在化シグナルを有する物質が核膜に存在する小さな核膜孔を直径約100nmに開いて核内へと通過することは、本願第1優先日当時の技術常識であり(乙29)、約170kDaのMTase(DNAシトシン―5―メチルトランスフェラーゼ)(乙34)、約185kDaのトポⅡ(DNAトポイソメラーゼⅡ)(乙35)、約239kDaのSen1p(乙36)といった天然の核局在化シグナルを有するタンパク質が核膜孔を直径約100nmに開口して通過することが広く知られていたから、163kDa程度の分子量であるCas9ポリペプチドについて、核局在化シグナルを付加するという常套手段を採用することによって核内に移行させ得ることを十分に期待できたといえ、CRISPR/Cas9系がZFNやTALENよりもサイズが大きく構造も異なる点は、CRISPR/Cas9系を真核細胞へ適用することの試みを何ら妨げない。そして、Cas9ポリペプチドが核内に移行してガイドRNAと複合体を形成できるか予測できないと主張する点は、前記第3の2⑴ア(ア)cの阻害要因3と同趣旨の主張であるから、前記(ア)のとおり、単にCRISPR/Cas系を真核細胞に適用する際に生じる事象の一般的・抽象的な可能性又は懸念を述べるにとどまるものである。

 そして、核局在化シグナルはタンパク質を真核細胞の核内に移行させるための常套手段であるから、引用発明のCRISPR/Cas9系を真核細胞に適用しようとすること、すなわち、Cas9ポリペプチドを真核細胞の核内に移行しようとするならば、真核細胞の核内に移行する手段を採用するのは至極当然のことであり、Cas9ポリペプチドへの核局在化シグナルの付加は、引用発明のCRISPR/Cas系を真核細胞へ適用しようと試みると同時に当然導き出されることである。そうすると、核局在化シグナルの付加は、真核細胞に適用されたCRISPR/Cas9系との構成を前提にしてこれに対して更に改変を加えるというものではなく、いわゆる「容易の容易」に当たるようなものではない。

 以上のとおりであるから、原告の上記主張を採用することはできない。

・・(以下、省略)・・

 

【検討】

 原告の主張は、相違点1について、①原核細胞を対象とした引用発明について、対象を真核細胞へと変更することを前提にして、②核局在化シグナルを用いることが、「容易の容易」に該当するというものである。これは、主引用発明に対して副引用発明・周知技術 (以下「副引用発明等」という。)を適用したものに対して、さらに、副々引用発明・周知技術(以下「副々引用発明等」という。)を適用する、という2つの「容易想到」の段階を経て特許発明の構成に想到するものであるから、「容易の容易」に該当する、との主張であると考えられる。

 これに対して、裁判所は、「核局在化シグナルはタンパク質を真核細胞の核内に移行させるための常套手段である」、「Cas9ポリペプチドへの核局在化シグナルの付加は、引用発明のCRISPR/Cas系を真核細胞へ適用しようと試みると同時に当然導き出されることである。」として、「核局在化シグナルの付加は、真核細胞に適用されたCRISPR/Cas9系との構成を前提にしてこれに対して更に改変を加えるというものではなく、いわゆる「容易の容易」に当たるようなものではない。」と判示した。これは、核局在化シグナルの付加(核局在化シグナルを用いること)は、主引用発明に副引用発明を適用する際の設計変更等に過ぎない、と判断したものと考えられる。特許庁の特許・実用新案審査基準には、進歩性が否定される方向に働く要素として、「当業者の通常の創作能力の発揮である設計変更等(3.1.2(1)参照)は、副引用発明を主引用発明に適用する際にも考慮される。よって、主引用発明に副引用発明を適用する際に、設計変更等を行いつつ、その適用をしたとすれば、請求項に係る発明に到達する場合も含まれる。」との記載がある(特許・実用新案審査基準(第Ⅲ部第2章第2節3.1・3.1.1))。裁判所の上記判断は、この審査基準に記載された考え方と同様のものと考えられる。

 本件では、原告による「容易の容易」の主張は認められなかったが、「容易の容易」の考え方を理解する上で参考になる判決である。

以上
弁護士・弁理士 溝田尚