【令和6年2月1日(知財高裁 令和5年(ネ)第10069号 職務発明対価請求控訴事件)】

 

【事案】

 本件は、被控訴人の従業員であった控訴人が、被控訴人の保有する日本特許4件、米国特許1件及び欧州特許2件に関し、自らはこれらの発明者(共同発明者)の一人であり、遅くとも各特許出願日までに控訴人が有していた特許を受ける権利(特許を受ける権利の控訴人持分)を被控訴人に承継させたとして、被控訴人に対し、特許法35条(平成16年法律第79号による改正前のもの。以下同じ。)3項に基づき、相当の対価の支払を求めた事案である。
 裁判所は、控訴人の請求は理由がないとして、棄却した。

 

【キーワード】

 特許法第35条、職務発明、対価請求権

 

【前提事実】

(1) 当事者等
 控訴人は、被控訴人の元従業員であり、平成19年に被控訴人に入社した後、平成21年以降は商品研究開発課でスポーツ吹矢の用具開発に従事し、平成30年4月30日、被控訴人を退職した。
 被控訴人は、スポーツ用具の製造、販売等をその目的とする株式会社であり、その主要事業の一つとして、スポーツ吹矢用具開発・販売事業がある。

(2)  控訴人の職務発明
 控訴人は、被控訴人在職中、スポーツ吹矢の用具開発を行った際、本件特許に係る発明(請求項の数は11あり、このうち、特許請求の範囲請求項1に係る発明を「本件発明1」と、同請求項2に係る発明を「本件発明2」といい、これらを併せて「本件各発明」という。)を行った。

(3)  本件各発明に係る特許を受ける権利の承継及び本件特許
 本件各発明の当時、被控訴人には職務発明規定は存在しておらず、また、被控訴人が本件各発明につき特許出願するに際して、控訴人と被控訴人との間で特段の契約は締結していない。もっとも、本件各発明につき、職務発明に該当するものとして、被控訴人は、控訴人からその特許を受ける権利を承継した。
 被控訴人は、本件各発明を含む発明につき特許出願し、本件特許を受けた(ただし、本件各発明が控訴人の単独発明か否かは争いがある。)。

(4)  本件同意書
 控訴人は、平成24年2月24日付け被控訴人宛て「同意書」と題する書面(甲5。以下「本件同意書」という。)を作成した。本件同意書の内容は、次のとおりである(「/」は改行を意味する。)。(甲5)
 「私ことAは吹矢の矢の特許取得に関して、以下の項目に同意します。/第1項私は株式会社ダイセイコーが新型吹矢の特許を取得するにあたって、発明者としての報酬やその他の権利は一切主張しません。/第2項私は株式会社ダイセイコーが特許の権利を主張する限り在職中、退職後にかかわらずこれを認めます。」

(5)  被控訴人社内での表彰
 被控訴人は、控訴人に対し、平成24年6月27日付け「ヒット商品開発したで賞」と題する表彰状(甲6)及びその賞品として被控訴人オリジナルのクオカード(ただし、その金額については当事者間に争いがある。)を授与した(上記のほか、甲7)。
 上記表彰状の内容は、次のとおりである(「/」は改行を意味する。)。
 「NEW 矢の特許取得から製造そして販売までこぎつけ、売上げに貢献しました/その実績に対しこの賞を贈ります」
 なお、被控訴人の就業規則(以下「本件就業規則」という。)60条(表彰)には、「従業員が次のいずれかに該当する場合には、その都度審査のうえ表彰する。」とした上で、「業務に関して、有益な発明考案をしたとき」((3))が表彰事由とされている。また、他の表彰事由は、「永年にわたり誠実に勤務し、勤務ぶりが他の模範となるとき」((1))、「その他前各号に準ずる程度の業務上の功績が認められるとき」((6))などである。

(6)  本件訴訟に至る経緯等
 控訴人は、令和3年4月24日、被控訴人に対し、「職務発明対価請求に関する通知」と題する書面(甲3の1)を送付して本件各発明に係る相当の対価の支払を求め、同月26日、同書面は被控訴人に到達した(甲3の2)。
 これに対し、被控訴人は、控訴人に対し、同年5月14日付け回答書(甲4)を送付し、本件同意書の差入れにより控訴人は被控訴人に対する本件各発明に係る対価請求権を放棄したとして、控訴人の請求を拒絶した。

 

【争点】

 本件の争点は、以下のとおりである。
 (1)  対価請求権の放棄の効力(争点1)
 (2)  消滅時効の成否(争点2)
 (3)  相当の対価の額(争点3)

 本稿では、「(2)  消滅時効の成否(争点2)」に関し、被控訴人社内での表彰に関する本件就業規則60条⑶が職務発明の対価に関する規定に該当するか、という点についてとり上げる。

 

【判決一部抜粋】(下線は筆者による。)

第1 控訴の趣旨
・・(省略)・・

第2 事案の概要
・・(省略)・・

3  当審における控訴人の補充主張
⑴  特許法35条は、発明者の利益保護と開発費等のリスク負担をした使用者の利益保護の調和を図った上で、就業規則等において使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させ、又は使用者等のため専用実施権を設定した場合に、発明者に法定の対価請求権を付与した規定であり、このような立法趣旨等に鑑みると、使用者が職務発明に利益を得ている場合に従業員である発明者が対価を得られる機会を広く保護すべきである。
 本件では、被控訴人は本件発明を自己実施し、その実施品を販売することにより多大な利益を得ており、このような独占の利益を与えた本件発明の発明者である控訴人に対して「有益な発明考案をした」(就業規則60条⑶)ことに基づきクオカードを交付している。
 このような本件の実質的な側面(被控訴人が、本件発明に基づき独占の利益を得ており、独占の利益を得たことに対して控訴人に対して金品を授与していること)及び前記の特許法35条の立法趣旨を踏まえると、就業規則60条⑶の形式的な文言にこだわるのではなく、同条⑶は職務発明に関する規定であると解すべきであり、このような規定に基づいて平成24年6月末にクオカードが交付されている以上、この時点をもって消滅時効の起算点とすべきである。
 また、原判決の判断は、職務発明規定を設けず、就業規則において表彰という名目の下、表彰内容について詳細な規定を設けず、職務発明に対して他の表彰事由と同様に簡易・一律に取り扱うという発明者にとって不利益な規定に基づいてインセンティブの支払をすれば、職務発明に対する対価の支払ではないとして、消滅時効の起算点が特許を受ける権利の承継時点に早まる運用を認めることになり、発明者に対するインセンティブを与えない使用者の方が消滅時効の観点からは手厚い保護がされることになってしまう。しかし、このような結論は特許法35条の立法趣旨からすると妥当ではない。本件のように控訴人が行った職務発明及びその実績に対して金員が支払われたことが明白な事案においては、このような実質的な側面を重視し、規定の名称といった形式がどのようなものかという点を問わず、一律に職務発明の対価に関する規定であるとする方が、発明者保護の観点とともに、従業員に対して手厚いインセンティブを支払う企業もそうでない企業も消滅時効の点で同様の扱いとなるという点からも妥当である。
・・(省略)・・
⑶  甲6の表彰状に記載された表彰の理由に基づき、「有益な発明考案をした」との本件就業規則60条⑶に基づきクオカードが交付されたという本件の実質的な側面からすれば、上記クオカードの交付は債務の一部承認として消滅時効が中断するというべきである。
・・(省略)・・

第3 当裁判所の判断
・・(省略)・・

2  当審における控訴人の補充主張に対する判断
⑴  前記第2の3⑴の主張について
 控訴人は、本件就業規則60条⑶は職務発明に関する規定であると解すべきであり、このような規定に基づいて平成24年6月末にクオカードが交付されている以上、この時点をもって消滅時効の起算点とすべきであると主張する。
 しかし、本件就業規則60条は、「表彰」に関する規定であると明示され、その表彰事由は職務発明に関するものだけでなく業務上の功績と認められる事情が広範に表彰の対象とされており、表彰として経済的利益を供与すると決められていることはなく、表彰の内容や時期についても同条その他本件就業規則において定められていないことからすれば、同条が職務発明の対価に関する規定であると解することができないのは、補正の上で引用した原判決「事実及び理由」第3の1ウの説示のとおりであり、被控訴人が本件発明に基づく利益を得たこと及び被控訴人が控訴人に対して金銭的価値を有するプリペイドカードの一つであるクオカードを支給したことをもって、同条を職務発明の対価に関する規定であると解することはできない。
 勤務規則等において職務発明に係る対価の支払に関する規定が存在する場合でも、支払時期の定めがなければ、職務発明について特許を受ける権利を使用者に承継させた従業者は、権利の承継の時点から使用者に対して職務発明対価請求権を行使することができるから、原則として同時点が消滅時効の起算点となる。勤務規則等において支払時期の定めがあるときに、上記支払請求権の消滅時効の起算点が当該支払時期となるのは、同支払時期までは権利行使について法律上の障害があり、上記支払請求権を行使することができないことによる(補正後の原判決第3の1⑴ア)。これらの事情からすれば、本件において控訴人の被控訴人に対する相当の対価の支払請求権の消滅時効が特許を受ける権利の承継の時点から進行すると解することが、発明者に対するインセンティブを与えるために職務発明対価請求に関する規定を定めた使用者に比べ、発明者に対するインセンティブを与えない使用者である被控訴人に対して消滅時効の起算点に関して手厚い保護を与える結果となって不当であるとはいえない。
 被控訴人において、本件就業規則60条に基づく表彰を毎年6月末に行う運用又は慣行があったとして、そのことは、同条⑶の規定が職務発明に係る対価の支払に関する規定であると解する根拠とはならない。
 したがって、控訴人の上記主張は採用することができない。
・・(以下、省略)・・
⑶  前記第2の3⑶の主張について
 控訴人は、被控訴人の控訴人に対するクオカードの交付は、職務発明対価の支払債務の一部承認であり、消滅時効が中断すると主張する。
 しかし、本件就業規則60条が表彰制度について定めた規定であり、クオカードはこの規定に基づき交付されたものであること、及び、このクオカードの交付に先立って控訴人が被控訴人に本件同意書を提出しており、控訴人及び被控訴人のいずれも、控訴人が職務発明対価請求権を放棄したと認識していたのであり、その状況の下でクオカードの交付がされたことからすれば、クオカードの交付を職務発明の対価の支払であると認めることはできず、職務発明対価の支払債務の一部承認であると解することもできない。
 したがって、控訴人の上記主張は採用することができない。
・・(以下、省略)・・

 

【検討】

 本件は、被控訴人の従業員であった控訴人が、「有益な発明考案をした」との本件就業規則60条(3)に基づきクオカードが交付されたことに関し、同規定が職務発明の対価に関する規定であると主張したのに対し、裁判所は、同規定は「表彰」に関する規定であり、職務発明の対価に関する規定と解することはできない、と判断した点に特徴がある。
 職務発明対価請求訴訟においては、職務発明対価請求権の消滅時効が問題となるケースが多いところ、従業員としては、その消滅時効の起算点ができる限り後ろの日になるように主張することが考えられる。本件においても、控訴人は、職務発明規程ではなく、就業規則の「表彰」の規定が、職務発明の対価に関する規定であるとして、その規定に基づきクオカードが交付されたことに関し、消滅時効の起算点の主張を行った。しかし、裁判所は、①本件就業規則60条は、「表彰」に関する規定であると明示されていること、②その表彰事由は職務発明に関するものだけでなく業務上の功績と認められる事情が広範に表彰の対象とされていること、③表彰として経済的利益を供与すると決められていないこと、④表彰の内容や時期についても同条その他本件就業規則において定められていないこと等を理由に、本件就業規則60条を職務発明の対価に関する規定であると解することはできない、と判断した。このような裁判所の判断は妥当であり、職務発明の対価(相当の利益)の取扱いを定める会社の立場、及び会社に対して職務発明の対価を請求する従業員の立場の双方から参考になる。
 なお、本件では、職務発明対価請求権の放棄に関し、「私は株式会社ダイセイコーが新型吹矢の特許を取得するにあたって、発明者としての報酬やその他の権利は一切主張しません。」「私は株式会社ダイセイコーが特許の権利を主張する限り在職中、退職後にかかわらずこれを認めます。」などと定めた本件同意書を控訴人が提出したことについて、裁判所は、「控訴人及び被控訴人のいずれも、控訴人が職務発明対価請求権を放棄したと認識していたのであり」と評価している。従業員の職務発明対価請求権は重要な権利であり、一般に、このような従業員の同意書・誓約書が提出されたことのみをもって、必ずしも同請求権が放棄されたことにはならないように思われるが、本件において、裁判所が、上記のように「控訴人及び被控訴人のいずれも、控訴人が職務発明対価請求権を放棄したと認識していた」と評価した点も参考になるといえる。

以上
弁護士・弁理士 溝田尚